ー心優しいケアロボットが活躍する近未来を描いたディズニー映画『ベイマックス』で描かれた世界が実現しようとしている。
ベイマックスの目には、「ハイパースペクトルカメラ」が搭載されている。ハイパースペクトルカメラは、人間が通常3原色で認識している可視光を、141原色に分類、つまり人の目の47倍細かく色の違いを識別できる高性能のカメラとして、近年注目を集めている。このハイパースペクトルの応用工学技術を使って、医療や基幹産業を始めとした多様な領域で事業を展開しているのがMilk.株式会社(以下Milk.)だ。
Milk.が実現しようとする未来とは。その挑戦と原点について、代表取締役CEOの中矢大輝(なかや・だいき)さんに話を伺った。
目次
食品の産地・精度の解析、美術品の真贋判定から、医療、宇宙まで。ハイパースペクトルカメラが拓く新たな事業
Milk.はハイパースペクトルカメラの技術を、医療分野を中心に農業や鉱物探査、美術品の真贋判定(本物か偽物かの判定)、宇宙などの領域に応用し、ソリューションを提供するディープテック企業として、2019年に創業した。
「高精度のハイパースペクトルカメラの製造からレンタル、得られた画像の解析、解析のコンサルティング、ソフトウェアやシステムの受託開発がMilk.の主な事業領域です。ハイパースペクトルカメラは人間の目には識別できない細かい色の階調を見極めることができます。
この技術を食品分野に応用すると、鮮度や加工具合、たんぱく質の含有量、産地などが、カメラから得られた画像を分析することで分かるようになります。この技術は美術品や鉱物、ブランド品の真贋判定などにも活用でき、Milk.が持つコア技術を活かせる領域は多岐に渡ります」と中矢さん。
Milkに集うメンバーは、2024年7月現在、20名を超え、順調に事業を拡大している。
すべての原動力は「好奇心」。常識を壊して新しい基準を作り、世界に感動を届けるために物理の道へ
「可視光領域には、まだまだ未知の領域が広がっています」と語る中矢さんは、Milkの事業を、人類の新たなフロンティアを拓くものと位置付けている。このフロンティア(開拓)精神の原点はどこにあるのだろうか。
「子どもの頃から、『(自分の中の)世界ってこんなもんなんだ』という常識を壊してくれる存在に憧れがありました。両親に連れて行ってもらったUSJで見たハリウッドの町並み、短期留学で訪れたオーストラリア、旅行で行った中国など、自分の知らない世界に触れた時に、感動して、夢を膨らませていたのを思い出します」と中矢さんは、幼少期・少年期を振り返る。
「そんな中で、最も自分の常識を壊して新しい世界を見せてくれた存在が、高校の時に出会った『物理』でした。アインシュタインの相対性理論は、私が当時知っていた時間や空間の概念を根本から変えるものでした。物理に出会って、将来は何か大きな発明、大きな発見をして世界に感動を届けたいと思うようになりました」。
そうして中矢さんは高校卒業後アメリカに留学し、天文物理の領域で研鑽を積んだ。専攻する分野を選ぶ過程で、研究分野としてメジャーな領域よりも別のアプローチで功績を残したいと考えるようになった。そこで出会ったのが北海道工業大学の佐鳥新(さとり・しん)教授が研究する、ハイパースペクトルカメラの応用工学技術であった。
中矢さんは、『人間の目を超えたカメラ』という思想のもとに設計されたハイパースペクトルの可能性に魅せられ、帰国。その後、佐鳥教授が代表を務めていた北海道衛星株式会社に参加し、千葉県長生村のラボで研究員を務め、特許が取れた段階でMilk.を起業した。
人が見分けられない可視光「ゴーストカラー」を可視化・抽出し、データを解析する技術
中矢さんが人生を賭けるほど魅せられたハイパースペクトルカメラの応用工学とはどのようなものか。
「ハイパースペクトルの価値は、可視光の見えない波長(この色の階調をMilk.では『ゴーストカラー』と呼んでいる)の情報を細かく取り出すことなんですが、データがあるだけでは不十分で、データ画像を解析する技術、アウトプットとしてのデータの品質が重要です。
