「家賃非公開?入居者募集しないアパート?」事業性より家族のような関係性を優先する共同住宅(前編)【沖縄県糸満市】

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沖縄本島最南端の糸満市に「コミュニティ・アパート」という聞きなれない、一見シェアハウスにも似た共同住宅がある。その名は「あまはじや」。

シェアハウスとの大きな違いは、アパート事業を通して、住民同士が家族のような関係性を築き、地域の住民とも積極的に関わりながら、地域の課題解決に携わろうとする姿勢があること。アパートオーナーが、血縁関係のないコミュニティの大切さを体感したのは、自身の幼少期のご近所付き合い。

極上の空間を提供する元ホテルマンのオーナーが、こだわりにこだわったアパートで、家族のような関係の住民たちとともに、コミュニティが持つ力を通して、少子高齢化と過疎化によって限界集落となっている地域と関わっている。

変わった名前のアパートに行ってみたら、建物から“人好き”がにじみ出ていた

沖縄県糸満市にある、「コミュニティ・アパート 山城(やまぐすく)のあまはじや」(以下、あまはじや)の玄関を入ると、2階建てのアパートの1階部分だと思ってたのに、1階の天井部分がないのに驚く。建物の中央が吹き抜けになっていて、とても開放的で広い空間が目の前に広がる。

その吹き抜け部分は、アパートの住人みんなが利用できる共有スペースで、大きなアイランドキッチンとダイニングテーブルがある。このキッチンに住人みんなが集まって、ホームパーティをすることもあるそうだ。

アパートの名前は「山城のあまはじや」。山城は集落の名前、「あまはじや」は沖縄の方言で、「雨端(あまはじ)」と「家(やー)」の組み合わせ。

雨端とは、突き出した屋根の下にできる大きな軒下空間で、雨の侵入だけでなく、沖縄の夏の強烈な日差しも防いでくれる家という意味だ。

オーナー兼入居者の守谷光弘さん(以下、もーりーさん)とパートナーが暮らす部屋の他に、3世帯が暮らしており、合計4世帯の共同住宅である。

共用のキッチンとダイニングの延長線上には、4畳半の小上がりの和室があって、この和室は入居者の家族や友人が泊まれるように、ふすまを閉めれば客間になる仕様だ。なんと和室の奥には洗面所とシャワールームまである。

高級マンションに付帯されているゲストルームは見たことがあるが、ゲストルーム付きアパートは初めての体験だった。

もう1つ変わった印象なのは共用スペースの床部分だ。日本の住宅は、戸建てだろうが共同住宅だろうが、玄関を入ると靴を脱ぐことが一般的だが、「あまはじや」では違った。共用スペースの床は土間になっていて、始めは靴を脱いだ方がくつろげるのになとネガティブな印象を持ったが、理由を聞いて驚いた。

元ホテルマンのもーりーさんにとって、共用スペースはホテルでいうロビーの位置づけ。暑い日には涼みに入り、用を足したければトイレを自由に使えるような、公共の場所のように気兼ねなく入れる場所にしたかったという。他所のお宅にお邪魔する際に靴を脱いで上がるのは、訪問する側も迎える側もそれなりの準備がいるから、そのハードルを取り去りたかったという。

各部屋にもキッチンやトイレといった水回り設備が備え付けられているのに、共用スペースにも皆で楽しめるように広々としたキッチンやダイニング、更にはゲストルームとしても使える和室に、来訪者にオープンな土間。一風変わった名前のアパートを造ったオーナーは、相当人が好きなことが伝わってくるしつらえだった。

建物の中央が吹き抜けになっていて、とても開放的な空間
和室兼客間、和室の奥には洗面所とシャワールームがある
2階から見た共用スペース、床は土間になっている

コミュニティを大切に思うことになった原体験

人が大好きなもーりーさんが、子ども時代に住んでいた場所は、新興住宅地で、引っ越してきた住人同士が皆初めての顔合わせとなるような環境だった。そんな中、たまたま両隣のご家族と、向かいのご家族と仲良しになり、父親たちは月に1回マージャンをし、母親たちは井戸端会議をし、子どもたちは同世代だったため、よく一緒に遊んだ。各グループが横でつながり、いい時間だった記憶が子どもながらにあった。

親が外出するときは、子どもは誰かの家に遊びに行き、おなかが減ればその家で食事をごちそうになり、親の帰宅が遅ければお風呂にも入れてもらって、親が迎えに来るまでその家で寝てしまうこともしばしばあったという。隣家の親たちが分け隔てなく接してくれたので、遊び相手に困ることも、寂しい思いをすることもなく、親戚以上の関係性だった。

そのような価値観を持ち、大人になったもーりーさんが子ども持つようになった時に感じたのは、昔当たり前にあったご近所付き合いがない世の中になってるということ。

子どもが一番手が掛かる時に、親しか面倒を見る人がいない状況にあり、時々でも手放せるような環境がないということだった。それでももーりーさんがラッキーだったのは、子どもの父親同士、母親同士の親しい間柄の友人が、車で5分くらいの距離にいたことで、時には子どもを預けあえたことだった。

また、もーりーさんが実母の介護をする中で、感謝することもあった。絶対に普段着では外出しなかったような母親が、認知症の進行により、普段着でしかもサンダルで商店街に行くようになってしまった。そんな時に、商店街の方たちが大丈夫かしらと心配をしてくれた。そんな普段とは異なる異変に気づいてくれる、地域の目、地域コミュニティのありがたさを感じる経験があった。

