ローカリティ!時代の開拓者たち

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航空機を守る塗料から、車内の騒音を抑える部品、そして宇宙へ。技術を次の100年につなぐ【東京都北区】

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日本特殊塗料株式会社(以下、日本特殊塗料)は、1929年に航空機用塗料の開発から始まり、現在は建築物や航空機に使われる塗料と、自動車の振動や騒音を抑える部品を事業の柱とする会社です。同社の技術は、普段は見えない場所で、乗り物や建物を守り、静かで快適な環境を支えています。

代表取締役・社長執行役員・最高執行責任者(COO)の遠田比呂志(おんだ・ひろし)さんは、設計、生産現場、原価管理、調達、自動車製品事業の責任者などを経験し、現在は同社の経営を担っています。

祖業が一時途絶えた戦後の危機を、同社はどのように乗り越えたのでしょうか。100年近い歴史を持つ企業が、実直さを守りながら、既存技術の延長線上にない挑戦を生むために何を変えようとしているのか、遠田さんにお話を伺いました。

日本特殊塗料株式会社 代表取締役・社長執行役員・最高執行責任者(COO)の遠田比呂志さん

戦後、航空機用塗料の技術を、住宅と自動車を守る製品へ

日本特殊塗料の歴史は、航空機用塗料から始まりました。強い紫外線や急激な温度変化、風圧や摩擦から機体を守るためには、特殊な機能を持つ塗料が必要です。同社は、その厳しい条件に応える技術を磨いてきました。

しかし、終戦によって航空機の製造が禁じられると、事業そのものが止まります。そこで同社が生かしたのが、航空機用塗料で培った合成樹脂の技術です。

1951年にはセメント瓦用塗料「スレコート」を発売し、航空機を守るために培った技術を、住宅や建物を守るための技術へと生かしていきました。

遠田さんは、航空機用塗料で培った技術が塗料事業の再開に生かされ、当時の取引先や関係者とのつながりが自動車産業への参入につながったと振り返ります。

以前と同じ製品をつくれなくなっても、技術まで失われるわけではありません。航空機用塗料で培った技術を、住宅や建物など新たな用途へ生かすことで、日本特殊塗料は再び社会に必要とされる道をつくりました。

さびを防ぐ塗料で見つけた「音を抑える力」が、新しい事業の柱に

戦後、軍用機の製造から自動車・バスの製造へと移った中島飛行機(スバルの前身)の関係者から、車体の下側を守る塗料を国産化できないかと声がかかりました。当時は輸入品が使われていましたが、価格が高いことが課題でした。

同社は約1年半の開発を経て、1953年に自動車用防音・防錆(せい)塗料「ニットク・アンダーシール」を開発します。砂利などの跳ね上げやさびから車体を守るだけでなく、走行音を和らげる効果を備えた製品でした。

この製品をきっかけに、日本特殊塗料は「防音塗料メーカー」として認知されるようになり、「次の事業につながった」と遠田さん。

その技術をさらに発展させ、1964年には、車体の床に貼ることで振動を抑え、騒音を減らす制振材「メルシート」を発売しました。公式沿革によると、ニットク・アンダーシールとメルシートで培った防音技術は、自動車用の吸音材や遮音材へと発展し、現在では国内すべての自動車メーカーに採用されています。同時に、建築物や鉄道車両向けの製品にも技術が広がっています。

塗料で車体を守る仕事から、車内の静けさを設計する仕事へ。目の前の依頼に応える中で見つけた「音」が、同社の新しい柱になりました。

自分がつくった部品で、車内の騒音が減る。見えない仕事が評価につながる喜び

遠田さんは大学で生体セラミックスを学び、日本特殊塗料への入社後は独立したばかりの設計部門に配属されました。しかし、機械設計の経験がなかったため、最初の約3年間は、来る日も来る日も部品の試作に取り組みました。

「当時は3年で会社を辞めようと考えていた」という遠田さん。それでも、材料の状態や量産時の課題を学び、製造現場の人たちと一緒に試作を重ねた経験は、後の設計や組織運営の土台になりました。

やがて遠田さんは、試作、図面作成、金型の発注、量産の立ち上げまで、製品ができる一連の工程を経験します。仕事を続ける大きな理由になったのは、自分が関わった部品が、車の評価として返ってくる喜びでした。

「自分が作ったものが自動車に載って、見えないけれど、その車の音を静かにする。車の雑誌で『今度の車は静かだ』と評価されると、『あの部品を自分が作ったんだ』と思えました」