AIや統計学、マテリアル系の知識など、色んな分野の知識がなければ、ビジネスでの運用、社会実装はできません。Milk.はこれらの総合的なナレッジを『ハイパースペクトル応用工学学会』として蓄積しています。その蓄積があることで、通常なら数年かかる学習プロセスを短縮できることがMilk.の強みです」と中矢さん。
Milk.はハイパースペクトルに関連するハードウェアの特許を2件、ソフトウェアの特許を1件有している。生成AIの技術が向上し、扱えるデータの幅も広がってきたことで、ハイパースペクトルカメラの応用工学技術は近年著しい発展を見せている。
その中でもMilk.が力を入れているのが、医療の領域だ。
「がんは細胞核の色を見ればわかる」。医療への応用で、がんの病理診断の構造的問題に挑む
「がんは、ハイパースペクトルカメラで細胞核の色を見れば識別できる可能性があることがわかってきました。(識別には、AIを使ったアプリを使って解析をかける)。私たちが得意としているのは、大腸がん、卵巣がん、子宮がんの発生予測ですが、最近になって、特に発見が難しいと言われる膵臓癌で、識別精度98%、感度と特異度ともに99%以上の高い識別率を発揮できることがわかりました」
Milk.が開発した、がん発生予測システム「ANSWER for Pathology」はがん診断のあり方を根幹から変えるという。がんの最終診断は病理診断医という専門医が目視で行っている。この病院診断医は国内で2700名程度しかおらず、検査方法もスライドに乗せた生体組織を顕微鏡で目視するというアナログな手法なため、最終的ながんの病理診断が下るまでに平均で3週間の時間がかかってしまう。
中矢さんは、「ANSWER for Pathologyを医療のシステムに組み込むことで、がん診断の精度時間・診断時間短縮、がんの早期発見、正しい治療方法の選択・実施による生存率の向上、社会保険料の抑制など、さまざまな構造的な問題の解決が期待されます。将来的には、たんや尿、血液でがんの診断ができるようになり、『病院にいかないとがんの診断ができない』という現状の診断の仕組みを抜本的に変えていきたいと思っています」と、今後の展望を語った。
この問題は、日本国内に限った話ではない。カンボジアではがんの病理診断ができる医師は10人程度と言われている。ハイパースペクトルカメラによるがんの病理診断は世界で求められている技術なのだ。
「つまらなそうに仕事をしないで、もっと大きな夢を持ってほしい」。起業支援に取り組む理由。
中矢さんの挑戦は、画像解析、医療の世界に留まらず、常識を覆して世の人に感動を与える全ての領域に及んでいる。大学生を中心とした10代、20代の起業支援「YARD Meetup」も、Milk.が主軸に据える事業の一つだ。
「もっと(10代・20代の)若者に大きな夢を持ってほしいんです。若者を見てると、つまらなそうに仕事をしている人が多いのかなと感じます。とは言え、若者全体を変えるのは難しいので、大きな志を持った経営者を一人でも二人でも多く育て、その人たちが若者の身近なモデルとなることで、若者が理想や夢を持ってキャリアを選択することを一般的にしていきたいです」
中矢さんは、既存の会社の働き方にも疑問を投げかける。
「会社に合わせて人が変わるのではなく、人(やその志)に合わせて会社や世の中が変わっていくべきだと考えています。Milk.はその思想で経営していますし、起業支援においても、関わる大学生にそのように伝えています」
インタビューの最後、若者へのメッセージについて尋ねると、中矢さんは「ハイパースペクトルカメラは、(ディズニー映画の)ベイマックスに使われている技術なんです。色の階調を見ただけで健康状態や心理状態が分かってしまうし、空を飛んで町中をスキャンすれば、いろんな情報を読み取って解析することができます。この技術は、今後認知症予防にも使える可能性があります。そのように、『世界の常識を変えていく』ということに、皆んなが夢を持てる社会が理想だと思います」と結んだ。