
かつてカセットテープやビデオテープ、乾電池といった一般消費者向け(BtoC)製品で一時代を築き上げ、世界中の人々の記憶にその名を刻んだ「マクセル」。しかし現在、同社はタイヤの空気圧センサー用電池や産業用インフラ、医療・ヘルスケア分野など、BtoB(企業向け)領域へと事業の軸足を大きく移し、社会を根底から支える存在へと変貌を遂げています。
耐環境性能で厳しい条件をクリアしなければならない、タイヤの空気圧センター用電池の設計や電池事業の責任者を経て、2020年にトップに就任した中村啓次(なかむら・けいじ)社長。就任直後には、創業以来の社是「和協一致」を核とする新たな経営の基本方針「MVVSS」を制定しました。
激動のBtoC市場から、高度な基準を満たすことが求められるBtoB市場へといかにして舵を切ったのか。そして、社内から「無理だ」と猛反対された最先端の「全固体電池」の量産化を、なぜ世界に先駆けて成し遂げることができたのか。変化の激しい現代において、上場企業の理念がいかにして企業の成長エンジンとなり、未知の挑戦を支える力となっているのか。中村社長の言葉からその本質に迫ります。
目次
バブル崩壊直後に入社、現場でもまれた36年。「消えない」電池事業での試練と覚悟
「私は1990年の入社なんですが、本当はオーディオとかビデオとか、そういう華やかな事業をやりたくて入ったんですよ。ところが配属されたのは、大阪の電池工場。正直、最初はショックでしたね(笑)」
インタビューの冒頭、中村社長は少し懐かしそうに笑いながら、自身の原点を語り始めました。当時はバブル崩壊直後。配属された電池事業部では、いきなり凄まじい現実が待ち受けていました。
「配属されてすぐに、私たちが作っていた電池で大きなリコール問題が起きてしまったんです。もう、毎日毎日その対応に追われました。品質改善、原因究明、お客様への謝罪。3年間くらいはずっとその対応ばかりで、新しい製品を作るどころじゃなかった。本当にしんどかったですね」
しかし、このつらい経験こそが、後の経営者・中村啓次を形作る原体験となります。
「その時、ある先輩がこう言ってくれたんです。『電池っていうのはエネルギー産業だ。エネルギーが社会からなくなることは絶対にない。だから、この事業は絶対になくならないし、俺たちが立て直すんだ』って。その言葉でハッとしましたね。逃げずに、最後までやり遂げるしかないと覚悟が決まりました」

変化の激しいBtoCから、次代の社会課題を解決するBtoB領域へ。「まぜる・ぬる・かためる」が生んだ強靭(きょうじん)なコア技術
その後、マクセルは厳しい市場の変化に直面します。デジタル化の波により、主力だったカセットテープやビデオテープなどのBtoC製品は、事業環境が大きく変化していきました。
「一般消費者向けの製品は、どうしても海外メーカーとの資本力や価格競争の勝負になってしまいます。そこで我々は、自分たちのコア技術を見つめ直し、ボラティリティの低い、つまり事業環境の変化が少ないBtoB領域へと大きく舵を切る決断をしました」
製品の姿は変わっても、マクセルの強みの源泉は変わっていません。それが、創業以来培ってきた独自の「アナログコア技術」です。
「カセットテープも、実は『磁性体をまぜて、フィルムにぬって、かためる』という技術の結晶なんです。電池も全く同じで、『材料をまぜて、塗って、かためる』。この『まぜる・ぬる・かためる』というプロセス技術こそが我々の最大の強みです。この技術は、レシピみたいなもので、外からは絶対に見えない。ブラックボックス化できるからこそ、他社には簡単に真似できない強靭な競争力になるんです」

「できない」と言わない「イエス・イフ」の姿勢。顧客も気づかない潜在ニーズを掘り起こす
BtoB市場、特に自動車や産業インフラの分野では、極めて高い安全性と耐久性が求められます。マクセルはその厳しい要求に対し、持ち前の「現場力」で応えてきました。
その象徴が、現在世界シェアトップクラスを誇るタイヤ空気圧センサー(TPMS)用の耐熱コイン形リチウム一次電池です。
「タイヤの中って、遠心力もかかるし、温度もものすごく上がる、とても過酷な環境なんですよ。普通の電池ならあっという間に壊れてしまいます。お客様からは『こんな環境で10年もつ電池を作ってくれ』と、最初は無茶な要求をされました」
しかし、マクセルのエンジニアたちは決して「できない」とは言いませんでした。
「『これは無理です』と突っぱねるのではなく、『こういう条件ならできます』『こういう設計に変えれば可能です』と、何度もディスカッションを重ねました。お客様自身も気づいていない『本当の困りごと』まで入り込んで、技術と営業が一体となって解決策を提案していく。この『イエス・イフ(こうすればできる)』の姿勢が、BtoBビジネスで信頼されるパートナーになれた理由だと思います」

