
秋田県湯沢市岩崎で150年以上続くヤマモ味噌醤油醸造元には、近年、国内外からシェフや研究者、アーティスト、旅行者が訪れます。商品を買うだけではなく、蔵に滞在し、発酵を体験し、時には仕込みを手伝い、やがて仕事の仲間になっていく人もいます。
髙茂合名会社代表社員で、ヤマモ味噌醤油醸造元七代目の髙橋泰(たかはし・やすし)さんは、もともと家業を継ぎたいと思っていませんでした。過去の製法をただ守るだけなら、自分が継ぐ意味はない。そう感じていた髙橋さんは、製法を疑い、菌の働きを調べ、先祖が残したものを見つめ直しながら、この蔵に自分が関わる意味を探してきました。
その先に生まれた発想が、味噌や醤油を外へ売るだけでは伝わらない土地の時間や蔵の空気を、訪れた人が五感で受け取れる場所づくりでした。
蔵に隣接するストア、庭、カフェ、ギャラリー、茶室、宿、かつて「継ぎたくなかった蔵」に、今は世界中の人が足を運びます。食べる人、つくる人、ともに何かを始める人。その風が吹き込むたび、蔵は少しずつ、次の姿を見せていきます。

目次
継ぎたくなかったけれどいずれ継ぐ。だから外の世界に触れた
髙橋さんは若いころから家業を継ぎたいと思っていませんでした。一方でいずれは秋田に戻り、蔵を継ぐことになるかもしれない。そう感じていたからこそ、学生時代から外の世界に触れようとしてきました。海外へ出ることも、建築に魅せられたことも、最初は家業から離れたい気持ちとつながっていたといいます。
「秋田に戻ったら、どうせ海外にも出られなくなるかもしれない。建築の道に行きたかったこともあって、できるものはできるだけ全部やる、行けるところには行く、という感覚で過ごしていました」
外へ出ることは、単なる旅行ではなく、自分は何が好きで、何に魅せられ、何を美しいと思うのかを確かめる時間でもありました。
やがて髙橋さんは家業を継ぐことになります。それまで「外」を見て感じたことは、むしろ、蔵を継いだあとにこそ必要になっていきました。
「継ぎたくなかった蔵」に、自分がやる意味を探す
ヤマモ味噌醤油醸造元は、2012年に初めて海外の展示会に参加し、現地の人に味噌や醤油を伝え始めました。そこで髙橋さんが感じたのは、商品だけではヤマモの価値は伝わらないということでした。
「海外に出た時、同業者が横に並んで、みんな同じようなことを言っている。『伝統を守っています、地域に愛されています』と。でも、それは特徴にならないと感じた」
一方で、同展示会内のワイナリーのあり方は違って見えました。ロックバンドがいたり、教会を改装して醸造していたり、つくり手の好みやアイデンティティがブランドの中に自然に入っている。その姿を見て、髙橋さんの中で一つの考えがつながります。
「自分の好きなものを出さず伝統だけで語るのは、僕がやっている意味がないと思ったんです。売るためにやるというより、自分がそうしないと続けられない。自分の好きなものや感覚を蔵に宿していくことで、継ぎたくなかった家業を、自分が継いだといえるものにしていく。過去の自分が見た時に、これなら継ぎたいと思える可能性がある場所にしていきたかったんです」
家業を継ぐために、伝統だけを前に出し自分を消すのではない。自分が好きなもの、自分が信じるものを蔵に宿していく。それが、髙橋さんにとって「継ぎたくなかった蔵」と向き合う方法でした。
建築の視点で見えてきた、蔵という場所の意味
その感覚は、ヤマモ味噌醤油醸造元の空間づくりにも表れています。
かつて建築を志していた髙橋さんにとって、空間づくりは自分の感覚を蔵に宿していく方法の一つでした。
その背景には、建築家・白井原太(しらい・げんた)さんの存在があります。原太さんは、渋谷区立松濤美術館(しょうとうびじゅつかん)などを手がけた戦後日本を代表する建築家、白井晟一(しらい・せいいち)さんを祖父に持ちます。祖父が手がけた建物をきっかけに、20年近く湯沢を訪れ、地域の建物や歴史を見つめてきました。
髙橋さんは家業を継いで数年後、湯沢に残る白井建築に関わったことをきっかけに、原太さんと交流するようになります。

