「オーダースーツで富士山に登ってみた」。そんなユニークな挑戦で注目を浴びているのが、東京の株式会社オーダースーツSADAの代表・佐田展隆(さだ・のぶたか)さんです。高級、堅苦しいなどの先入観に加え、スーツのカジュアル化とコロナ禍による在宅勤務の普及で、尻すぼみになりつつあるスーツ業界。そんな深刻な状況を打破しようと、“フルオーダースーツの低価格化”に挑んでいます。
ただ、幾度の経営危機に見舞われるなど、道のりは険しいものでした。創業101周年を迎えた同社はどのように逆境を乗り越え、歴史を紡いできたのか。代表の佐田さんにお聞きしました。
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震災下の事業立て直し。奮起決意し、洋装市場へ進出
オーダースーツSADAの起源は、1923年までさかのぼります。佐田さんの曾祖父・定三さんが営んでいた東京・日本橋の服飾雑貨店「米川商店」は、関東大震災による壊滅的な被害で閉鎖を余儀なくされましたが、のれん分けで事業を立て直しました。
しかし、第二次世界大戦時の東京大空襲により、店は全焼。立て続けに襲った悲劇から再起を図ろうと、2代目の祖父・茂司さんが思いついたのが「洋装」でした。戦後の復興を目にし、「若者がスーツを着る時代が来る」と考えたのです。予想は的中。設立した生地屋は盛況だったといいます。
のちにオーダースーツへの専門性を高めていくなかで、現在の「オーダースーツSADA」が2004年に誕生。一張羅に身を包むことで仕事に励もうと、“高級品”とされていたスーツを若者がそろって購入していたのだとか。
年商を上回る負債、そして震災……幾度の危機を乗り越え
東レ株式会社の営業職として働いていた佐田さんは、当時代表だった父からの要請により、03年にオーダースーツSADAへ移ります。戻ると、会社は年商22億円なのに対して24億円の負債を抱えていました。原因は、売上高の半分以上を占めていた大手百貨店が倒産したこと。佐田さんは、取引金融機関に債権放棄を要請し、会社を売却することにしました。
その後、一時は代表を退任。その間、会社は工場直販店を10店舗に拡大するなど、順調に成長を遂げていましたが、東日本大震災などの影響で経営が悪化していきました。企業再生ファンドから派遣されていた代表は音を上げ、社内外から強い期待が寄せられた佐田さんは復帰を決意。再就任は、会社を起死回生へと導く転機となりました。
BtoBから小売へ事業を変更。自ら社員を教育する
震災による損失が痛手として残るなか、佐田さんは腹をくくり、業態をこれまでのスーツ小売店からのオーダーによるBtoB事業を、直接消費者に売る小売り事業へとシフトします。「工場直販なら在庫を抱えるリスクもなく、取引先に依存することなく売上を上げられる」と考えたのです。取引先だった小売店とは競合することになるため、自ら「土下座してまわった」と言います。
勝負をかけた小売一号店は、新宿でした。
これまで小売を手掛けてこなかったオーダースーツSADA。果たしてお客様が来ていただけるのかどうか。社員が不安がるなか、佐田さんには自信がありました。そして何より「この状況を脱するにはやるしかなかった」のです。小売は現金がすぐに入ってきます。一方BtoBは数ヶ月後の入金。この勝負に勝てなければ、会社は終わりだ。その思いが佐田さんを奮い立たせました。
佐田さんは自ら店頭に立つだけではなく、社員も小売に向けて教育しました。オーダースーツの命ともいえる細かな採寸の仕方も念入りに伝授するなど、張り付いてオーダースーツ屋としてのイロハを教えました。
結果は、大成功に終わりました。
オーダースーツを安く買いたいという今まで見えていなかったお客様の需要を、見事掘り当てたのです。
挑戦し続ける姿がSNSで話題に。業界に一石を投じた前代未聞の事業とは
佐田さんは自ら前線に立って新宿の新店舗でスーツを販売したり、公式YouTube「さだ社長」に登場したりと、次々と営業策を打っていきました。オーダースーツに身を包みながら富士登山やサーフィンなどに挑戦し、スーツの着心地の良さをアピールする動画は、SNSで話題に。世間を賑わせる“ときの人”となりました。
さらに、スーツへの先入観を払拭しようと「フルオーダースーツ初回1万9800円から」という前代未聞の事業を打ち出しました。既製スーツとほぼ同値段でオーダースーツを仕立てるという大胆な策で、業界の概念を覆していきました。
奇跡のV字回復を達成。成功へ導いた佐田さんの意識とは
気がづけば、17億円台だった売り上げは今年7月で42億円台に。現在、全国46店舗を展開しているほか、より着心地やオーダー空間などを追求した新店舗「オーダースーツSADA plus」を銀座と丸の内にオープンしています。
佐田さんの前向きで革新的な戦略が業界に新たな活力をもたらしています。「迷ったら茨の道を行け」。同社の回復劇を繰り広げた佐田さんの言葉です。
聞き手 中野宏一・執筆者 木場晏門