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「世の中になくてはならない会社に」HUD世界シェア1位の日本精機が挑む、人とクルマをつなぐ未来【新潟県長岡市】

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  • ヘッドアップディスプレイ

車を運転しているとき、スピードメーターを見るために視線を下げなくても、フロントガラスに速度や案内情報が映し出される。そんな技術をご存じでしょうか。

HUD表示イメージ:日本精機株式会社提供写真

「ヘッドアップディスプレイ(HUD)」と呼ばれるこの技術で、世界シェア1位を誇るのが、新潟県長岡市に本社を置く日本精機株式会社です。

1945年の創業以来、時代の変化を見据えながら技術を磨き続け、世界の自動車メーカーを支える企業へと成長してきました。

「世の中になくてはならない会社になりたい」。そう語るのは、かつてHUDの開発に技術者として携わり、現在は同社を率いる代表取締役社長 社長執行役員の永野恵一(ながの・けいいち)さんです。

創業80周年を迎え、自動車業界が大きな変革期にある今、日本精機は何を目指し、どのような未来を切り開こうとしているのでしょうか。永野さんに、その挑戦と思いを聞きました。

新潟・長岡から世界へ。創業80年の技術が支えるモビリティ

日本精機の歴史は、終戦直後の1945年、新潟県長岡市で始まりました。翌1946年には「世界を翔ける日本の代表企業となる」という気概を社名に込め、日本精機株式会社を設立しました。

創業当初は機械や計器の製造からスタートしましたが、時代とともに電気・電子、液晶、ソフトウェアなどへと技術領域を広げてきました。現在の主力事業は、自動車やバイクに搭載されるメーターやHUDなどの車載部品です。日本国内だけでなく、海外にも事業を展開し、世界の自動車メーカーに製品を供給しています。

特にHUDは、開発・製造で世界シェア1位を誇り、同社の成長を支える中核事業となっています。しかし、現在の地位を築くまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。

1980年代、自動車業界で新しい技術として注目され始めたHUDに、日本精機はいち早く着目しました。当初は開発を進めてもなかなか受注につながりませんでしたが、研究を諦めることなく継続。1990年代に自動車メーカー向けHUDの量産化を実現し、その後、世界トップクラスの事業へと成長させてきました。

目先の成果だけを追うのではなく、社会や顧客が将来必要とする技術を見据えて挑戦し続ける。その姿勢が、日本精機の80年の歩みを支えてきました。

視線をそらさず情報を伝える。世界シェア1位のHUD技術

HUDとは、車のフロントガラスなどに速度やナビゲーション情報を映し出す装置です。通常のスピードメーターでは、運転者は道路の前方から一度視線を下げ、速度を確認しなければなりません。しかしHUDなら、前を向いたまま必要な情報を確認できます。

その価値が特に分かりやすいのが、高速走行の場面です。例えば、ドイツなどに広がる高速道路「アウトバーン」には、一部に速度制限のない区間があります。高速で走る車では、わずかな時間でも視線を道路から外すことが安全に関わります。

運転に必要な情報を素早く、分かりやすく伝えることは、事故のリスクを減らすためにも重要です。日本精機が追求してきたのは、単に情報を表示する技術ではありません。運転者が瞬時に情報を読み取り、安心して運転できる環境をつくることです。

2025年12月には、トヨタ自動車の新型RAV4に同社のHUDが初めて採用されました。表示に奥行き感を持たせる新しい機能を搭載するなど、技術の進化は今も続いています。

日本精機は2024年4月、企業理念体系を再構築し、「みえないものをみえるようにします」というミッションを掲げました。

「え!こんなに分かりやすいんだ!」「こんなに便利なんだ」

使う人が思わずそう感じるような「感動」も生み出したいと永野さんは考えています。物理的な安全性を確保するだけでなく、人が安心でき、便利さや使いやすさに驚くような製品を届けること。それが日本精機のものづくりの根底にあります。

クルマ好きの少年が、世界に挑む技術者になるまで

現在、日本精機を率いる永野さんも、技術者として歩み始めた一人です。

新潟県で生まれ育った永野さんは、幼い頃から自動車が好きでした。地元・新潟で自動車に関わる仕事ができないかと考えていたときに出会ったのが、日本精機でした。1989年、技術者として入社。間もなく、自動車メーカーと共同で進めるHUDの開発プロジェクトに参加しました。

当時のHUDは、現在のように広く普及した技術ではありませんでした。開発に必要な情報もノウハウも十分ではなく、まさにゼロからの挑戦でした。永野さんは図面を描くなど、技術開発の現場で経験を積み、仲間とともに試行錯誤を重ねてきました。

その後も一貫して技術開発を中心にキャリアを重ね、欧州赴任も経験。現地の設計部門のマネジメントや、自動車メーカーとの技術面での折衝などにも携わりました。

開発の最前線で製品を生み出す経験と、海外の顧客が何を求めているかを直接知る経験。その両方を積み重ねてきたことが、現在の経営にもつながっています。

2025年6月には代表取締役社長に就任。自らが開発に携わったHUDを世界的な主力事業に育ててきた日本精機を、今度は経営者として率いることになりました。

「世の中になかったものが形になる」挑戦の先にあった感動

「世の中になかったものが形にできた時は、すごく感動する」

永野さんの思いの原点には、入社当初から携わってきたHUDの開発があります。

既存の技術や慣習にとらわれず、うまくいかないときには原理に立ち返り、どうすれば実現できるのかを考える。そうした地道な積み重ねが、HUDの量産化につながっていきました。

2001年には、北米のゼネラルモーターズ(GM)向けのフルカラーHUDの量産化案件を担当。液晶パネルを使ったフルカラーHUDの開発・量産を実現しました。かつては実現できるかどうかも分からなかった技術が、実際の車に搭載され、人々の運転を支える製品になっていったのです。