もーりーさんに、「コミュニティって別の言葉に置き換えると何ですか?」と聞いてみた。返ってきた言葉は「家族、そこに血縁があってもなくても」だった。

「血縁があるから家族と思えるものでもないし、慶弔時しか会わないような親族でも、家族と思えるような人もいれば、思えない人もいる。沖縄の方言でいえば『やーにんじゅ』、血縁に関係なく、家族のようだと思える人たちの集まりがコミュニティなんでしょうね」

プラン図を元に、コンセプトを聞かせてくれるもーりーさん

大切にしている軸と、コミュニティ・アパートの誕生

もーりーさんがずっと感じていることがある。

貧困問題や少子高齢化、独居老人の孤独死や子どもの孤食などの問題。社会構造が変わってないどころかひどくなっている。

自身が幼少期に感じていたご近所付き合い、当時は助け合っている意識はなかったが、結果的に助け合っていたという関係性は、現代においては当たり前じゃないし、今はそれを作り込んでいかないといけない寂しい世の中になってしまった。

助けを必要としてる人が、世の中にはたくさんいるのに、誰も手をさしのべていない。

だからコミュニティの力で解決していこうと考えた。NPOやボランティアの形でやっても長続きしないから、ビジネスの力で、コミュニティビジネスの手法で解決しようと考えた。

もーりーさんが最初に思い描いたのは、コミュニティカフェだった。ほれ込んだ海人(うみんちゅ)文化の発信をしていくために、カフェにそれを伝える資料館や工房を併設することで、カフェに来る不特定多数のお客さんに海人文化を広げられる可能性がある。

また、農村地域には買い物難民や食事難民も多い。カフェを経営しながら買い物難民を助けたり、手も足も不自由な人が、つえをついてお弁当を買いに行く姿を見て、店屋物(てんやもの)文化を沖縄に広めたいとも思った。農村だから規格外の野菜を安く仕入れたり、カフェで残った在庫を弁当にして配達するのもいいなと考えた。地域の伝言板みたいなものを取り入れて、サトウキビの収穫や、ニンジンとりを手伝ってくれる人とか、そういう情報を出してマッチングしたりと、コミュニティカフェ構想はどんどん広がっていった。

そんな折、住宅用の土地の購入が完了し、どんな家を建てようかという話をしてる中で、環境に配慮した仕組みを取り入れた賃貸住宅「エコアパート」の存在を友人から聞いた。興味を持ち見学を申し込んだところ、トントン拍子に説明を聞くことができた。

コミュニティカフェというスタイルは、広く知られているビジネスモデルだったが、コミュニティ×アパートという掛け合わせは聞いたことがなかった。アパートの住人だけじゃなく、共用スペースをワークショップの会場にすることで、地域の人たちも巻き込んで関わりを持つこともできる。

カフェの方が間口が広くて多くの人に関わってもらいやすい面はあるが、カフェじゃなくても、自分がやりたいことが出来る選択肢が見つかった瞬間だった。コミュニティカフェからの流れを組んでいたため、名前はコミュニティアパートにしようと決め、道が一気に広がった。

模型を使って、あまはじやで実現していきたい思いを語ってくれる
1階の真ん中にある共用スペースで、入居者とともに食事会をした時の1枚。みんなで作ってみんなで食べることで、自然と絆も深まる

後編に続く:https://thelocality.net/amahajiya2/

情報

お問い合わせ・取材申込み
コミュニティ・アパート 山城のあまはじや

所在地: 〒901-0352 沖縄県糸満市山城122番地
HP:https://home.tsuku2.jp/storeDetail.php?scd=0000166964
電話番号: 080-5535-5278

※現在入居者募集はしていません

市来聡

市来聡

沖縄県糸満市

第7期ハツレポーター

2023年3月に、次の仕事を決めないまま勤務先を退職。さらに、常識やこうであるべきといった、自分を押さえ付けるしがらみを、全て取っ払った時に顕在化した、「沖縄に住んでみたい」を叶えるため、家族と共に移住。

子どもの時は親が決めた場所、大人になってからは、家賃の手頃感や自身の勤務先に近い場所といった基準で、住む家を決めてきたが、今の住まいは、人生で初めてと言っても過言ではないくらい、自分の「好き」を軸に決めた。

そのおかげで、満足度の高い状態が続き、地域への思い入れが強まり、他所から来た自分たちを、温かく受け入れてもらってる感覚を持っている。そしてその感謝の気持ちを少しでも、地域や地域の人たちに循環したいという思いが芽生えている。

ご縁があって、移住して間もなく、夫婦でラジオパーソナリティをする機会をもらい、現在も放送を続けている。地縁も血縁もなく沖縄に来た自分たちは、少しでも知り合いを増やしたい思いもあり、地域に住まう方々に、ゲストとしてラジオに出演してもらい、出演後はそのゲストに次のゲストを紹介してもらう、笑っていいともの「友だちの輪」を真似したやり方で、放送を続けている。

パーソナリティをやっていて感じることは、もっとみんなに知ってもらいたい、個性的で魅力的な市民がたくさんいること。反面、ゲストが取り組まれている活動を、ラジオの放送時間内に語り尽くせなかったり、心に響く内容も、音声の放送では形として残らず流れていってしまうため、もどかしさを感じることも経験。
そこで、文字情報として残していくことが、いつでもどこでも何度でも、その魅力を味わってもらえる機会になるのではないかと考え、ハツレポーターにチャレンジすることを決断。

3 件のコメント

  1. 市来さんおはようございます。素敵なグループに出会えて良かったてすね。イキイキしてようすが文面から伝わってきます。

    • 真喜屋さんコメントありがとうございます。
      「あまはじや」これまで見たことがないとりくみですよね。
      市来さんの思いあふれる記事にふれて私も訪ねてみたくなりました。
      ローカリティ!編集部より

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