秋田の版画文化を知ってますか?ひ孫が曽祖父と100年の時を超えて紡ぐ「版画の世界」【秋田県秋田市】

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「版画家」伊藤由美子

「版画家」という職業の女性に出会いました。

秋田市に住む「版画家」伊藤由美子さんの版画の作品は、「これって版画なの?」と思わずたずねてしまう、水彩画のような繊細な淡い色合いや線で描かれる美しさが魅力です。

優しいなかに芯があり、かつ透明感のある雰囲気を持つ由美子さん。その魅力が彼女の版画作品にも表れています。

由美子さんは版画教室や個展を開くなどの活動を続けてきました。そして2019年、秋田市に「いとう版画工房」を立ち上げ「版画家」としての人生を歩んでいます。

凹版画用の大型プレス機を操作する由美子さん 2022年10月、秋田県立近代美術館実習室にて筆者撮影

「紙をめくる瞬間」に現れる凛(りん)とした色と線の版画の世界

【きこえる 600×450mm 水性木版 2020年】伊藤由美子さん提供

彫刻刀で彫った版木に絵の具を乗せて、バレンで凸部を刷りとる木版画。美しい淡い色の重なりが奥深さを感じさせてくれます。

【暮らし 250×250mm ドライポイント 2022年】伊藤由美子さん提供

銅板などにニードルと呼ばれる先端が針状にとがっている道具で描画し、刻まれた線にインクを詰めて凹部を刷りとるドライポイントと呼ばれる技法の版画。

微細な凹部の線を刷りとるには、強い圧力をかけるプレス機が必要です。刷りとられたその線は、シャープなように見えて、とても柔らかく感じられます。

【手 300×300mm 水性木版、ドライポイント 2023年】伊藤由美子さん提供

木版画とドライポイントの混合技法で制作した版画。色面を木版で、線の部分をドライポイントで表現しています。表現したいものにあわせて技法を選び、または組み合わせたりしながらさまざまな作品をつくりあげています。

由美子さんが語る版画の魅力は、「紙をめくる瞬間」。刷り上がりが想像できる部分がある反面、思いもよらない偶然性がうまれることもあり、紙をめくるまでわからないドキドキ感があるといいます。そしてそれは、版を作るさまざまな過程がいよいよ形になる瞬間でもあるので、達成感を覚えるのだそうです。

それぞれ技法によって特徴は違えど、由美子さんの版画の線や色使いはどれもとても繊細で、静かな中に凛としたたたずまいがあります。

その繊細な表現は、試行錯誤を重ねた美しさなのかもしれません。

私は由美子さんの「版画家」という肩書にとても興味を持ち作品展を見てみたいと思ったのですが、由美子さんと版画との関わりに、ある有名な版画家の存在があるということを知り、私はとても驚き興奮のうちに由美子さんにお話を伺ったという経緯があります。

海外でも高く評価された、秋田の代表的版画家 勝平得之

【春(つばき)1938年】秋田市赤れんが郷土館提供

「版画家」勝平得之

由美子さんと関わりのある版画家のひとりとして、勝平得之(かつひら・とくし)という人がいます。

勝平得之は、1904(明治37)年に生まれ、1971(昭和46)年に亡くなるまで、生涯秋田に生き、秋田の風俗や自然を描き続けた木版画家です。秋田県内の行事や人々の生活を丁寧に詳細に、その土地を歩きスケッチを重ね、版画という作品をつくり上げました。

師を持たず、順風満帆とはいえない状況の中でも模索しながら自らの作風つくりに没頭した版画家として知られていて、たくさんの試行錯誤の結果、多くの人の心を打つ作品を生み出しました。

当時交流のあった、ドイツの建築家ブルーノ・タウトや、主にフランスで活躍した画家の藤田嗣治(ふじた・つぐはる)などにより海外へも紹介され、高く評価されています。

【収穫 1933年】秋田市赤れんが郷土館提供
【いろり 1939年】秋田市赤れんが郷土館提供

秋田の人の心に焼き付く生き生きとした版画の世界

秋田の風俗が描写されている勝平得之の作品は、この地で暮らした先祖たちが脈々とつないできた歴史を色鮮やかに感じさせてくれます。秋田で生まれ育った私にとって、胸が熱くなる作品ばかりです。 

