
秋田県湯沢市岩崎。皆瀬川(みなせがわ)の伏流水に恵まれ、水にまつわる伝説も残るこの土地で、ヤマモ味噌醤油醸造元は1867(慶応3)年から味噌と醤油を醸してきました。150年以上、七代にわたり続く老舗蔵元は今、発酵、建築、庭、アート、食を重ね、伝統に新たな表情を与えています。
髙茂合名会社(たかもごうめいがいしゃ)代表社員で、ヤマモ味噌醤油醸造元七代目の髙橋泰(たかはし・やすし)さんは、もともと家業を継ぎたいと思っていたわけではありません。過去の製法をただ守り、同じものを反復するだけなら、自分が継ぐ意味はない。そう感じていた髙橋さんですが、蔵に背を向けるのではなく、むしろその奥へと深く潜っていきました。
蔵に宿る菌、先人が残した製法、家族の暮らし、土地に積み重なってきた時間。見えないものに目を凝らし、自分がいいと思うものを信じ続けることで、髙橋さんは「継ぎたくなかった」蔵と向き合い続けてきました。
目次
「自分が継ぐ意味」を探して、伝統製法を疑った
「僕自身、もともと家業を継ぎたくなかったんです。この業界は、過去の製法を反復することに価値を出していくところがありますよね。何代目が確立した伝統製法です、これを守り続けています、と。でも僕は、そこに盲目性を感じていました」
髙橋さんは、受け継がれた手順だけが残り、「なぜそうするのか」が見えなくなっていることに違和感をもったといいます。
「過去に価値を見出されたことを反復するだけなら、自分がやる必要がないと思っていたんです。姉や妹が継いでもいい。自分が見出した価値がないと自分が継ぐ意味がない。だから、全ての工程を疑いながら、なぜやっているのかを解明して、自分が関与していく領域をつくろうと思いました」
家業を継いで一年目は、まずヤマモのやり方を全て知ることに徹しました。二年目からは実験を始めました。麹菌を変え、違いを検証し、やがて最終製品の味や香りに大きく関わる酵母へと関心を移していきました。
蔵、神棚、庭。土地に積み重なった時間を読む
ヤマモ味噌醤油醸造元は、醸造所と住まいが一体になった蔵元です。敷地には複数の蔵があり、仕込蔵、発酵熟成の諸味蔵、居住空間があります。商品をつくる工場というよりも、家族の暮らしと醸造の営みが同じ場所で受け継がれてきた場所です。

髙橋さんは、蔵に残る棟札(むなふだ)や神棚、地域の信仰との関わりを調べてきました。
「初代については、残された言葉があるわけではありません。だから、客観的な事実から思いをはせるしかないんです。でも、初代が明治16年に蔵を建て、同年に神社に関わり、神棚をつけている。その流れを見ると、何か意図をもってやっていたんだろうなと感じています。僕には狙ったとしか思えない」

蔵を建て神棚を設けること。家族が暮らし、社員が働き、菌が棲(す)みつく場所を守ること。髙橋さんは、目に見える建物だけではなく、その奥にある見えない意志を探るように、ヤマモという場所と向き合ってきました。
蔵で発見された酵母に先祖の姿を見る
その姿勢は、蔵に棲む菌の発見にもつながっていきました。
ヤマモ味噌醤油醸造元では、10年にわたる試験醸造の中で、特許微生物ヴィアンヴァー(Viamver®)酵母を発見しました。特徴の一つは、コハク酸を多く生み出すこと。コハク酸はうま味に関わる成分で、髙橋さんはその生成量に大きな可能性を感じました。

ただ、髙橋さんにとってヴィアンヴァーは、単に珍しい酵母が見つかったという話ではありませんでした。
「特殊な菌が見つかる確率って、めちゃくちゃ低いんです。『たまたまでしょ』と思われないように、新たな菌が見つかるよう、発酵に意図をもって取り組んできました。無限に広がる宇宙から新しい惑星を発見するような行為だ、ということを伝えたかった」