「白井晟一の精神をくみ取る思いが伝わり、そこから交流が始まりました」
髙橋さんと原太さんは、十数年にわたり、友人のような関係を続けてきました。その関係が、やがてヤマモの空間づくりへとつながります。髙橋さんが茶室をつくろうと考えた時、原太さんに声をかけたことから、茶室、そして宿のプロジェクトが具体的に動き出しました。
宿に生まれ変わろうとしているのは、もともと大豆や米などの原材料を保管していた蔵です。居住用ではなかった建物を、人が滞在できる場所へと変えていく。その制約も含めて、蔵の個性として生かそうとしています。
「建物を人体のように捉えることがあるんです。外観は顔のように感じるし、提灯(ちょうちん)を下げるとイヤリングをしているように思える。茶室は心臓。そういうものをつくりたいと思っていました」


ヤマモでは、蔵や母屋など敷地内の空間を移動しながら味わうディナーも行っています。場所を歩き、景色が変わり、それぞれの場所で味わう。その体験全体が、ヤマモの価値を伝えるものになっています。
髙橋さんの「建築を通した目」で蔵を整えること。自分が良いと思うものを信じ、その感覚を蔵の中に形として置いていく、そこにさらに原太さんの視点が加わります。
それは、蔵に来た人が商品だけでは切り取れないものに触れられる試みでもあります。
菌も人も、個性を消さず、合う条件があると本来の力を発揮する
髙橋さんは家業を継いでから、ヤマモの蔵にいる菌や酵母の特徴をどうすればよりよく引き出せるのかを探るため、味噌づくりの条件を少しずつ見直してきました。
「十パターン作って、その中で一番良かったパターンを踏襲して、今度はこれをベースにこのパターンを試す、というふうに毎年やってきました。樹形図的に作っているんです」
その過程で、塩分濃度を下げたことで酵母にかかるストレスが減り、アルコール発酵がしやすくなったこともありました。髙橋さんは、その変化を「順化」と説明します。
「菌って、どんな環境でも同じように働くわけではないんです。塩分や温度、周りにいる菌との関係で、発酵の進み方が変わる。人間が環境に慣れていくように、菌も慣れていくことがあるんです。だから、何かを無理に均一にするというより、その菌が一番よく働ける条件を探していく感覚に近いと思います」
同じ蔵にいる菌でも、条件によって働き方は変わります。その菌が合う条件に出合った時、思いがけない香りやうま味が立ち上がることがある。髙橋さんが見つめてきたのは、味を均一に整えることだけではなく、ヤマモの蔵にある菌がどうすれば力を発揮できるのか、ということでした。
菌も人も、個性そのものはもちろん、どんな条件で力を発揮できるかが大事なのかもしれません。
髙橋さんが探してきたそんな条件に反応したのが、外から来たシェフや造り手たちでした。彼らは、ヤマモの発酵や熟成の違いを、ぶれや規格外ではなく、その時だけの個性として受け止めました。
外から来たシェフが、発酵の違いを価値に変える

ヤマモ味噌醤油醸造元を訪れる国内外のシェフは、味噌や醤油を単なる調味料としてではなく、発酵や熟成の時間をもつものとして見ています。髙橋さんが見せる実験中の樽や長期熟成の味噌を、シェフたちはワインのように捉えるといいます。
「シェフたちが樽(たる)を見て、ワインみたいだと言うんです。この年でこうなっている、熟成でこう変わっている、と。外国人からは、ヴィンテージをつけた方がいいとも言われました。海外だったら、そういう価値のつけ方をする発想があるんですよね」
日本では、味噌や醤油は日常の調味料として扱われることが多くあります。価格も、量や使いやすさで判断されがちです。しかし、外から来たシェフや外国人は、そこに違う見方をもち込みます。何年熟成されたのか。どの樽で、どの菌が働き、どのような酸や香りが生まれたのか。ワインやチーズのように、時間や環境の違いを価値として捉える視点です。
外の人が来ることで、土地の人にとって当たり前だったものが、別の言葉で語られ始めます。髙橋さんが自分の好きなものを信じて続けてきた実験は、シェフたちの目を通して、新しい料理や発酵の可能性として広がっていきました。
「昔から続く通常製品もありますが、実験シリーズのようなものに興味をもつ人が増えてきました。シェフたちが、これを使ってラーメンを作りたいとか、酸味が出ているものをソースに使いたいとか言ってくれる。自分が昔からやりたかったことに、ようやく本格的にニーズが出てきた感覚があります」
シェフは、ただ商品を使う人ではなく、髙橋さんの発酵を料理という表現に翻訳し評価します。
客が、仲間になる
髙橋さんのもとを訪れた人は、ただの客ではなくなっていくことがあります。象徴的なのが、あるスイス人旅行者との出会いです。
ヤマモ味噌醤油醸造元では、蔵の中を案内しながら発酵や熟成の現場を伝えるツアーを行っています。髙橋さんがそのツアーを始めた頃、スイスから来た男性がヤマモを訪れました。当時はまだディナーの提供もしておらず、英語を話せる従業員も多くありませんでしたが、宿や食事を含め、家族のように彼を案内しました。


