
院内銀山は秋田県の南に位置する、湯沢市院内地区にある。1954(昭和29)年に完全閉山したが、現在も跡地には当時使われていた坑口(こうぐち)が残っており、当時の名残が存在している。そこにはオオハンゴンソウという黄色い花が群生しており、それがなんと院内銀山が他国との交流があったことを証明するものだといわれている。院内銀山と外国の間でどのような関わりがあったのだろうか。
今回、院内地区のまち歩きで院内銀山を訪れ、ガイドの佐藤順子さんから院内銀山について説明していただいた。
古くから海外との交易が盛んだった院内銀山

院内銀山の説明の途中で、道のわきに群生していた黄色い花を指さし「これは、オオハンゴンソウという花で、現在は特定外来生物に指定されているが、院内銀山全体に咲き誇っている。それはつまり院内銀山が外国との交流が激しかったということの証だよ」と佐藤さんがそう話した。私はこの近くで生まれ育ったが、院内銀山が外国との関わりを持っていたことを全く知らなかったので、とても衝撃を受けた。
院内銀山は1606年に発見され、佐竹藩直営の銀山として経営されていた。「江戸時代の初めに取引のために銀を大阪などに運び、そこから流通し中国との交易にも用いられていた。海外とのつながりの中ではポルトガルとの関わりがあった。やがて鎖国政策の影響もありオランダや中国が取引の中心になったようだ」と話してくれた佐藤さん。また、「1617年にローマで発行された日本地図に院内銀山の記載があり、外国で院内銀山が有名だった」とも教えてくれた。
道端の花から得られた、思わぬ新たな発見と感動
歴史は院内銀山の坑口といった、当時の名残からたどる物だと思っていたが、オオハンゴンソウといった何気なく道端に咲いている花が院内銀山の歴史を知ることの核になったことに驚いた。また、外国との交流も盛んで、有名であった事実を知り、院内銀山の偉大さを感じることができた。
まち歩きを通して、ガイドの佐藤さんの院内の説明からは活気と、ガイドとして院内を紹介することを生きがいにしている様子が感じられた。

今回、花という何気ない存在から新たな発見と感動が得られた。あなたの身の回りのものからも新たな発見や感動が得られるかもしれない。

狩野聖也さんの投稿