こうした経験は、永野さん自身の仕事観を形づくるとともに、日本精機の技術力を支える土台にもなりました。大切なのは、一つの技術を完成させることではなく、その技術によって使う人にどのような価値を届けられるかということです。

日本精機が掲げる「安心と感動」という言葉には、永野さん自身が技術者として経験してきた、ものづくりの喜びも重なっています。

自動車業界の大変革期。社会の「少し先」を見据えて挑戦する

自動車部品の製造風景 :日本精機株式会社提供写真

現在、自動車業界は「100年に一度」ともいわれる大きな変革期にあります。電気自動車(EV)の普及や自動運転技術の進化に加え、ソフトウェアによって車の機能や性能を進化させる動きも広がっています。日本精機にとっても、これまでの技術力だけでは対応できない変化が起きています。

自動車メーカーにメーターやHUDを供給する日本精機は、顧客である自動車メーカーの事業と密接につながっています。

「車やバイクを造るお客様のビジネスが成功して初めて自社も売上が立つ。だからこそ、お客様の製品がエンドユーザーから選ばれるよう『安心』や『感動』を組み込んだ技術を提案し、市場の少し先を共に見据えて成長していくことが不可欠です」

車を購入する人が「ディスプレイが分かりやすいから、この車にしよう」と思うような製品を生み出せれば、自動車メーカーの競争力にもつながります。求められたものをつくるだけではなく、社会や市場の変化に目を向け、少し先に必要とされるものを考えて提案する。それが日本精機の目指すものづくりです。

一方で、新しい技術への挑戦を続けるためには、経営基盤を強くすることも欠かせません。

同社は「筋肉質な企業としてチャレンジを続ける」という経営理念のもと、収益力の改善や組織改革を進めています。永野さんは、社内でのタウンホールミーティングなど、社員と理念や目指す未来を共有する機会も大切にしています。

2024年4月には、新たな企業理念体系を策定しました。パーパスに掲げたのは「安心と感動に満ちた世界と未来をつくります」。世界で戦う技術力を持つ企業へと成長した今、改めて自分たちは何のために存在し、社会にどのような価値を届けるのかを明確にしたのです。

かつて、技術者として仲間とともに未知の開発に挑んだ永野さん。今度は経営者として、社員一人ひとりが新しい価値を生み出せる会社をつくろうとしています。

「なくてはならない会社に」表示から操作へ、人と機械をつなぐ未来

日本精機が次に見据えるのは、HUDやメーターで培った技術をさらに発展させ、人と機械をより自然につなぐ未来です。

その中心となるのが「HMI(ヒューマン・マシン・インターフェース)」という考え方です。HMIとは、人と機械が情報をやり取りするための仕組みのことです。車でいえば、速度などを知らせるメーターやHUDだけでなく、運転者が機能を操作するスイッチなども含まれます。

日本精機は2026年10月、車載スイッチ類などを手がける東洋電装株式会社を子会社にしました。これまで培ってきた「表示」の技術に「操作」の技術を組み合わせ、次世代のHMI領域で新たな価値を生み出そうとしています。

例えば、車が周囲の状況を把握し、必要な情報を運転者に分かりやすく伝える。運転者は迷うことなく、直感的に操作できる。そんな人と機械の自然なつながりを実現することが、これからの日本精機の挑戦です。

HUD表示イメージ:日本精機株式会社提供写真

そして、その可能性は自動車だけにとどまりません。同社が長年磨いてきた「はかる技術」「つながる技術」は、さまざまな機械や設備、人々の暮らしを支える領域にも応用できるものです。

「単に金銭的な価値を追求するだけでなく、世の中から『なくてはならない会社』と思われるかどうかが重要なんです」

社会や顧客にとって必要なものを生み出し続けることで、「日本精機がなければ困る」と思われる存在になること。それが永野さんの描く未来です。

1945年、長岡の地で始まったものづくりは、80年の歳月を経て、世界のモビリティを支える技術へと成長しました。情報もノウハウもない中でHUDの開発に挑んだ技術者は、今、社長として次の時代を切り開こうとしています。

創業から100年、その先も挑戦する精神を忘れず、技術を磨き続ける。

「みえないものをみえるようにする」という変わらない使命のもと、日本精機は人と機械をつなぎ、安心と感動に満ちた未来の実現を目指しています。

日本精機社屋  :日本精機株式会社提供写真

もっとも印象に残った言葉

「単に金銭的な価値を追求するだけでなく、世の中から『なくてはならない会社』と思われるかどうかが重要なんです」

聞き手:ローカリティ!編集部副編集長 丸山夏名美 執筆:同副編集長天野崇子
※写真:提供写真以外すべて2026年9月3日丸山夏名美撮影

企業情報

会社名: 日本精機株式会社
取材対象者: 代表取締役社長 社長執行役員 永野恵一さん
設立年月: 1946年12月24日(創業:1945年12月)
経営理念: 「筋肉質な企業としてチャレンジを続け、社会と企業の持続的な繁栄に貢献します」
事業内容: 自動車・二輪車用計器、ヘッドアップディスプレイ(HUD)、センサー、電子部品などの開発・製造・販売
所在地: 新潟県長岡市東蔵王2丁目2番34号
URL: https://www.nippon-seiki.co.jp/

天野崇子

天野崇子

第1期ハツレポーター/1968年秋田県生まれ。東京の人と東京で結婚したけれど、秋田が恋しくて夫に泣いて頼んで一緒に秋田に戻って祖父祖母の暮らす家に入って30余年。

ローカリティ!編集部のメンバーとして、みなさんの心のなかのきらりと光る原石をみつけて掘り出し、文章にしていくお手伝いをしています。

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