歴史といえば、新撰組や白虎隊など、歴史的観点やその人物像が、大河ドラマや小説などで描かれてきた背景があるなか、近年若い世代ではサブカルチャーとしてアニメやゲームといった新しいコンテンツをきっかけとし、その時代に生きた人々と歴史に魅力を感じる方が増えてきた。
2000年代からは”歴女”ブームが到来、戦国時代を中心に幕末の人々に思いを寄せる「幕末派」の女子も多く、熱狂的に歴史を追いかける世代は幅広いといえる。
幕末から150年あまり。戊辰戦争当時、秋田ではどのような戦争が起きていたのか――――
秋田県内をめぐり隠された歴史の情報をひも解き、将来的に映画化を目指す「秋田口戊辰戦争 映画プロジェクト」で、県内各地の情報を調査し、広報業務を行っている二番大隊長 櫻田智子(さくらだ・ともこ)さんに活動や活動をするきっかけなどについてお話を伺った。
目次
そもそも戊辰戦争はどのような戦争だったのか
江戸時代という265年続いた武士の時代は、朝廷や新政府によって1867年に王政復古、明治天皇を中心とした国政へと移り変わっていく。その新政府による新しい時代の動きに不満を抱いた旧幕府軍と新政府軍との間で争いがおこった。これが幕末の戊辰戦争、明治維新のはじまりだ。
京都伏見、会津若松、新潟長岡、江戸、五稜郭などの戦地が有名だが、約一年半にも及ぶ戦争は西日本から東北、北海道までにおよび、戦争の地域として知られていないエリアでも死闘が繰り広げられていた事実はあまり多く語られてはいない。
特に秋田県内においては仙台藩、庄内藩地域での激戦の中間地点となっており、かつて秋田でも戦争があった背景は時代とともに薄れている現状である。
当時秋田に住んでいた人たちは戊辰戦争とは関わりなく稲作に漁業にと平和に過ごしていたのではないかと、秋田に住んでいる筆者自身が大きな勘違いをしていたほどに認知度が低い。
令和の戦場はSNS。歴史ファンからの洗礼が闘志に火をつける!
櫻田さんが、秋田口戊辰戦争映画プロジェクト代表と知り合って活動を始めた頃のこと。
「プロジェクトが発足して1年ぐらいの頃は、実際現地に石碑を見に行ったり歴史の情報を調べたりなど、現地に赴くことはあまりなく、受動的な活動ばかりだった。そんな中、じゃあ私がやってみようかな、調べてみようかなって」
そこでSNS(Facebook秋田県人会)に歴史の投稿をしたところ、大変な反響があった。投稿内容は秋田市大町五丁目・五丁目橋のそばにある川反(かわばた)観音像についてだった。この像にまつわる投稿に、各地に住んでいる幕末ファンの秋田潘、庄内藩、仙台藩などそれぞれの派閥からのコメント合戦になったという。
「その時は戊辰戦争の歴史なんて全然頭に入ってなかった。代表からの応戦でなんとかコメントに対応できましたが…。これはしっかり勉強しなきゃいけない!投稿も簡単にできない。自分よりも知識の深い方々から投稿に対して”うわーっ”ていろんなコメントをいただくので、これはもう覚悟して勉強しなきゃって…勉強嫌いですけど(笑)」
そのことがきっかけとなり、YouTube動画配信や投稿の際には「秋田目線」と「相手目線」いずれの目線から調査を行い、脚色をせず客観的な立場であることに一層気を付けてこだわるようになったという櫻田さん。
昨今、各SNSで一方的な目線からの発言が取りざたされることがあるが、互いへの配慮が欠けてしまうのは、面と向かっていない相手だからこそ起こることで、当時武器で戦っていた頃とは違い一筋縄ではいかないのだ。
書物だけではなく現地に出向き歴史と向き合う
その日から週3〜4回、秋田市山王にある秋田県立図書館に通うようになった。
当時、早いときで14時すぎには終業し、その足で図書館に向かう。夕方には家事が待っているからタイムリミットまで歴史書を読んだり、借りて家事を終わらせたあとも寝るまで読みふけることもあった。
図書館にある書物を調べただけでもそれまで感じていた歴史の流れとは異なる部分が多くあり、問題点が多数見つかった。例えば秋田市だけで起きた戦いではなく、一連の流れは県内全域、鹿角市と秋田県由利本荘市の亀田、岩手そして山形県境などにもまたがっている。
その情報は秋田県の県立図書館だけでは収集しきれない。当然ながらインターネットで調べても出てこない。各地の歴史ファンや武士とゆかりのある末裔(まつえい)の方が所持している文献を確認しに現地に出向かなければ真実は見えないということに気づいた。
プロジェクトの小さい達成の積み重ねが自分の自信に
ある時、プロジェクトの必要にかられ秋田市の椿台カントリークラブのゴルフコース、ホール付近にある砲台跡の取材へ。
人と話すことが苦手だった櫻田さんが、自分でアポをとって一人で取材。それまでの自分だったら信じられないくらいの出来事だった。めちゃくちゃドキドキだったけれど「えーい何事も挑戦だ!」とチャレンジしたという。
その結果、取材は大成功し「私、やればできるじゃん!」とさらなる自信につながった。
それから各地への取材は率先して自分でアポをとり、直接現地の方々へ取材をしている。
文献の記述はあるけれど、どこに実在するかが判明できなかった史実をこれまで櫻田さんを中心にプロジェクトメンバーがいくつも発見しており、その功績には往年の歴史ファンの方々も驚かれているそうだ。
「ちなみに今では気になる情報を持つ方のお宅のチャイムをピンポンしまくりです(笑)」
葬られた歴史の謎。大館薬師森地区の真の歴史を追え!
