広島の地から世界へと挑戦を続けている、自動車メーカーのマツダ株式会社。現在、約130の国と地域に年間約130万台のクルマを届けるグローバルメーカーとして、世界中から注目を集めています。
そのマツダがいま、主な拠点である広島から一歩外に出て、首都圏で新たな挑戦に踏み出しています。それが、東京・麻布台ヒルズに構えた「マツダR&Dセンター東京(通称:MRT)」や東京本社機能を集約した新たな拠点です。
ソフトウェアがクルマの価値を決める時代に、スタートアップや大学、パートナー企業との共創を加速させる場として、そしてソフトウェア人材が集い、学び続ける場として、その役割は大きくなっています。この変化を先頭で牽引(けんいん)している、執行役員の滝村 典之(たきむら・のりゆき)さんに、マツダの歩みと、東京拠点から描くこれからの未来について伺いました。

目次
地元・バブル期の空気のなかで選んだ、最初の挑戦
滝村さんが社会人になったのは1989年。平成元年、バブル景気のまっただなかでした。
「就職活動では、企業側から声をかけていただいた会社も含めて、50社くらいの方とお会いしました。その中から最終的にマツダを選びました」
広島出身の滝村さんにとって、マツダは心理的に近い存在でした。しかし、単に「地元の大企業」だったからではありません。
「リクルーターとしてお会いした入社3〜4年目くらいの先輩たちが、とても大きな役割を担っていたんです。大企業の歯車というより、一人ひとりが『自分はこれを実現したい』と思いを持って働いている会社だと感じました」
背景には、オイルショック前後の世代構成の偏りがありました。団塊の世代と、その後の世代のあいだに人が少ない「谷間」が生まれたことで、1980年代以降に入社した若手が一気に前線に押し出される土壌ができていたのです。
今日よりも明日が良くなると信じられた時代の空気。そのなかで滝村さんの「最初の挑戦」は始まりました。
32年の人事キャリアが見つめた「内向き思考」と全員参加の風土変革
入社から間もない1991年、マツダはフランスの世界最高峰の自動車耐久レース「ル・マン24時間レース」で日本メーカーとして初の総合優勝を果たします。しかし、その後は販売台数の落ち込みなど厳しい時期が続き、日本全体でも「失われた20年(30年)」と呼ばれる時代に入っていきました。
滝村さんの初任配属は人事部門。2001年には、会社として初めて大規模な早期退職制度に踏み切り、約2,000人が会社を去りました。
「当時は『不沈の歴史』。経営が浮き沈みを繰り返すなかで、社内全体が保守的になり、失敗を恐れているような時代でした」
その「内向き思考」を打破するために立ち上げられたのが、全従業員参加型のプログラム「MBLD(Mazda Business Leader Development)」です。会社の状況を全従業員に共有することで、自分の役割を確認してもらい、『明日から自分は何をするのか』を考える場をつくりました。
その後、MBLDは役割を終えましたが、現在は全従業員が参加する組織風土変革プログラム「ブループリント」により、従業員一人ひとりがいきいきと、お客さま視点で考え行動する組織風土をつくる取り組みを実施しています。
32年にも及んだ滝村さんの人事キャリアは、マツダという組織の「内向き」と「外向き」の揺れを、誰よりも近くで見つめ続ける時間でもありました。
広島発のものづくりから、首都圏で「外にひらく」MRTへ
マツダは、創業の地・広島と山口を中心に、世界へと事業を広げてきました。課題があれば、広島に関係者が集まり、リアルな対話で解決していく。この「集まれる距離感」は、マツダの大きな強みでした。
一方、近年の著しい車技術の発展により、さらなる進化のスピード感が求められています。研究開発、販売・マーケティング、人材採用の分野でと、いかに素早く仲間とつながるかが、事業の命運を左右するからです。
こうした背景から、霞が関にあった東京オフィスを麻布台ヒルズに移転するとともに、「マツダR&Dセンター東京(略称:MRT)」を開設。ソフトウェアやデジタル領域の人材が集まりやすく、他業界の企業とも出会いやすい場所を選びました。