赤字の苦境で制定した「MVVSS」――創業社是「和協一致」に込めた現代の魂
事業の変革を進める中、2019年にマクセルは赤字に転落します。厳しい構造改革を迫られる中、2020年に社長に就任した中村氏が真っ先に取り組んだのが、新たな経営の基本方針「MVVSS(Mission, Vision, Value, Spirit, Slogan)」の制定でした。
「会社が厳しい状況の時こそ、『我々は何のために存在するのか』『どこへ向かうのか』というブレない軸が必要だと痛感しました。利益だけを追い求めても、人はついてきませんから」
中村社長は、多様な背景を持つ従業員たちと対話を重ね「Maximum Excellence(最高の価値)」を創造するというビジョンを掲げました。そして、その方針の根幹(Spirit)に据えたのが、1960年の設立以来受け継がれてきた社是でした。
「当社の社是は『和協一致 仕事に魂を打ち込み 社会に貢献する』です。みんなで協力し合い、自分の仕事に魂を込めて、世の中の役に立つ。これほど本質的で、今の時代に必要な考え方はないと思いました。どんなに事業が変わっても、この精神だけは絶対に変えてはいけない『魂』なんです」
「無理だからやめろ」を跳ね返した若い情熱。世界に先駆けた全固体電池の量産化
この「魂」が、マクセルに新たなイノベーションをもたらします。次世代のバッテリーとして世界中の企業が開発にしのぎを削る「全固体電池」の量産化です。
「実は全固体電池の開発を始める時、社内のベテラン技術者からは『あんな難しいもの、絶対に無理だからやめておけ』と猛反対されたんですよ(笑)」
しかし、若手エンジニアたちは諦めませんでした。
「若い技術者たちが『どうしてもやってみたいんです!』と食い下がってきた。その熱意と、彼らが持つ『まぜる・ぬる・かためる』という当社のアナログコア技術のポテンシャルを信じて、任せることにしました。結果的に、彼らの強い執念が技術的な壁を突破し、2023年に京都事業所で、世界に先駆けて本格的な量産体制をスタートさせることができたんです」

200年、300年と続く企業へ。「必要とされ続ける」喜びが社員の輝きになる
カセットテープから全固体電池へ。時代に合わせてしなやかに姿を変えながらも、核となる技術と精神は守り抜く。最後に、中村社長が見据える未来の姿を伺いました。
「日本企業の素晴らしさは、長く続くことにあると思っています。会社が200年、300年と続いていくためには、常に外部環境の変化に合わせて変わり続けなければなりません。でも、その根底にあるのは『社会の課題を解決する』という変わらぬ使命です」
「従業員には、1日7時間45分という貴重な人生の時間を、単に会社に切り売りするのではなく、『自分の仕事が誰かに必要とされているんだ』という実感を持って働いてほしい。そうやって『マクセルがなければ困る』と社会から言われ続ける存在でありたいですね」
幾多の試練を乗り越え、最先端の技術で未来を切り開くマクセル。その強さの秘密は、「アナログコア技術」と、決して諦めない「現場の魂」にありました。
取材者:ローカリティ!副編集長 丸山夏名美、執筆者:編集部 猪股豪
写真はすべて取材先様よりご提供いただいたもの
最も印象に残った言葉
「『イエス・イフ(こうすればできる)』の姿勢が、BtoBビジネスで信頼されるパートナーになれた理由だと思います」
企業情報
会社名:マクセル株式会社
代表者:代表取締役 取締役社長 中村 啓次
事業内容:エネルギー事業、機能性部材料事業、光学・システム事業など
公式HP:https://www.maxell.co.jp/
MVVSS(マクセルグループの経営の基本方針)
- Mission(使命): 独創技術のイノベーション追求を通じて持続可能な社会に貢献する
- Vision(ありたい姿):独自のアナログコア技術で、社員、顧客、社会にとってのMaximum Excellenceを創造する
- Value(提供価値): マクセルグループは、3つの価値創出を通じて、すべてのステークホルダーに企業価値の最大化を約束します
- Technological Value
独創性と技術力を誠実に追求し、新たな価値を生みつづけます。
- Customer Value
お客様のニーズに応え、安心・安全な製品を提供するため、期待を超えるモノづくりをつづけます。
- Social Value
豊かで持続可能な社会の実現のため、世の中の変化をとらえながら、あらゆる課題に挑戦しつづけます。
- Spirit(創業の精神): 和協一致 仕事に魂を打ち込み 社会に貢献する
- Slogan(スローガン): Within, the Future ~未来の中にいつもいる~