分業が進んだ現在は、一人の社員がすべての工程を経験することが難しくなっています。だからこそ遠田さんは、部署を越えた経験と、経験できない部分を理論で補う教育の両方が必要だと考えています。

社長が伝えるだけでは、組織は変わらない。社員の本音を聞くことが、新しい挑戦につながる

日本特殊塗料は、社是に「創意工夫」を掲げています。遠田さんによると、研究開発の現場には、以前から比較的自由に試せる文化がありました。一方で、自由が拡大解釈されれば、守るべきルールまであいまいになる危険があります。

遠田さんが現在重視しているのは、企業を健全に管理する仕組みを強くしながら、挑戦に必要な自由を残すことです。

「任せる領域と、ここから先は駄目という領域の線引きは、しっかりルールで守ってあげたいと思っています」

背景には、業界で生き残ろうという強い思いがあります。

「従来の延長線上にある改良だけでは、生き残れない。あるタイミングで、全然違った領域の製品を出していく必要があります」

新しい事業を急いで立ち上げる前に、組織の土台を整える。遠田さんは、現在を「地盤を固めているとき」と捉えています。自由と規律を対立させず、次の挑戦を生み出すための順番を見定めています。

ルールを整えるだけでは、社員の思いは一つになりません。同社では、社内からの提案をきっかけに、社長と社員が少人数で昼食を共にするランチミーティングを続けています。直属の上司を交えず、現場への不満も含めて率直に話せる場です。

「いくら発信しても、耳を塞がれたら終わりです。社長の思いを伝え、社員の思いも聞く。そういう地道な活動を続けたいと思っています」

人事制度の見直しでも、さまざまな意見が出たこと自体を、遠田さんは「本音を聞けた」と前向きに受け止めました。挑戦する組織をつくるために、制度を変えるだけでなく、互いの考えを聞ける関係をつくろうとしています。

車や建物を守ってきた塗料と防音技術を、100年後の宇宙へ

遠田さんは、日本特殊塗料の強みを「真面目というより実直」と表現します。お客さまから求められたことに向き合い、技術を積み上げてきた姿勢が、航空機用塗料から建築用塗料、自動車用防音材へと事業をつないできました。

一方で、実直さだけでは発想が硬くなることもあります。遠田さんが加えたいのは、自由な領域と、人としての面白みです。

「真面目さや実直さが事業の基礎にあるとしたら、そこに少し、自由さや面白みを足したいと思っています」

その先に描く未来は、宇宙にまで広がります。100年後、人が宇宙空間を行き来する時代に、人体へ影響する放射線を遮る塗料や、宇宙基地の外壁を守る技術で存在感を示したい。これは現在の製品計画ではなく、塗料が守れる領域を広げた先にある遠田さんの構想です。

「今の我々は、次の世代がそういう方向へ向かっていける資産を残してあげたいと思っています」

同社は2029年6月に創立100周年を迎えます。航空機を守る塗料から始まり、暮らしを彩る塗料と、車内を静かにする部品へ。日本特殊塗料が守る対象は、時代とともに広がってきました。

次の100年に必要なのは、実直さを捨てることではありません。実直さを土台に、自由に考えられる余白をつくることです。色と音で培った技術が、まだ見ぬ社会や宇宙で何を守るのか。その未来へ進める組織と技術を次の世代に残す挑戦が始まっています。

聞き手:丸山夏名美 執筆:木場晏門
写真はすべて日本特殊塗料株式会社提供

最も印象に残った言葉

「従来の延長線上にある改良だけでは、生き残れない。あるタイミングで、全然違った領域の製品を出していく必要があります」
「今の我々は、次の世代がそういう方向へ向かっていける資産を残してあげたいと思っています」

会社概要

会社名:日本特殊塗料株式会社
取材対象者:代表取締役・社長執行役員・最高執行責任者(COO) 遠田比呂志さん
社是:創意工夫
経営の基本理念:卓越した技術と製品により社会に貢献する。株主の利益を尊重し、社員の人格を大切にする。環境と共生し、国際標準に準拠しつつ、永遠の発展を目指す。
創業年月:1929年6月1日
事業内容:自動車製品事業、塗料事業
所在地:〒114-8584 東京都北区王子三丁目23番2号
URL:https://www.nttoryo.co.jp/

木場晏門

木場晏門

神奈川県鎌倉市生まれ藤沢市育ち、香川県三豊市在住。コロナ禍に2年間アドレスホッピングした後、四国瀬戸内へ移住。webマーケティングを本業とする傍らで、トレーニングジムのオープン準備中。

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