お先真っ暗な人生を救った妻のあるひと言。元板金工が地元で愛されるデザイン会社になるまで【新潟県村上市】

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株式会社エムプリント 代表取締役

Mitsukazu Ishida
石田 光和氏

新潟県の県北エリアにある村上市でグラフィックデザイン制作、Web制作、イラスト・似顔絵作成などを行っている株式会社エムプリントの代表・石田 光和(いしだ みつかず)さん。もともと板金工だった石田さんは、ふとしたきっかけで通うようになった絵画教室で人生が一変し始めたそうです。いかにしてデザインの道を志すようになったのか?展望は?お話しを伺いました。

すべての始まりは、町の絵画教室。行動力のある人たちとの出会いが人生を変えた?

会社立ち上げまでの経緯を教えてください

私はもともと東京の株式会社ジャムコという航空機内装飾メーカーで板金の仕事をしていました。1年ほどの修業を終えた25歳のころに、生まれ故郷である村上市のジャムコの工場に赴任しました。小さいころから絵を描くことが好きだった私は、仕事が終わったあとの楽しみとして町の絵画教室に通うことにしたのですが、そこでいろいろな方々と出会い、この業界へと入ることになったんです。

具体的にはどのような方々と出会ったのですか?

絵画教室を開催していた方の弟さんで、このエリアの雑誌「こよみ」の仕掛け人だった村上市唯一のデザイン事務所の社長さん。瓦職人から建築家に転身された方。私と同じ絵画教室に通っていたけれど、画家になると言って東京に行き、今は帰郷してギャラリーをやっている方。のちにお世話になる看板屋さん。こういった方々と出会ったことで自分の中での独立心みたいなものがふつふつと湧いてきたんですね。あと、時代がちょうどよかったんですよ。

「時代がちょうどよかった」というと?

Macintoshの登場です。Macさえマスターすれば、大した技術がなくてもデザインができる、この業界に携われると思ったんです。そのくらい、Macの先進性が素晴らしかったんです。今、思うと無謀なんですけどね(笑)。

実感した「デザインで食っていくのは大変だ」。デザインの根っこを知るために印刷会社へ転職

そこで独立されたのですか?

いえいえ、まずは大前提を知る時間に充てました。印刷の仕組みや値付けを覚えるために31歳のころに印刷屋さんに転職し、32歳のときには看板の作り方を覚えるために絵画教室をとおして出会った看板屋さんにお世話になることに。そのころの看板屋さんはPCでデータ作成をするため、そこでMacの使い方も同時に覚えましたね。
そして、33歳のときにさきほど話した当時の村上市唯一のデザイン事務所、オム・クリエイションの社長に誘われて、本格的に業界に入ることになりました。

当時はどのようなお仕事をされていたのですか?

私が入った当時はまちづくりデザインが主でしたね。村上市内の道路を整備するからどんなふうにしたら良いか市民からアイデアを募ったり、ワークショップなどを開催してそういった公募のアシスタント補助をするというものだったり、会報誌を作ったりすることが多かったですね。あとは村上市内のお店の方のチラシ制作をしたり、本当に毎日必死にすべてのことに全力投球する時間が続いていました。
思っていたデザインとは少し違う仕事をしている中で「デザインで食っていくのは大変だな」って自覚しました。自分が技術をつければつけるほど、よりそれは強く痛感していました。そんな折、急に独立の話が出てくるんです。

「あなたに100万円投資する」。救ってくれた妻のひと言

ご自身のタイミングで独立されたのではないのですか?

いくつかのタイミングが重なりました。私が40歳のころ、世の中の不景気の煽りもあり、前職の社長から解雇を言い渡されました。その日、帰宅すると妻に「顔色が悪い」といわれ、すぐさま今日あったことを話すと、妻が私に向かって「あなたに100万円投資するからそれで好きなことをやって」と。そこで、妻の実家で空いていた一部屋を事務所にこの会社を始めることにしました。それが2006年のことです。

独立当初のお仕事はどのような内容でしたか?

最初の年の仕事はとても少なかったです。内訳としては印刷物が9割、ホームページ制作が1割くらいでしょうか。退職の際、担当のお得意さまに退職のあいさつに伺ったら「うちはあなたに担当してもらいたいんだよ。独立するなら応援するね」といっていただき、独立後すぐにお仕事をいただけていたのは非常にうれしかったですね。

社員の“得意”を武器に「人や地域に笑顔を」。強みは「私たち『らしさ』」のある提案

現在はどのような体制でお仕事をされているのですか?

