〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜
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大阪府大東市で極上のあられを作る「有限会社とのや製菓」
大阪府大東市で極上のあられを作る「有限会社とのや製菓」の戸野谷高士(とのや・たかし)さん。ひいおじいさんが大正時代に始めた米屋が代々引き継がれ、高士さんのお父さんの代、昭和31年頃から米菓製造も始めたそうです。
当時は製品のほかに揚げおかきの生地の供給も始め、そこから生地作りのノウハウを積み重ねていきました。その後、4代目の高士さんがあられの焼き生地を製造することになり、「あられ生地屋」としてさらなる進化を遂げます。
高品質な米菓の生地を手間ひまかけて提供
「おかきって作るのにすごく手間がかかるんです。玄米を精米して、一晩水に浸してからおもちにして、2〜3日してかたくなったおもちを商品ごとの大きさに切り揃えて、そこから2〜3日、商品によっては1週間かけて乾かして、それをゆっくり寝かした上でないと焼けません。うちは生地をずっと作ってきたので、そのノウハウを使って生地をきれいに干し上げて長期間保管することができるんです」と語る戸野谷さん。
なんと、製造は戸野谷さんと奥さんのふたりだけで作業されているとのこと。一年分の生地を1〜3月にまとめて作り、それを品質を落とさずに保管して、催事の直前に焼いたり揚げたりします。
平成6年に小売りを目指してカタログ販売から始めましたが、百貨店からの誘いで催事に出店し、その後、大阪の食博覧会(「食の都・大阪」を広くアピールするため、4年に1度開催されているイベント)で揚げもちの実演をしてから、あちこちで声をかけてもらえるようになったそうです。
道具や素材への徹底したこだわり
戸野谷さんは道具や素材にもこだわります。
食博覧会で揚げもちの実演をするにあたっては、フライヤー(揚げ物を作るための調理器具)を自分でカスタマイズしたそうです。
「ヒーターは特注で作ってもらい、電気屋さんに3段階の安全装置をつけてもらいました。コロナウイルスの関係で今は実演は減っていますけど、地元の百貨店さんから依頼があったときは赤飯の実演もやっています。蒸す台も自作しました。もち米は自家精米であずきは丹波篠山(たんばささやま)産のもの。お客様にも好評です」
周りの人たちには「やりすぎや」と言われるという戸野谷さん。機械のみならず、玄米を保管する低温倉庫も自分で工事し、メンテナンスもこなします。
また、おかきに使うもち米は国内産水稲もち米、塩はこだわりの塩を買って自分で焼き、醤油も着色料など入っていないものを探して、サトウキビから1番最初に取ったきび砂糖と水あめを使って炊き込んだものを使う、という徹底ぶり。
戸野谷さんがそこまでして、「美味しい」「良い」商品を作ろうと思うのには理由があります。
「美味しいおかきありがとう」というその一言が僕の支え
「催事の世界に入って初めのころ、京都の山科区で3か月に1回くらい定期的にやっていた小さな催事がありました。そこに毎回腰の曲がったおばあさんが来て、量り売りのあられを1袋買ってくださるんです。その時に、手をかざして拝んで、美味しいおかきありがとうって言って買ってくれました。僕はこの人のためにおかきを作ろうと思ったんです」
そういうお客さんとのふれあいが催事のたびにある、と戸野谷さんは語ります。だから、原材料の品質を落とさず、値段も高くせず売ろうと思う、と。
「ああいうおばあちゃんでも、1個をほんまに喜んで買ってくださるお客さんがいはんのやったら、やったらええなあと思ってやってきたんです。それが僕の支えなんです。いくらしんどい時期があっても、コロナウイルスで売り上げが落ちても、全然そのへんは気にならないんです」
モノづくりに必要なのは情熱、という戸野谷さんの原動力は、何よりもお客さんに喜んでもらっているというその実感なのかもしれません。
「お客様の選択肢として、本当にいいものを残していけるような時代になってほしいし、そういう国になってほしい。こだわってモノづくりをしている人の商売が成り立つような世界であってほしいです」
最後に戸野谷さんはそう語りました。
戸野谷さんの思いと、その技術が引き継がれていくことを願ってやみません。