「コハク酸の特徴があるから英語で琥珀(こはく)を意味するAmber。そして、この土地、岩崎には原初の信仰として残っている妙見信仰(みょうけんしんこう) があり、北斗七星や北極星をモチーフとしています。北斗七星は英語でBig Dipper。北斗七星とコハク酸の名前を掛け合わせ、国際商標が取得可能な名前としてヴィアンヴァー(Viamver®)と命名しました」
科学的な発見である酵母。土地に古くから残る星の信仰。蔵を建て、神棚を設けた先祖の気配。普通なら別々に語られるものが、髙橋さんの中では一本の線でつながっていきます。
「蔵にいた菌が、ただ偶然見つかっただけではなくて、土地の信仰や先祖が残してきたものと結びつけて考えることで、この菌の存在をちゃんと感じられるものにしたかったんです」
ヴィアンヴァーは、蔵の中にいた小さな微生物です。しかし髙橋さんはそこに、土地の時間や先祖の意志まで重ねて見ようとしています。見えない菌を信じることは、見えない時間を信じることでもありました。

見えない発酵を、見えるようにする
髙橋さんが見つめてきたのは、信仰や感覚だけではありません。発酵という見えない営みを、理屈として理解し、技術として磨いていくことにも向き合ってきました。
味噌や醤油の醸造では、麹菌、乳酸菌、酵母など、複数の菌が関わります。ある菌が働き、次の菌が働き、時間をかけて味や香りが生まれていく。髙橋さんは、その連なりを「菌のリレー」と捉えています。
「麹菌がまず原料を分解して、糖やいろんなものが出てくる。そこに乳酸菌が来て酸性の条件をつくり、その後に酵母が来て、分解された糖を食べてアルコール発酵させる。発酵って菌が順番に働いていくんです」
しかし、発酵は目に見えません。蔵人の経験や感覚に頼ってきた部分も多くあります。そこで髙橋さんは、麹づくりや発酵の状態をIoTセンサーで可視化する取り組みも進めました。

「センサーを入れたことで、今まで見えていなかった温度の動きが見えるようになりました。例えば、床に近いところが思っていた以上に冷えていることもわかったんです。それが見えるようになれば全部よくなると最初は思っていました」

しかし、結果は逆でした。髙橋さんは温度の偏りに対してその一つひとつに熱源を入れるなどの対処を重ねました。局所的な問題を直そうとするほど、全体のバランスは崩れていったといいます。
「温度の偏りが見えたところ全部に対処しようとしたら、かえって全体には良くない方向に行ってしまった。2年ぐらい質が下がって、3年目になって、これは外れ値と捉え直して、対処しすぎないようにしたら、すごく作りが良くなったんです」
「将来的にはほかの蔵でもセンサーを使って状態を見るようになると思います。でも、見えた後にどうするかは、またノウハウが必要になると思います」
見えたもののうち、何に反応し、何を見送るのか。その判断にこそ蔵元としての経験と感覚が問われることを、技術を取り入れる過程で学んでいきました。

「機械に委ねるもの、人の手に残すもの」その選択がその人らしさ
技術を磨いていく一方で、発酵を可視化し、AIや機械に任せれば、より正確に、より効率よくできることは増えていきます。温度管理も、工程管理も、最適化しようと思えばできる領域は広がっていくでしょう。髙橋さんは全てを合理化すればいいとは考えていません。
髙橋さんは、「人の手に残すべきもの」があると考えています。
「どこをAI化して、どこを原始化するのか。その選び方に、その人のセンスが出ると思うんです。完全に整ったものは、美しいかもしれない、でも完璧に管理されたものだけでは、どこか退屈になってしまう。左官職人が塗った壁のわずかな揺らぎや、薪火を使う料理のように、人の手や自然の不確かさが残るからこそ生まれる魅力があると思ってます。
全部を最適化すればいいわけではなくて、まず、機械やAIでどこまでできるのかを知る。そのうえで、どこを人の手に残すのかを選ぶ。その選択が、その人らしさになるんだと思います」
髙橋さんにとって伝統とは、過去のやり方をそのまま保存することではなく、科学的に理解しながら、それでも人の感覚や手触りをどこに残すのかを問い続けること。その問いの中に、ヤマモらしい醸造の形が生まれています。
家族の暮らし、社員も蔵の一部