「最初はお客さんだった人が、何度も秋田に来て、今度は仕込みを手伝ってくれるようになる。客だったけど仲間になって、労働力になる。そういう関係が、ローカルの次の働き方の一つになるんじゃないかと思っています」
彼は、仕込みを手伝い、ヤマモの調味料で焼き鳥のタレを考え、将来的には輸出やツアーにも関わるであろう存在になっています。
髙橋さんは、そこに地域の新しい可能性を見ています。人口が減り、人手が足りなくなる中で、外から来た人が土地の仕事に触れ、関係をもち、また戻ってくる。
「彼が言っていたのは、東北がすごく良かったということでした。観光地化されていなくて、人がいい。それが一番感動したと。だから何度も秋田を目がけて来るようになったんです」
蔵が人を呼ぶ。それは、強い広告や観光施策だけで起きることではなく、土地の人が普通に営んできた暮らしや、働く姿や、誰かを迎える態度に、外から来た人が足を止める。その積み重ねが、客を仲間に変えていくのかもしれません。
自分を信じる人のもとに、風は集まる

髙橋さんは自分が信じるもの、自分の感覚を、蔵の中に少しずつ宿してきました。
建築も、料理も、発酵も、海外の人との出会いも、その延長にあります。
髙橋さんは、味噌や醤油という商品だけではなく、自分の存在意義や価値、ここに込めてきた思いも含めて伝わる形にしたかったのです。
「海外に出たのも、インバウンドをやろうと思ったのも、やっぱりそれを伝えないと嫌だった。ほぼ全部、自分のためにやっている。自分が納得できる状態にしたい。だから『独自』になってくる」
自分のために。だからこそ、誰かに合わせたものではなく、髙橋さん自身の感覚が宿る場所になっていきました。
かつて「継ぎたくなかった蔵」は、その積み重ねによって少しずつ姿を変えていきました。建築家・白井原太さんと進める宿のプロジェクトも、まもなく本格的に動き出そうとしています。客として訪れた人が、もう一度戻ってくる。食べる人、つくる人、そしてともに何かを始める人になる。
風は、どこからともなく吹いてくる。けれど、その風を受け止める場所がなければ通り過ぎてしまいます。ヤマモ味噌醤油醸造元には、髙橋さんが自分を信じ、その感覚を宿してきた場所があります。信じてきたものが宿る場所だからこそ、風のように外から来た人たちはこの蔵を訪れ、何かを感じ取り、またここに戻ってくるのです。
もっとも印象に残った言葉
「自分の好きなものを出さず伝統だけで語るのは、僕がやる意味がないと思ったんです。売るためにやるというより、自分がそうしないと続けられない。自分の好きなものや感覚を蔵に宿していくことで、継ぎたくなかった家業を、自分でも継げるものにしていく。過去の自分が見た時に、これなら継ぎたいと思える可能性がある場所にしていきたかったんです」
聞き手:中野宏一 書き手:天野崇子
写真:すべて2026年6月26日天野崇子撮影
情報
会社名:髙茂合名会社
屋号:ヤマモ味噌醤油醸造元
取材対象者:代表社員 髙橋泰さん
創業:1867(慶応3)年
事業内容:味噌・醤油醸造及び販売、ツアーの実施及び販売、カフェレストラン飲食事業
所在地:秋田県湯沢市岩崎字岩崎124
URL:https://yamamo1867.com/