今年2024年は大館を中心に調査を進めている。薬師森山頂には石碑がありそこには4名の秋田藩兵士が眠っているという。
大館地区の歴史を研究する北羽歴史研究会が1999年9月に発刊した『北羽歴研史論集四』
によると、当時会長をされていた鷲谷豊さんの、「この戦いには疑問が残る」という記述がある。地域の資料の中に「夜襲を受け討死」し30名ほど亡くなられているとされているが実際は4名の石碑しかない。亡くなった人が本当に30名であれば、本来これは当時の戦争において「大敗」とされてもいい歴史的事実だ。
県立図書館やその他の地域で保存されている書物には「夜襲を受け討死」という内容は詳しく書かれていないのだという。当時の情報操作などで公開されていなかったのだろうか。もしかしたらこれは世間に初公開される真実かもしれないと、得た情報を整理して今後ダイジェストとして動画にする予定だそうだ。
映画プロジェクトに携わることが自分を変えるきっかけにつながった。女落武者の大逆転ストーリー
櫻田さんが現在発信する動画の中で、戦闘服を着こなしたり、メロンが盛んなご当地マラソンではメロンになりきってみたり、特にFacebookの投稿では落武者になりきっているのが大変人気だ。私服のコーディネートセンスも抜群。
だが、このプロジェクトを知る少し前は今と全く違う体形だったという。
「当時の体重…90キロ台だったんです。うん。やばい。本気でやばい。でもそのころに自分で自分を変えなきゃ!変わりたいなって思い始めて。当時それまでは基本的に3日坊主で何やっても続かなかったけれど」
最初はもちろん、重たい体ではなかなか走れず、ゆっくりとウォーキングからスタートした。
3日坊主ばかりの人生だったけれど、絶対走れるようになってダイエットにつなげなきゃと、歩けるだけ歩いた。少しずつ体力がついた頃からはウォーキングからランニングに切り替え、なるべく継続して行うよう心掛けた。
ちょうどランニングで通っていた道沿いにプロジェクト代表の職場があった。
櫻田さんが時々立ち寄る場所だったため、走っている姿を見かけていた代表に声をかけられたそうだ。「どうやら代表からは『3日ぐらいでやめちゃうんじゃね〜?』って思われていたみたい。でも継続してトレーニングしていたら『つづいてんじゃん~』って声をかけられて!」
それがこのプロジェクトを知るきっかけとなった。
物事が3日と続かないうえ、もともと人と話すことも得意じゃなくて内気だったという櫻田さん。前職は内勤で事務職。基本的には中で職員の方々とのコミュニケーションを図る程度にしか人とは話さなかったぐらいだった。
「今度こそ変わらなきゃ」という強い信念はランニングの継続につながり、体形維持に努めることで自分自身もやればできるという自信へとつながったという。
プロジェクトへの参加をきっかけに、本業でも新しい人生の一歩を踏み出した
櫻田さんは地域の高齢者の方々に歴史の話を聞く機会が増え、人とのコミュニケーションにさらに興味を持った。それがきっかけで介護福祉の道を目指したいという気持ちが生まれたそうだ。
介護事業所内のデイサービスにて勤務をしながら通学をし、資格を取得した。今後、同一事業所内にあるデイサービスのほか、訪問介護ステーションでヘルパーとして勤務するという。
自分に自信がない、いわゆる「コミュ障」から一変、映画プロジェクトがきっかけとなり人へのサービスを行う介護ヘルパーとしての道を歩み始めた。
「いろんなところに面接をしてみて、資格もなかった私に『資格取得の勉強しながら働いてみませんか』と声をかけてくださったデイサービスがあったんです。髪の毛の色もピアスもOK、会社負担で勉強もできるから生き生きと介護の仕事ができる。時間も調整できるから仕事上がりのスキマ時間で調査にも行ける。私のこれまでの経験を全て受け入れてくれるような、とってもいい機会に恵まれています!」
仕事と家庭、そして映画プロジェクトの活動の三足のわらじで毎日フル稼働している櫻田さんのパワフルさには改めて頭が下がる。
櫻田さんに映画プロジェクトを通じて考えている思いを伺った。
「武士らは当時、戦死することで栄誉を後世へ伝えられてきた。けれど農民たちは何人死んでいったのかなんて記されていない。それは秋田でも全国でも、世界どこでも同じこと」
人生の終わりはいつくるかわからない。だからこそ【今やらなきゃいけないことを今やる】介護職もそう、大変だよって周りからいわれたけれどやってみないと何も分からないから、チャレンジしていきます!」
「あなたは きづく たいせつな何かに」秋田口戊辰戦争映画プロジェクト公式ウェブサイトに書かれた言葉を胸に
誰かが行わなければ何事も変化なく朽ち果てていく。
物があふれて物質的な幸せは得られているかもしれないこの時代。
一日一日を大切だと思い、幸せであることに気づき、戦争時代に生きた戦士たちの生き方と同様に現代を生き抜く方々を支えたいという強い意志を持ち、「落武者」のような自身の内面の思いが、地域の人や歴史背景に触れることでマインドが徐々にヒートアップし、二番大隊長に成りあがった櫻田さんは、これからも地元秋田で情熱的に挑み続けていく。
情報
参考文献・画像提供
秋田口戊辰戦争映画プロジェクト公式ウェブサイトhttps://akita-boshin.com/
秋田口戊辰戦争映画プロジェクト 檜山敬輔さん・櫻田智子さん