「治外法権」というと、学校で日本史の授業で習ったポーツマス条約で初めて知った言葉でした。
今ではローカルルールとして片付けられてしまうことが多い意味合いに近い言葉だと思います。
しかし命にもかかわることがある交通法規となると国や地方が違っても厳格で、なかなかローカルルールとして認められることは難しいかもしれません。
私が住む兵庫県には、淡路島というわりと大きな島が瀬戸内海と大阪湾を隔てるように浮かんでいます。今でこそ四国の徳島県と結ぶ明石海峡大橋と高速道路が淡路島を経由して通っていて、兵庫県民にとっての淡路島は陸続きとなって久しく、もはや島というイメージは薄れつつあります。
兵庫県でも内陸にある我が家からからでもクルマなら1時間かからずに島の入口までアクセスできるので、遠いイメージもありません。
ところが、いったん淡路島の島内に入ると、いろいろな意味でやはり島だったのだということを再認識させられる独自の文化を感じます。その中で、以前から奇妙なクルマというかトラックのようなものを見かける度に、興味津々となって追いかけていました。
ノロノロと島内を走り回っているそのクルマは、運転席にドアもない吹きっさらしで、エンジンまでむき出しの状態です。要するに、鉄製の四角いフレームに4つのタイヤがついてエンジンが乗っかっているだけで、運転席の後ろはそのまま荷台になっています。作られた時期やメーカーにより、それは鉄製だったり木製だったりします。
それらのクルマですが、何台も観察していると、全てがいわゆるオーダーメイドで、二台として同じ作りのクルマはありません。オーナーである農家さんに聞くと、地元(島内)の個人が経営する小さな鉄工所で作られているからだという話です。
このような、地元では農民車と呼ばれている手作りのクルマが使えるのは、農家が私有地である田畑でしか使わないという前提があるからです。私有地であれば、何に乗ろうと個人の自由ですからね。
しかし、時には公道を走らなければならないこともあります。無登録車での公道走行は法律違反にあたるため、適切なナンバープレートの取得が必要です。
現在では法規制が厳格化されつつありますが、過去には農民車が普及している地域特有の事情を考慮して、一定の黙認があったとされます。。
治外法権とは少し大げさかもしれませんが、ローカルならではの「究極のルール」が過去にはあったようです。
以前より台数は減ったとはいえ、島内に2,000台ほど存在するそうです。淡路島の豊かな大地とともに、農民車がゆっくりと走る風景は、今も変わらないのどかな光景です。