秋田県民の心となる作品は、秋田市に勝平得之記念館があるほか、県内の公共施設などに多く飾られています。私もよく目にすることがあったので、得之の作品にはとても愛着があり、心に焼き付いています。

そこには現在の秋田には残っていない風習なども描かれていて、作品の中に「秋田が生き生きと残っている」のを感じるのです。

実は、得之のひ孫は由美子さん。つまり、得之は由美子さんの曽祖父なのだそうです。

作品展に伺う当日にそのことを知り、私はまるでアイドルにでも会いにいくような心境で由美子さんに会いに行ったのでした。

【かきだて 1943年】秋田市赤れんが郷土館提供

得之との出会い

由美子さんが、得之が曽祖父であることを初めて知ったのは中学生の時。勝平得之記念館のリニューアルオープンの式典に出席した時だったそうです。

当時得之は既に亡くなっていて、実際に会ったことがない由美子さんは、得之が「曽祖父」だという実感をあまり持っていなかったといいます。

その後高校に進学し、美術部の活動の中で「小学校での版画の授業がとても楽しかった」のを思い出し、独学で版画の作品づくりを始めます。作品づくりを続けていくうち、自分の世界を表現できる「版画」に深く入りこんでいきました。

「版画家」として秋田で生きていく

由美子さんは大学進学後も版画の制作を続け、卒業後も働きながら地道に続けていました。

そんなある時、秋田のテレビ局が勝平得之の特集番組を制作するために「秋田の版画家」を探していたところ、「得之のひ孫が版画家として活動している」という話を聞きつけ、当時拠点としていた盛岡まで取材に来てくれたことがあったそうです。

その時由美子さんは、秋田に住んでいない私を取材するということは「秋田県内で活動している版画家が少なく、秋田の版画文化が衰退しているのではないか」という危機感を覚えたのだそうです。そこから「勝平得之の残した版画文化を次世代の人たちに知ってもらいたい」という思いが芽生えました。

秋田に戻り「いとう版画工房」をオープンさせようと思ったのは、それがきっかけのひとつでした。

「伝える」ことで次世代へつなげたい

秋田県立近代美術館の実習室での版画教室の様子(2022年10月筆者撮影)

現在、由美子さんは版画教室を開き、たくさんの人たちに版画の技法や魅力を伝えています。

「版画教室を通して、たくさんの人たちに興味を持ってもらうことで、版画をもっと身近なものとして楽しむ人が増えてほしい。そしてそれが勝平得之の作品を多くの人に知ってもらうきっかけになればいい」由美子さんはそう話します。

「版画家」として自分の世界を確立し生きていくことは簡単ではないということを、得之は作品を通して物語っています。

同じく「版画家」としての道を進もうと決めた由美子さんも、自分の世界をつくり上げるため試行錯誤を重ね、作品のひとつひとつに心を込めて制作に励んでいます。

由美子さんの思いが実になり、版画の文化が秋田に根付き、花開くことが本当に楽しみでなりません。秋田の版画文化の繁栄は、やがて新しい世代へ引き継がれていくことでしょう。

秋田を訪れる機会があったら、ひ孫が曽祖父と100年の時を超えて紡ぐ「版画の世界」にぜひ触れてみてはいかがでしょうか。

情報

いとう版画工房

email:ito.hanga.studio@gmail.com
Instagram:https://www.instagram.com/ito.hanga.studio
Facebook:https://www.facebook.com/ito.hanga.studio
勝平得之記念館:https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003617/1009785/1002320.html

天野崇子

天野崇子

秋田県大仙市

編集部編集記者

第1期ハツレポーター/1968年秋田県生まれ。東京の人と東京で結婚したけれど、秋田が恋しくて夫に泣いて頼んで一緒に秋田に戻って祖父祖母の暮らす家に入って30余年。

ローカリティ!編集部のメンバーとして、みなさんの心のなかのきらりと光る原石をみつけて掘り出し、文章にしていくお手伝いをしています。

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