春限定の絶景「水没林」 夕景のダム湖に眠る集落の記憶【山形県米沢市】

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2023年5月20日撮影

春から初夏へと移る短い時期、山形県米沢市の水窪(みずくぼ)ダムに、湖面から木々が立ち上がる幻想的な風景が現れる。雪解け水による増水が生み出す「水没林」だ。私はその美しさに息をのむ一方で、水の底に沈んだかつての暮らしにも思いを向けずにはいられなかった。

2022年5月4日撮影

東北中央自動車道米沢八幡原(はちまんぱら)インターチェンジから福島方面へ車で約15分。季節が春から夏へ移る時期、ダム湖では雪解け水の流入で水位が上がり、湖畔の木々が水に浸かる「水没林」が見える。

国道13号から県道へ入り、高架をくぐって脇道にそれる。道沿いには小さな集落が点在し、その先に静かなダム湖が見えてくる。ここはいわゆる観光地とは違う。整備された遊歩道や大きな案内板はなく、観光客のにぎわいもない。耳に入るのは鳥のさえずりと、遠くを走る車の音だけだった。

高架の先で出会った、湖に立つ木々

2023年5月20日撮影

舗装された県道沿いからも湖面を見下ろせるが、私はもっと近くでこの風景を見たくなり、南岸側から湖畔へ回り込んだ。足元は砂利が浮き、ところどころぬかるみもあって歩きやすいとは言えない。途中、地元の農家と思われる車や、釣りに来たらしい県外ナンバーの車とすれ違った。

慎重に進みながら顔を上げた瞬間、思わず足が止まった。湖面から、細い木の幹が何本も、まっすぐ空へ伸びていた。遠目にはただの林のように見える。だが近づくと、木々の根元がすべて水の中に沈んでいることが分かる。澄んだ場所では、水中に沈んだ枝や幹の一部まで透けて見えた。

風景は静かだった。それなのに、ただ静かなだけではなかった。夕方の光を受けた水面がわずかに揺れ、そのたびに幹の影もまたゆらゆらと形を変える。私はしばらく、その場から動けなかった。美しい、と思う。その一方で、なぜか胸の奥が少しざわつく。水の中に立つ木々は、自然が見せた偶然の造形でありながら、どこか人の時間を背負っているように感じられたからだ。

2022年5月4日撮影

春の増水期だけに現れる、限られた景色

2023年5月20日撮影

この水没林は、春の増水期にしか現れない。雪解け水がダム湖に流れ込み、水位が上昇することで、普段は地上にある林が水に浸かる。その結果、限られた時期だけ、湖の中に森が立ち上がったような光景が生まれる。

田植えの時期が近づき、水が使われて水位が下がれば、この風景はまた消えていく。だからこそ、この景色には「今しか見られない」という切なさがある。私は現地でその一瞬の美しさに触れ、自然の変化がつくる景観の繊細さにあらためて驚かされた。

湖底に沈んだ、人々の暮らし

2023年5月20日撮影

しかし、この場所の魅力は「珍しい絶景」だけでは語れない。水窪ダムが建設される前、この一帯には刈安(かりやす)川沿いに集落があり、紆余曲折を経て住民は1970年に離村したという。その後、1975年に最高深度62メートルのダムが完成した。国営事業として整備されたこのダムにより、米沢市を含む置賜(おきたま)地方2市2町の農業用水は大きく改善され、農業基盤の安定につながった。現在は農業用水のほか、水道用水や工業用水としても活用されている。

私は左岸の端まで歩き、公園の一角に立つ石碑の前で立ち止まった。1980年、国営米沢平野農業水利事業の完成を記念して建てられた碑だという。碑文には、水窪地区から移転した9戸の氏名が刻まれていた。

2023年5月20日撮影

美しさの奥にあるものを見つめる

2022年5月4日撮影

水窪ダムの水没林は、たしかに美しい。だが私は、ここをただ「映える絶景」として受け止めて良い場所だとは思えなかった。目の前の美しさに心を奪われるほど、その奥にある記憶にも自然と向き合わされるからだ。

春の光に照らされ、水面に立つ木々は今日も静かに揺れていた。やがて季節が進めば、この景色はまた水の変化とともに姿を消す。それでも、この湖の底に人々の暮らしの時間が眠っていることは変わらない。
私は帰り際、もう一度湖を振り返った。そこにあったのは、自然の美しさと、人の営みの記憶が折り重なった、短い季節だけの森だった。

春の光を受けて静かに揺れる水没林は、確かに美しい。しかしその美しさは、自然の造形だけではなく、地域の歴史と重なり合うことで、より深い意味を持って見えてくる。水窪ダムの水没林は、春だけの景観であると同時に、失われた集落の記憶を今に伝える風景でもあった。

昆愛

昆愛

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2024年、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「天文文化史で地元の魅力発信?九曜紋が導く新たな誘客構想とは【福島県南相馬市】」で渡部潤一奨励賞を2年連続受賞。また、2025年、「津波遺留品の返還事業終了へー東日本大震災から14年、記憶を未来へ【福島県いわき市】」で3回目となる本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を受賞。写真を通じた情報発信の一環として、郡山市(福島県)の市民カメラマンも務める。

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