「広島だけでなく、首都圏の真ん中でプレゼンスを高めていくことが欠かせない。東京本社とMRTを通じて、外とのつながりを実現し、マツダの構造変革を推し進めていきたい」
広島発のものづくりの会社が、東京で「外にひらいた」場を持つ。麻布台ヒルズの拠点はは、その象徴的な取り組みと言えます。

「仕事のごちそう」としての開発環境と人間関係
首都圏での挑戦において、マツダが直面している課題のひとつが、ソフトウェア人材の採用です。業界全体で人材の「獲得合戦」になっているほか、マツダの“広島基準”の処遇により条件面で他社に負けてしまうケースもあるからです。
それでもマツダを選んでくれる人たちがいるのは、処遇ではなく「仕事の面白さ」にこそ魅力を感じているからだと滝村さんは言います。
「ゲーム業界などから転職してきた方もいます。彼らにとっては、数万円のゲームソフトではなく、300万〜500万円のクルマという商品に自分の技術やアイデアを投影できるダイナミックさに、強い魅力を感じてくださっているようです」
一方で、入社後に働きがいを高め続けるには、開発環境そのものの質が重要になります。滝村さんが重視しているのが、心地よい人間関係と居場所づくりです。
そこで始めたのが、部署や職種を越えた交流ができる定期開催の『つながりサロン』。「処遇だけではないインセンティブって、やっぱり仕事の中に“ごちそう”としてあると思うんです。その“ごちそう”をどうやって感じてもらうかを、常にメンバーと考えています」
東京が「出先」で、広島が「本体」に見えてしまう心理的な格差や情報格差をなくすこと。
それも、東京拠点を預かる滝村さんの大事な役割です。
走る歓びで地球を笑顔に。クルマと地球の関係をアップデートする
マツダは、JAPAN MOBILITY SHOW 2025(ジャパンモビリティショー2025)のブースで「走る歓びは地球を笑顔にする」というテーマを掲げました。2035年に向けて、「走るほどにCO₂を減らす」モビリティの実現を目指しているマツダは、バイオ燃料とCO₂回収技術を組み合わせた新しい取り組みを進めています。
バイオ由来の燃料を使うことでCO₂の増加を抑えるだけでなく、クルマそのものにCO₂回収装置を搭載することで、走行距離に応じて大気中のCO₂を削減できるというもので、スーパー耐久レースのレーシングカーにCO₂回収装置を装着し、実走行試験も行いました。
「以前は“環境に優しい”と言うと、何かをあきらめるトレードオフが前提でした。これからは、走りの楽しさもちゃんと味わいながら、その結果として環境にも優しいクルマを実現していきたいと思っています」
「今日より明日がいい」と思える社会へ
「バブル期は『今日よりも明日がいい』と多くの人が本気で信じていたように思います。失敗しても、とにかくトライすることに価値があるよね、という雰囲気が社会にも会社にもありました」
その感覚は、いまの日本社会では弱まっているかもしれません。マツダのパーパス「前向きに今日を生きる人の輪を広げる」は、そんな希望をもう一度取り戻そうとする宣言でもあります。
社員一人ひとりが、外にひらいた視点を持ちながら、自分たちらしい価値の出し方を考えていく。「走る歓びは地球を笑顔にする」という大きなテーマも、その積み重ねの先にあります。
広島で育まれてきたものづくりの精神と、東京で広がる新しいつながり。その両方を行き来しながら、マツダの挑戦はこれからも続いていきます。
印象に残った言葉:
「処遇だけではないインセンティブって、やっぱり仕事の中に“ごちそう”としてあると思うんです。」
会社概要
会社名:マツダ株式会社
取材対象者:執行役員 滝村 典之さん
パーパス:前向きに今日を生きる人の輪を広げる
設立:1920年(前身企業創業)
事業内容:乗用車の製造、乗用車・トラックの販売など
主要事業領域:乗用車・商用車・パワートレイン・関連技術開発 ほか
主な販売地域:約130の国と地域
本社所在地:広島県安芸郡府中町
東京本社/マツダR&Dセンター東京
所在地:東京都港区麻布台 1-3-1麻布台ヒルズ森JPタワー 49階





