
2025年3月11日、国内観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震となった東日本大震災から14年が経った。
この日、筆者は死者、行方不明者が最も多く特に津波での被害が甚大だった石巻市へ向かい、祈りを捧げた。
東日本大震災以降も全国各地で大きな災害が多発している。さらに、千島海溝や南海トラフでの巨大地震、首都圏直下型地震が近い将来発生する可能性があるといわれている。
2024年8月8日には宮崎県で地震が発生し、南海トラフ地震臨時情報が発表されるほどの災害に見舞われた。
災害はいつ起きるかわからない。過去の経験や今後の備えだけで十分といえるのだろうか。想定をはるかに超える災害も多発しており、もはや、通用しなくなってきているのではないだろうか。

どんな思いで高台避難をしたのかを想像
日和山公園からは石巻南浜津波復興祈念公園の景色が広がる。東日本大震災前は住宅街であり、様々な生活の営みがあったはずだ。しかし、東日本大震災で風景は一変し、犠牲者が出る大災害となった。

東日本大震災当日、避難者はどんな思いで駆け上ったのか。筆者は想像しながら日和山公園へと向かった。
津波浸水想定区域内には東日本大震災以降、高さを示す目印が随所で見られるようになったが、目印を示すだけで無事に避難できるのだろうか。身体障害者や高齢者の避難や車での避難となればどうなるのか。「想定外」を想定しながら普段から街を歩いてイメージしておくのがいいかもしれない。

高台のない仙台市沿岸部・津波からどう避難⁉
一方、同じく津波被害を受けた仙台市沿岸部には高台がない。そんな中、東日本大震災当日は、現在震災遺構となっている仙台市立荒浜小学校に多くの住民らが避難した。

仙台市沿岸部は比較的平地であるため津波避難タワーやかさ上げされた場所も多い。避難者の安全は十分に確保できるのか。

津波避難の目印となってはいるものの地震による倒壊などで被害を受けたらどう避難すればいいのだろうか。十分な収容確保はできるのだろうか。筆者は想像し続けた。

1611年の慶長三陸地震と1835年の地震では浪分神社まで津波が到達したといわれている。慶長三陸地震後の1703年に建立された浪分神社は、津波が到達した境目になったとされている。東日本大震災では、仙台東部道路にせき止められるかたちで浪分神社には到達しなかった)。
津波浸水区域に限らず、高台もしくは内陸部に避難して自分の身を守らなければならないことを痛感させられる光景だった。

仙台市の中でも津波浸水想定区域とされていた太白区四郎丸では直接的な被害はなかった。しかし、「津波は来ない」と言い切れるのだろうか。いや、違う。
某地区ではハザードマップの作製や地域内を歩いてでの避難なども試みているが、それだけで間に合うのだろうか。
コミュニティーはもちろん大切だが、何よりも自分の身を守る自助努力も不可欠だ。
目に見えない場所で災害リスクは必ず潜んでいる。ハザードマップや従来の想定だけでは追いつかないことをご理解いただきたい。自然の猛威はどのようにして我々を襲うか想像もつかない。もし、避難場所で火災が起きたらどう対応をとるのかを、ひとりひとりが考えるてほしい。
災害はいつ、どこで起こるかわからない。
「ここに避難できるかも」と、街を歩きながら考えることは、防災の第一歩かもしれない。
いざという時、「想定外」を想定して状況に応じて臨機応変に対応することが望ましい。まず、自分ができる最善を尽くす努力をしよう。
「災害前、災害時、災害後」という流れも理解して日頃から心の準備をしていくことが命を守ることにつながる。日本に住む私たちにとって個人が防災意識を高めていくことが防災のリスクを下げることにつながる近道かもしれない。ぜひ自分の住む街や旅先で滞在する街を歩いて普段から考えてみてほしい。
※写真はすべて筆者撮影