
福島の観光といえば桃などのフルーツや温泉巡りなどが中心になりがちになる。しかし仙台在住の筆者としては、それだけではもったいないと感じている。なぜなら福島には伊達家ゆかりの地が多く存在しているからだ。
2025年11月2日、仙台ふららん(株式会社たびむすび〈宮城県仙台市〉)主催のもと、宮城スリバチ学会のカカズタカオさん(福島県出身)とグラフィックデザイナーの厚綿広至(あつわた・ひろし)さんのガイドによって福島駅東側の城下町を歩くまちあるきツアーが開催された。
カカズさんは、「『仙台の人こそ福島を知ってほしい』をコンセプトに今回のまちあるきを催した」と話した。
「仙台の人こそ福島を知ってほしい」をコンセプトにまちあるき
筆者としても初めて知った福島にある伊達家の歴史。伊達家ゆかりの場所がたくさん存在していたことに対して、驚きを隠せなかった。
筆者が特に心に残った場所は、以下の5つだ。
①羽黒山真浄院。松川の合戦後に信夫山にあった羽黒神社を管理していた別当寺・寂光寺が敗戦により伊達政宗に従い、仙台・青葉山に移った。その後、寂光寺は再び信夫山に戻り、現在の羽黒山真浄院の源流になったとされる。一方仙台の”青葉山”という地名の由来には、この信夫山の羽黒信仰が関係しているといわれる。

②御倉邸。御倉邸がある「福島河岸」は舟運の拠点としても役目を果たした。そして、明治32年(1899年)には旧日本銀行の出張所(のちの福島支店)が開設された。現在の御倉邸の母屋はその出張所ではなく、昭和2年(1927年)に建てられた純和風の役宅である。園内には阿武隈川を借景にした日本庭園が整備されており、平成23年(2011年)には、旧米沢藩の米蔵も復元された。


③福島城址。福島城址も魅力的だった。福井県庁と同様に県庁の敷地内が城跡だったということだった。


④宝積寺。政宗の祖父にあたる晴宗の墓地が晴宗建立の地・宝積寺にあったことにも驚きを隠せなかった。

⑤福島稲荷神社そばの「世良修蔵官修墳墓」。東北戦争(戊辰戦争の東北での戦い)の発端となったのが、福島で起きた事件だった。


戊辰戦争東北の戦いの舞台となった地にて
ガイドの案内で訪れた福島稲荷神社のそばに「世良修蔵官修墳墓」があった。
幕末には長州藩士の世良修蔵は奥州を討伐するために北上して仙台や福島などの藩士に対して強硬な姿勢をとっていた。それに対して(仙台や福島などの)藩士は怒りを覚えて世良を襲撃したのちに斬首した。
それがきっかけで薩長軍率いる新政府軍と奥羽越列藩同盟軍(おううえつれっぱんどうめいぐん)の戦が始まった。
しかし、奥羽越列藩同盟軍は新政府軍に敗れて降伏したことはいうまでもない。
筆者自身も、この歴史が福島で動き出した事実に驚きを感じた。
今回のまちあるきツアーに参加して、実際にガイドの話を聞かないとわからないことが多いということを、感じさせられたものだ。
インターネットで調べたり独り歩きするだけではなく、実際に話を聞く重要性を痛切に学んだ。
※画像はすべて筆者が2025年11月2日に撮影。