ヤマモ味噌醤油醸造元が抱えているものは、製法や菌だけではありません。そこには、家族の暮らしと社員の働き方も含まれています。
醸造所と住まいが一体であるということは、仕事と生活が分かちがたく結びついているということです。かつて髙橋さんの父の介護と子育てが重なった時期、社員たちは自然に父を支え、子どもたちにも関わってくれたといいます。
誰かが指示をしたわけではなくても、工場で働く人たちが同じ場所で暮らす家族の姿を見て、手を貸す。長く働いてきた社員の存在があり、その姿を若い社員たちも見ている。ヤマモには、仕事だけでは切り取れない関係がありました。
「創業家がここに住みながら、社員と一緒に働いている。そのこと自体に、僕は美しさを感じるんです。子どもの送迎を見られないように、最初は別の道から出入りしていたんですけど、社員に『そういうことはしなくていいですよ。普通に通ってください。それが価値なんです』と言われて。外に製品が売れていくことも経済的には大事だけど、僕にとっては、こういう場所であることに価値があるんじゃないかと思うようになりました」
蔵に宿る菌。先人が残した製法。家族と社員の暮らし。髙橋さんが見つめてきたものは、商品だけでは切り取れない全体性でした。
味噌や醤油は、蔵の中でつくられます。しかしその蔵は、菌だけでできているのではありません。先祖が建てた建物があり、神棚があり、庭があり、家族が暮らし、社員が働き、外から来た人を迎える。そうした全てが重なって、ヤマモ味噌醤油醸造元という場所ができています。
信じるところに、神は宿る。過去の自分が継ぎたくなる場所へ

髙橋さんは家業を継ぐことに前向きではなかったからこそ、蔵を継ぐと決めた時に、蔵から離れるのではなく、蔵の奥深くを見つめることを始めました。これまでの製法を疑い、菌の働きを調べ、見えない発酵を可視化し、先祖の意図に思いをはせ、社員や家族の暮らしまで含めて、この場所の価値を見ようとしてきました。
そこにあるのは、自分の存在を信じること。
自分がいいと思うものを信じること。
受け継がれたものの中にまだ見つけられていない価値があると信じること。

「過去の自分が継ぎたくなる場所にしていきたいんです。他の人に憧れられるためというより、自分が納得できる状態にしたい」
「継ぎたくなかった蔵」は、髙橋さんが見つめ、疑い、確かめる中で、この場所の価値として浮かび上がってきました。
信じて、疑って、確かめて、また信じる。
その繰り返しの中で、髙橋さんは蔵と向き合い続けています。
信じるところに、神は宿る。
ヤマモ味噌醤油醸造元という場所には、そう思わせるだけの時間と、人の営みが積み重なっていました。

もっとも印象に残った言葉
「創業家がここに住みながら、社員と一緒に働いている。そのこと自体に、僕は美しさを感じるんです。子どもの送迎を見られないように、最初は別の道から出入りしていたんですけど、社員に『そういうことはしなくていいですよ。普通に通ってください。それが価値なんです』と言われて。外に製品が売れていくことも経済的には大事だけど、僕にとっては、こういう場所であることに価値があるんじゃないかと思うようになりました」
聞き手:中野宏一 書き手:天野崇子
写真:すべて2026年6月26日天野崇子撮影
情報
会社名:髙茂合名会社
屋号:ヤマモ味噌醤油醸造元
取材対象者:代表社員 髙橋泰さん
創業:1867(慶応3)年
事業内容:味噌・醤油醸造及び販売、ツアーの実施及び販売、カフェレストラン飲食事業
所在地:秋田県湯沢市岩崎字岩崎124
URL:https://yamamo1867.com/






