戦争もバブルも越えて。100年変わらず残り続けた『朝霞にんじん』【埼玉県朝霞市】

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 埼玉県朝霞市。JR東日本、武蔵野(むさしの)線が発着する『北朝霞駅』から、30歩ほど向かうと、『北朝霞駅前 にんじんモニュメント』が目の前に広がっています。4本立ち並ぶモニュメント。

 朝霞市は、大正時代後期から続くにんじんの街なのです。

昭和・平成・令和と時代は移り、人々の暮らしは変わりました。郊外では、ベッドタウン化が進み、駅前には住宅や商業施設が並びます。これまでにんじんが作られてきた農耕地も「住みやすい街」としての開発が進み、変化を遂げています。

それでも、朝霞市のにんじんは、消えませんでした。

およそ100年。この街に根付き、作られ、食べられ続けています。なぜ、約100年間、にんじんは変わらず残り続けたのでしょうか。そして今もなお、続いている理由は何なのでしょうか。

変わり続けた100年の中で

100年とは、改めて長い時間だと痛感させられます。

そのあいだに、日本は戦争を経験し、悲しみに暮れながらも前を向き復興。高度経済成長が訪れ、バブルにもわきました。その後、インターネットが世界中に広がり、スマートフォンを誰もが手にしています。

朝霞市も、言わずもがな。長い目で見ると、目に見えて分かる変化をしています。

かつて、朝霞市は、膝折村(ひざおりむら)という農村でした。大正時代後期、にんじん栽培が始まります。やがて1932(昭和7)年、朝霞町へ改称。昭和の初めには『膝折4寸』という短いにんじんを生み出します。栽培農家も増えて、生産は盛んになったのです。

そして、1967(昭和42)年、町は市制を施行し朝霞市へ。

出典:朝霞市 市勢要覧『朝霞浪漫』より
北朝霞区画整理事業(昭和48年)出典:朝霞市 市勢要覧『朝霞浪漫』より

さらに、1973(昭和48)年、武蔵野線が開通し、東京へのアクセスは快適になりました。朝霞市はベッドタウンとして発展していきます。

街は広がり、1970年代から現在までの半世紀で、人口は徐々に増加。

参考資料:朝霞市 朝霞市史(民俗編)より筆者作成

かつて一面に広がっていた、にんじん畑の多くは、建造物などへと姿を変えます。

にんじん畑は減った それでもやめなかった

筆者は、東武東上線『朝霞駅』から、徒歩数分の場所にある『食珈茶菓酒 (しょくこうちゃかしゅ)すわん』さんへ向かいました。

創作イタリアン料理のお店で、『朝霞にんじん』を使ったパスタや、ドレッシングの提供をされているのです。

なぜ、朝霞にんじんを使った商品を出されているのかと、店主の今井さんに尋ねると、次のような言葉が返ってきました。

「私は生まれも育ちも朝霞なんですけど、昔は、にんじん畑だらけで」

 かつてこの街に広がっていた、にんじん畑の風景。

 今井さんは続けます。「今の人たちは、にんじん畑をなかなか目にすることがないと思うんです」

だからこそ、お店で使い始めたとのことでした。

「朝霞は、にんじんが昔から有名で、それを知っていただきたいという思いがあって。朝霞にんじんを使った商品を提供したいなと」

 『あさか人参のパスタ』はおいしいと評判で、それを目当てに訪れるお客様もいるのだとか。

逆に、朝霞にんじんを使った商品を、やめようと思ったことはなかったのとたずねると、今井さんは言いました。

「それはないですね。朝霞は、にんじんが有名ということを知らない方には、知っていただくきっかけになりますし。すでに知っている方は、喜んでくれるので」

 一面のにんじん畑は減り、宅地の中に、にんじん畑が点在するような風景に変わりました。

それでも、約100年前からある、にんじんを使うことをやめなかったのです。

『あさか人参のパスタ』:あさか人参を生地に練り込んだ自家製生パスタ!肉みそクリームソース。

クリームがとろっとしており、クリームとお肉が一体になっておいしい。

人参のパスタも、にんじんの甘みを感じてモチモチしていました。

お写真を撮影させてくださった「食珈茶菓酒 すわん」オーナーシェフ大金(おおがね)さん

なぜ『朝霞にんじん』は残り続けたのか

筆者は、朝霞市役所にも、『朝霞にんじん』ついて話を聞いてみました。

その中で、市の担当者の方が、

「100年ものあいだ、続いている明確な理由はわかりません。農家の皆様が栽培を受け継ぎ、継続してくださった賜物(たまもの)だと思います」

とお話されました。

 行政としても、『朝霞にんじん』が残り続けている理由を、一言では説明できないということでした。

続けて市の担当者の方から、「朝霞にんじんは、シティ・セールス朝霞ブランド1として認定しており、今後も引き続き、朝霞市の魅力のひとつとして発信していきます」とも教えていただきました。

今や朝霞にんじんは、単なる農産品ではなく、街の魅力を市内外に発信する地域資源になっていたのでした。

取材を通じて見えてきたものがあります。そこに、明確な理由はないというものでした。

 「朝霞市と言えば、にんじんだから」

『朝霞にんじん』を作る人がいて、使う人がいるということ。そして、心待ちにして、食べる人がいます。

100年以上も前ににんじんを栽培しようと思った人たちがいて、苦労や工夫もあったかもしれない。そのどんな時代にも、おいしいと思ってにんじんを食べてきた人たちがいた。

当たり前のように、継続してきたことが100年途切れなかったのです。これこそが、残り続けている答えのような気がしました。

しかし、当たり前のように見える取り組みを続けることは、どれほど難しいのか皆様は想像がつくでしょう。

令和の朝霞 『朝霞にんじん』の今後

では、この先も『朝霞にんじん』は残り続けていくのでしょうか。

にんじん畑は減り、作り手も変わり、街の姿もこれからさらに変化していくはずです。

それでもきっと、この街でにんじんを作る人がいて、料理に使う人がいて、食べる人がいるかぎり、営みは続いていくと感じました。

『北朝霞駅前 にんじんモニュメント』は駅前に変わらず立っています。

  1. シティ・セールス朝霞ブランド‥朝霞市の魅力を市内外に発信するものとして、市の誇れる地域資源をブランド認定したもの(朝霞市役所より)  ↩︎

足立尚典

足立尚典

1994年鳥取県生まれ 現在は埼玉県朝霞市在住
飲食店巡りや芸術、文学などの作品好き

地方も関東でも生活した目線で地域を見ることができ嬉しいです
どんな心沸く経験に会えるのか今から楽しみです

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