友人に連れられてやってきた和歌山県有田川町の山の奥。出会ったのは、有田川町の特産品「ぶどう山椒」を栽培をしている、山椒農園のご夫婦だった。お話を聞いているうちに、山椒に対するこだわりと、自分たちの里山をよみがえらせ、次世代に引き継ぎたいと孤軍奮闘していることがわかり、筆者はいたく感動した。今回はご夫婦が営む農園でのこだわりと里山への想いをお伝えしたい。
ご主人の永岡冬樹さんは、15年ほど前にUターンし、自身の生家を改築・増設して農園「かんじゃ山椒園」を経営している。
ここで育てている山椒は“ぶどう山椒”だ。有田川町の山間部はぶどう山椒の栽培が盛んな地域で、発祥の地とされている。歴史も古く、生産量も日本一である。
ぶどう山椒は、一般的な山椒と比べて果皮が厚いのが特徴で、乾燥に適しており薬効成分が多く含まれている。品質も良いとされる有田川町のぶどう山椒は製薬会社にも卸されているそうで、古来から現代に至るまで薬としての役割も果たしている山椒なのである。
永岡さんが山椒をこの地で作り始めようと思った当初は、ぶどう山椒をたくさん作りすぎるが故の値崩れが起こっており、農協に出荷しても生活が成り立たない時代だったという。
山椒農家を始めようとする永岡さんに、近隣の多くの農家さんは「儲もうからないからやめておけ」「今から山椒農家をするなんて馬鹿げている」と言ったそうだ。しかし、あきらめなかった。「収穫した直後の香りがよい山椒がないじゃないか」と、出荷される山椒を見て思い、まだやれることがあると永岡さんは思ったのだ。
「手間暇をかけて、周りから無駄だと言われる作業をやってでも買ってくれる人に届けよう」
そう思った永岡さんは、化学肥料や農薬を極力使用せず、手間をかけて山椒を栽培し、時期ごとの持ち味を逃さないよう適期に、手摘みで丁寧に収穫。その場ですぐに、乾燥をほどこし、人の手による選別を行い、高品質の山椒を即時に出荷できる取り組みを始めていった。儲けが出たら次の投資に……と雪だるまを転がすようにしながら、施設を少しずつ大きくしていったのだ。
最近では、ジャムや焼き菓子など、さまざまな加工品も作っている。「こんなにいろいろとやってるけど、お金はないんだよ。だからと言って借金もないし、食べていくことはできる。何よりも手にしてくれた人が喜んでくれるのがうれしいんだ」と永岡さんは笑顔で話す。
そんな永岡さんが作っている山椒は世界的に安全とされている農薬の基準をクリアしており、フランス・パリの大通りの有名スパイス店に卸されたり、超高級チョコレートの原料に使われたりしているというから、驚きだ。
「こだわれば、こだわっただけ、こだわりの職人の手に渡る。理解してくれる人が買いに来てくれる。自分たちのかけた手間暇は無駄じゃないんだ。わかってくれる人の手に渡れば、それはちゃんと価値のあるものになる」。
永岡さんのこだわりはしっかりと作り手や買い手に伝わっているようだ。
そのこだわりの山椒は園内で味わうことも可能である。
施設内のカフェスペースでは、奥様の初美さんが山椒を使った料理を提供している。数種類のパスタと自家製のスパイスカレー、手作りのケーキなどを提供しているが、全てにおいて山椒が使われている。しかしながら、主張しすぎず優しい味がする。まるで初美さんの人柄がにじみ出るような味だ。
「私は、料理人じゃないから……山椒にずいぶん助けられているのよ」と初美さんは話す。
かんじゃ山椒園で加工されたさまざまな山椒を、巧みに使いこなして提供される料理からは、さわやかな山椒の香りが漂う。しかし、その料理に合わせて山椒を使い分けるからこそ料理ごとに風味が違うのだ。山椒以外の食材も地産の物が多く使われ、初美さんはうれしそうにそれらについても話をしてくれる。和やかな話声と笑顔で美味しい以外の幸福感もみなぎってくる。
また、かんじゃ山椒園では、近隣の方や里山に住みたい若者を、働き手として受け入れている。1日数時間程度の仕事だったり、希望のお休みなども、ある程度融通が利くようになっているようだ。
永岡さんに今後について聞いてみた。
「昔は仕事があるから移り住む時代だった。今は“こんな生活をしたい”と思って移り住む時代だと思う。この里山をそんな時代に選ばれる場所にしたい。この場所を次世代に引き継いでいきたい」
永岡さんは、里山をよみがえらせるため、農園だけにとどまらず、初美さんの実家が町内で人気スポットの「あらぎ島」の徒歩圏内にあるのを利用して、仲間とカフェやイベントスペースなども始める準備もあるそうだ。
また、それとは別に、近所の古民家をゲストハウスとして運営もしていく予定だそうで、着実に人が集まる場所、一度足を止めて里山を見直せる場所を作ろうとしている。
里山を次世代に引き継いでいこうと孤軍奮闘する永岡夫妻は、こだわりを持ちながら、新しいものを切り開くパワーとやさしさを併せ持ったとてもすてきなご夫婦だった。
まだまだ聞きたいことがたくさんある。きっと筆者はこの素敵な山椒園にまた足を運ぶことだろう。