
バリ島を旅する人なら、一度は耳にする伝統舞踊「ケチャ」。
島のハイライトとも言われるこの舞踊は、実は一つの形に収まらない。
代表的な2つの舞台、ウルワツ寺院とタナロット寺院を巡ってみると、その違いは想像以上だった。
目次
そもそも、ケチャとは何か
ケチャは、楽器を一切使わない。
数十人の男性が円陣を組み、「チャッ、チャッ、チャッ」という掛け声とリズムだけで物語を紡いでいく、世界的にも珍しい舞踊だ。
起源は宗教儀礼にあり、もともとは神が人に憑依(ひょうい)するための儀式だったと言われている。
現在広く知られる舞台形式のケチャは、オランダ統治時代に舞台芸術として再構成されたものだが、祈りの要素はいまも色濃く残る。
演目の多くは、ヒンドゥー叙事詩『ラーマーヤナ』がベース。
善と悪、守護と混沌(こんとん)、火と祈り。
声と身体、そして炎だけで、それらが立ち上がってくる。

崖の上で観る“熱狂”──ウルワツ寺院のケチャ
ウルワツ寺院のケチャは、断崖絶壁に設けられた円形劇場で行われる。
夕日が海に沈み、空が群青に変わるころ、円陣を組んだ男たちの声が一斉に響き始める。
やがて火が灯り、物語は一気に加速する。
宙を舞う炎、散る火の粉、闇に浮かぶ演者の身体。
終盤の火のシーンは、思わず身を引くほど近い。
観客席はいつもほぼ満員で、スマートフォンを構える人も多い。
それでも、火と声が生む緊張感は圧倒的で、これは単なる観光ショーなのか、それとも儀礼なのか——
その境界が曖昧になっていく感覚が残る。


物語を「追える」──タナロット寺院のケチャ
一方、タナロット寺院のケチャは、海に囲まれた寺院を背景に行われる。
こちらはウルワツほど演出が派手ではないが、その分、丁寧だ。
ナレーションが充実しており、物語の進行を音声でも追うことができる。
多言語の解説メモが配られ、子ども連れへの配慮も感じられる。
演者の中には高校生くらいの若者もおり、この踊りが「保存された伝統」ではなく、いまの文化として受け継がれていることが伝わってくる。
観るというより、地元の文化祭を少し覗かせてもらったような感覚に近い。


2つのケチャを見て、思ったこと
ウルワツとタナロット、2つのケチャの違いを挙げていくと意外と多い。
演者の衣装や基本構成は共通しているものの、会場のスケール感は大きく異なり、断崖の円形劇場を持つウルワツはより舞台的。一方のタナロットは海と寺院に囲まれ、背景の海の静けさや語りの丁寧さが印象的だった。
アクセス面でも、ウルワツはやや移動の難易度が高いのに対し、タナロットはサンセット観光と組み合わせやすい立地だ。
演出面では、大きな会場をダイナミックに使うウルワツに対し、タナロットは開かれた空間で演者との距離も近い。
どちらが良い、という話ではない。
むしろ両方を見ることで、ケチャが「変化しながら生き続ける文化」だと実感できる。
公演時間はどちらも約60分。少し長いかと思ったが、気づけば最後まで見入っていた。
もし旅程に余裕があるなら、ぜひ2つともご覧いただきたい。


(写真は全て筆者が撮影(2026.01.01)