「笑顔クリエイション。私たちの創造力(サービス)で人や地域に笑顔を作っていきます」を信条に3人体制で業務にあたっています。3人それぞれがいろいろな仕事をしますが、キャラクター制作なら東海林、サイトの制作や操作指導なら山田、イラスト制作を行う私、とそれぞれがそれぞれの得意を武器にみなさまのご要望に寄り添っています。

御社の強みはどこだと思われますか?

クリエイティブな部分の出来がいいのは当たり前。そのうえで誠実であることが大事だと思っています。お客さまはイメージでこんなふうなものを作ってくれ、とオーダーされることがほとんど。それをデザインに起こして提案する際に、必ず「らしさ」の入った提案をプラスでするようにしています。本来であれば、オーダーどおりのものでいいのかもしれません。しかし、それでは私たちに依頼していただいた意味がないと考えています。私たち「らしさ」に興味を持っていただいたのであれば、そのことに感謝して、誠実に応えないとダメだと思うんですよね。そういったところがうちの強みかな、と。

いつかは何ごとにおいても町から頼られる存在に。社員の考えが融合したからこそ印象に残った仕事とは

これまでで印象に残っているお仕事はどのようなものですか?

村上市の中央商店街さんのお仕事ですね。村上市内でこういった業界の仕事をしている人の多くは、1人でやられています。しかし、うちには3人いるんですよね。例えば、商店街のマップは僕が下絵を描いて、ほかの1人が色を塗るなど分業で作ったものです。そうやって3人の打ち合わせに時間をかけながら、じっくりと制作を進めていく。3人の中にはそれぞれが考える村上市があって、それらを組み合わせながら一つのものを制作していく。そうやって出来上がったものだから、やっぱり印象に残っていますね。
こういった体験もあったからなのか、山田は自分の意志で商工会議所の青年部に入って、今も活動しています。私は私で、ボランティアとして竹灯籠まつりの実行委員をするなど、地域に根づいた活動も仕事に生きていると思います。

ビジョンを聞かせてください。

地域の人たちにより認めていただき、頼りにされる存在になりたいと思っています。困りごとがあったらあそこに聞けば解決する、とどんな小さなことでもいいから頼られる存在に、ね。
あとは、22年にデザイン専門学校を卒業してすぐに地元の会社であるうちに入社してくれた東海林のように、若い世代の方々ともいろいろとやっていける場所になれたらうれしいですね。

石田さんのように畑違いのジャンルからクリエイティブな仕事への転職を考えている方にメッセージをお願いします。

大きな転職には覚悟が必要だと思います。しかし、それ以上に自分の得意ジャンルを持っていることが大切です。好きだからこそ続けられるし、続けているからこそ技術が高まると思います。
あとは人のご縁。私がそうだったように、最終的には人と人だと思います。出会いを大切にして、誠実に向き合うことで、その次につながっていくと思います。

取材日:2024年10月15日

株式会社エムプリント

  • 代表者名:石田 光和
  • 設立年月:2020年9月(法人化)
  • 資本金:150万円
  • 事業内容:印刷物の作成やWeb制作やアフターフォロー、イラスト・似顔絵作成、ドローン撮影や動画編集、Tシャツプリント、SNSの投稿代行、ロゴマークやキャラクターのデザインほか
  • 所在地:〒958-0853 新潟県村上市山居町1-12-44
  • URL:https://emu-pri.com/
  • お問い合わせ先:0254-52-2664
  • MAIL:welcome@emu-pri.com

この記事は株式会社フェローズが運営する、クリエイターに役立つコンテンツを発信する「クリエイターズステーション」にも掲載されています。

コジマタケヒロ

コジマタケヒロ

新潟県

クリエイターズステーション

大学時代からライターとして文筆。大学卒業後は、新潟県内でエリア情報誌を発行する出版社に就職。編集に従事し、エリア情報誌の編集長や各種ムック本制作を担当する。2019年よりフリーランスに。出版社時代から得意ジャンルとしている日本酒や地域のグルメ情報を中心に新聞やウェブ媒体に執筆している。

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