山口県周南市鹿野(かの)の中心部にある臨済宗の古刹、漢陽寺(かんようじ)。
1374年に建立され、実に650年もの歴史を持つこの禅寺は、臨済宗の大本山である南禅寺の別格地にもなっているという、県内屈指の名刹として知られています。
この漢陽寺には、2021年に国の登録記念物となり、その価値が国に認められた6つの庭園があります。いずれも、昭和の作庭家として名高い重森三玲(しげもり・みれい)氏が造ったもので、枯山水を取り入れた、禅寺にふさわしいものとなっています。
こうした庭が誕生したのは、前住職が強い情熱をもって重森氏を招き、作庭のお願いをしたことに端を発します。
「今まで日本にない庭を造りたい」
鹿野を訪れ、作庭を依頼された漢陽寺を見た重森氏。
漢陽寺の裏山に掘り抜かれ、今なお鹿野の農業用水などに利用され続けている潮音洞(ちょうおんどう)の水を見つめながら、そう言われたそうです。
6庭園の中でも代表的な庭である曲水(きょくすい)の庭(冒頭写真。2021年11月、筆者撮影)は、水を使わずに砂や石だけで山水の景色を表現する枯山水に、庭に流れる水を取り入れた曲水様式を組み合わせた、他に類を見ない形の庭として完成しました。重森氏の、鹿野に流れる水を生かしたいという思いが、このような形で表されたものなのだと感じます。
曲水の庭以外にも、5つの庭園が漢陽寺の敷地内に造られています。
漢陽寺の山門横には、桃山時代の様式で造られた、巨大な岩が並ぶ「曹源一滴(そうげんいってき)の庭」。巨岩が数メートルもの長さにわたり並んだ様子は、山門をくぐる前に、訪れた人の目を惹きます。
本堂の横には、お地蔵様が子どもたちと遊ぶ様を枯山水で表現した、平安様式の庭「地蔵遊化(じぞうゆうげ)の庭」があります。枯山水の砂紋の周囲を取り囲む斜めに傾いた岩たちをじっと眺めていると、走り回る子どもたちの姿が目に浮かぶような気がしてきますね。
潮音洞が掘り抜かれた裏山のすそには、鎌倉時代の力強い様式で造られ、潮音洞の水を分流させた「蓬莱山池庭(ほうらいさんいけにわ)」を見ることができます。山すそという場所に造られた庭であり、山の木々とのコラボレーションは、他の庭にないおもしろさを作り出しています。
同じく鎌倉時代の様式で作庭された「九山八海(くせんはっかい)の庭は、仏教の宇宙観を表現した庭。室内から眺めるのも風情があります。庭だけを眺めるのもすてきですが、建物の中から眺めたり、縁側に座って眺めたり、お寺の雰囲気とともに楽しむのもよいでしょう。
昭和のモダンな様式で造られた「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)の庭」は、通常は非公開になっています。規則的に仕切られた庭のそれぞれに色の違う砂や緑、岩が配置され、他の庭とはまた異なる様相を楽しむことができます。非公開ゆえになかなか見る機会がないため、公開の機会があればぜひご覧いただきたいです。
調査から、足掛け8年もの歳月を経て造られた庭園たち。
作庭の過程には、重森氏と鹿野の絆を感じさせる逸話も伝わっています。
著名な作庭家である重森氏は、全国を忙しく飛び回り、一カ所にとどまらない生活をしていたそうですが、漢陽寺の作庭中は、寺内で寝泊りしていたと伝えられています。
作庭には鹿野の住民も加わり、一緒に庭を造り上げました。古い写真には、曲水の庭にかけられた石橋を吊り上げ、設置に協力する住民たちの姿が写されたものも見受けられます。こうして地元の住民と共に庭を造るということは、重森氏にとっては大変珍しいことなのだとか。
作業だけでなく、その合間をぬって重森氏は、鹿野の住民に生け花など、さまざまなことを教えられる時間も持たれていたそうで、その様子は、さながら「重森塾」といった様相だったと伝えられています。
ただ一緒に作業をして庭を造り上げたのではなく、さまざまな交流を行いながら、作庭家と鹿野の住民がひとつになって造り上げた庭だと言えるでしょう。
この庭たちの見どころは、まさに今から。秋が深まり、紅葉した木々が、境内の庭に彩りを加えてくれます。
境内を歩くだけでも、紅葉を楽しむことができますが、せっかくすてきな庭のある漢陽寺を訪れたのであれば、庭園とともに紅葉を眺めてみるとよいでしょう。岩や砂のモノトーンと、苔の緑、そして紅葉の赤が合わさって、見ごたえのある雰囲気を作り出してくれます。
この時期には、中国自動車道のインターチェンジから数分の距離にある漢陽寺の駐車場は自動車やバスでいっぱいになります。多くの人が、この漢陽寺の紅葉を目にしようとやって来るんですよ。
11月になれば紅葉も本番。秋のドライブの目的地に、漢陽寺を訪れてみるのもいいかなと思います。