地黄!その地名はやはり漢方薬の知られざる産地だった!【大阪府能勢町】

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地名が薬草と関係があるのではないかと以前から気になっていた大阪府能勢町の地黄(じおう)という集落を訪ねてみました。

ジオウ(地黄)はゴマノハグサ科の薬草で、漢方では陰のバランスを整えるといわれています。

城跡の石垣が残る、関ヶ原の合戦以来、豊臣秀吉と徳川家康の勢力争いに翻弄(ほんろう)された場所とのことでしたが、古くから山陰道でもわりと大きな宿場町として栄えた歴史もあったようです。

       

       

その隣の野間という集落はわが国でも最大規模のケヤキの木があり、フクロウやミミズクが毎年ヒナを育てるので有名です。また、野間には京都・二条家の家臣の家があり、その娘だった野間幾子が天皇家に入り、昭和天皇の外祖母となったことでも知られています。

地黄という地名ですが、その名の通り、夜間頻尿の特効薬としてテレビなどで宣伝もされている八味地黄丸(はちみじおうがん)にも使われる地黄という薬草を栽培していたのかどうかを知りたかったので、まずは通行人や警察署で聞きましたが明確な答えは得られず。

歴史が古そうな酒屋さん『嶋田酒店』を見つけたので入り、店番をしていた方に尋ねると、確かに昔は盛んに栽培されていたとのこと。やはり「地黄」の地名の由来はその薬草でした。

店のご主人で、80歳になる嶋田哲夫さんがその地黄の保存と復活に偶然にも携わってきたとのことで、彼女は別棟にいた嶋田さんを電話で呼んでくださいました。

嶋田さんは歴史小説作家・家村耕として丹波篠山とも関係が深い明智光秀に関するものをはじめ、何冊もの著書を出版しているとのことで、歴史の話はお手のものでした。

この周辺の地が豊臣と徳川の勢力争いに翻弄されたということや大きな宿場町として栄えたこと、また二条家家臣の野間家のことについても嶋田さんが教えてくださったのでした。

そこで急きょ取材することになり、嶋田さんが漢方薬の地黄と地名の由来、地域の歴史について教えてくださいました。

近隣の兵庫県丹波地方でも現在の丹波市山南町和田という地区が薬草の集散地として知られていますが、その地と同じく能勢町の地黄地区も、奈良県の大神(おおみわ)神社から来たお使いの人たちから薬草の栽培を勧められたことが始まりだそうです。

地黄という薬草はかなり気むずかしいらしく、育つ環境が限られるそうですが、たまたま能勢町地黄の地は良く育つ土地だったそうです。

能勢町は銀寄せ栗という、丹波栗にも引けをとらない高品質な栗の産地ですが、その栗の木と隣接して植えると、不思議と地黄も栗も良く育つのだそうです。最近よくいわれるコンパニオンプランツのはしりですね。

地元で育った地黄の根をいただきました。

水で戻しておかゆに入れるとおいしく、貧血や婦人病などに効くそうです。

地黄の地での栽培が大正時代を過ぎて下火になってしまったのには、中国大陸からの輸入物が大量に入るようになったからというお話でした。

しかし大陸の地黄はサイズは大きいものの、効き目に関しては日本産には及ばないとのことです。

ご主人が経営されている『嶋田酒店』は古くは東松、今は秋鹿という酒蔵の日本酒をメインに販売しています。秋鹿は自前の田んぼの酒米を使って日本酒を造っていることで有名な酒蔵です。

       

春には地黄の花が咲き、新たに植え付けをする時期でもあり、苗を譲るのでまた訪問するようにとのお誘いをいただきました。

京阪神からご婦人方が集い、薬草を使った健康食を作る愛好会も開催されているとのことなので、次回はそちらも取材する予定です。

興味深いひとときでした。

椛澤弘之

椛澤弘之

"東京都大田区で生まれ育ち、中学・高校時代は神奈川県茅ケ崎市で過ごす。
高卒後、旧ソビエト連邦を経てギリシャ共和国に渡り、サウンドエンジニアとしてミコノス島の劇場で働く。
欧州言語に興味を持ち、スイスの商業高校と州立大学で学ぶ。
帰国後、輸入雑貨買い付けの傍ら、レシピ復刻料理研究家、翻訳家(英・仏・独・伊・西)、写真家、ジャーナリストとして活動する。
現在は地方から世の中を見渡すため、兵庫県丹波篠山市在住。"

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