「ローカルブランドを追求し、お客様の期待を超え続ける」シウマイ弁当の崎陽軒が描く150年企業への道【神奈川県横浜市】

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横浜中華街の焼売から着想を得て誕生し、地元横浜を拠点に成長を続ける崎陽軒。そのシウマイ弁当は、世代を超えて愛される地元の味として知られています。一方で、駅構内や観光地の販売が中心だった同社は、コロナ禍で大きな試練に直面しました。しかし、その中で過去のデータを生かした迅速な対応と地域の特色をいかした新たな挑戦を通じて、地元と共に事業を守り、進化を遂げてきました。

崎陽軒が描く「ローカルブランド」の未来とはどのようなものなのか。常務取締役の君塚義郎さんに、挑戦の原点とこれからの展望について伺いました。

横浜市内の学校で授業を行う君塚さん

冷めても美味しいシウマイを軸に続ける、地元住民に愛される事業展開

崎陽軒は1908年創業の老舗(しにせ)企業で、駅弁や焼売、点心の製造販売を主軸に事業を展開しています。創業当時は、横浜駅(現在の桜木町駅)構内での営業許可を得て、牛乳や餅、サイダーを販売していました。その後、大正時代には弁当販売を開始し、1928年には冷めても美味しいシウマイの開発に成功しました。このシウマイは、横浜のシンボルとして愛され続けています。

現在の事業は、駅構内でのシウマイの販売だけでなく、ロードサイド店や百貨店での展開、さらにはオンライン通販にも広がっています。また、横浜本社に併設された「崎陽軒本店」ではレストラン事業を展開しており、地元住民だけでなく観光客にも親しまれています。

一方、取締役の君塚さんは1983年に崎陽軒に入社。研究室での衛生管理や商品開発を経験し、シウマイ点心事業部長や弁当事業部長を歴任しました。2022年には常務取締役に就任し、長年培った経験を生かし、150年企業を見据えた崎陽軒の未来を切りひらく挑戦を行っています。

「お互い様」を合言葉に乗り越えた、厳しい工場勤務

昭和時代の崎陽軒では、現場主義の文化が色濃く息づいていました。現場では、製造工程の工夫や改善提案が日常的に行われ、リーダーシップを発揮する若手社員も多く育っていました。当時は高度経済成長期の中で、社会全体が長時間労働に厳しくない風潮もありましたが、君塚さんは「忙しい中にも現場で工夫する面白さがありました」と振り返ります。

入社当初は、シフト表や当番表の作成といったリーダー業務を通じて、公平性と信頼関係の大切さを学びました。「現場では『お互い様』の精神が根付いており、それが大変な時期を乗り越える力になった」と語ります。このチームワークは、現在の崎陽軒の文化にも受け継がれています。

研究室で磨いた製品理解力生かし、会社の中枢を担う

君塚さんは、ほどなくして研究室に配属され、衛生管理や新商品の試作に従事しました。特に、シウマイの製造工程での効率化や品質向上に取り組み、部門内で評価を得ていました。その後、事業部長として複数のプロジェクトを成功させ、2010年には取締役に昇進。現在は、常務取締役の役職を担っています。

コロナ禍では、駅構内の売上が減少する一方で、ロードサイド店の売上が堅調に推移したことを受け、地域密着型の新店舗を展開しました。また、自社一貫体制の強みを生かし、売上データを迅速に分析し、事業方針を調整。2023年にはコロナ前の売上水準まで回復しました。「柔軟で迅速な対応こそ、これからの時代に求められる企業力だと実感しました」と君塚さんは語ります。

旨味の体験でシウマイを次の世代へ「食べ物の科学」でつなぐ食育

崎陽軒は地元横浜との関係を大切にし、さまざまな地域貢献活動を行っています。その代表例が「食べ物の科学」という授業プログラムです。この取り組みでは、シウマイの原材料や製造過程を題材に、科学や化学の面白さを小中学生に伝えています。授業では、干しホタテ貝柱の旨味やタマネギの調理過程による味の変化を実験的に学ぶ内容が含まれ、シウマイ作りの体験も人気を集めています。

また、見学コースを設けることで、製造現場の透明性を高め、顧客に安心感を提供する努力も行っています。「横浜市内の学校や地域イベントに積極的に参加し、地元の方々との絆を深めることが、私たちの使命です」と君塚さんは語ります。

世代を超えた信頼で目指す200年企業

崎陽軒は、創業当時から変わらず「横浜に根ざしたローカルブランド」の実現を使命に掲げています。これに加えて近年では、関西や北陸限定の「ご当地シウマイ」開発を通じて、他地域との文化交流を行い、さらなるブランド力の強化を目指しています。「地域の特色を生かしながら、横浜ブランドをさらに広げる挑戦を続けたい」と君塚さんは展望を語ります。

また、2028年の創業120周年を見据え、次世代に継承できる新しい主力商品を開発する計画も進行中です。「シウマイ弁当の歴史を守ると同時に、新しい価値を提供することで、地域の暮らしに寄り添い続けたい」との思いが込められています。

さらに、崎陽軒はこれからも災害や経済的困難を乗り越え、地域社会と共に歩む企業を目指します。「横浜が活気づけば私たちも元気になれる。その相乗効果を大切にしながら、150年、200年企業への道を目指していきます」と語る君塚さん。その言葉には、地域への深い愛情と未来への挑戦の決意が込められています。

崎陽軒は、横浜の象徴として、地域と共に成長を続ける企業です。挑戦の精神と地元愛が融合した経営方針のもと、世代を超えた顧客との信頼関係を築き、150年、200年企業への道を着実に歩んでいます。

聞き手、執筆:木場晏門

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木場晏門

木場晏門

神奈川県鎌倉市生まれ藤沢市育ち、香川県三豊市在住。コロナ禍に2年間アドレスホッピングした後、四国瀬戸内へ移住。webマーケティングを本業とする傍らで、トレーニングジムのオープン準備中。

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