「髪が抜けても私は私」抗がん剤による脱毛と向き合った日々【和歌山県和歌山市】

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私は2024年11月乳がんが発覚し、2025年1月に右胸全摘手術を行いました。

現在は、再発予防のための抗がん剤を毎週うけています。この、抗がん剤の副作用の1つに脱毛があります。

脱毛は私にとってとても大きな悩みのひとつでした。特に女性は髪の毛に対する思い入れが強く、脱毛によるショックはとても大きいと思います。

どうやってわたしが脱毛と付き合い、乗り切っているのかお伝えします。

まさかのリンパ節転移、そして抗がん剤治療がはじまる

リネアストリアのウィッグをつけている私

2025年1月、右胸全摘手術を終えて、ようやく一息つけると思っていた矢先、医師から伝えられた「リンパ節への転移」。再発予防のために抗がん剤治療が必要だと説明を受けました。

そしてもうひとつ。

「抗がん剤の副作用で、髪の毛が抜けます」

その言葉は、想像以上に私の心を揺さぶりました。

脱毛するということが受け入れられなくて、私は何度も聞き返してしまいました。

「まさか、人生で髪の毛が全部なくなる日が来るなんて」

そう思った私は、ショックな気持ちを、主治医に打ち明けました。

すると、先生は同じ病院内にあるがん相談支援センターを紹介してくれました。

初めて足を運んだその場所で、私は少しずつ、「脱毛」と向き合う準備を始めることになったのです―。

脱毛が受け入れられずがん相談支援センターへ

そこには、たくさんのウィッグの見本が並んでいました。

「私ほんとうにこんなの被るの?」
「とにかく抗がん剤が始まる前に、1つ買わなきゃ」

一見冷静に振る舞っていましたが、内心は不安と焦りでいっぱいでした。

ウィッグ、私の頭に合うものはある?

私はもともと頭が大きめで、市販の帽子でも入らないことがあります。

「ウィッグなんて入るんやろうか…」という不安でいっぱいだった。

でも誰にも相談できなくて、またがん相談支援センターへ足を運びました。

ネットで検索すると、たくさんのウィッグの会社のホームページがでてきましたが、はじめてのことでどれをみてもピンときませんでした。

相談員さんが「これは比較的ゆったりめなんですよ」とすすめてくれたのが、リネアストリアのリラックスウィッグ。

がん相談支援センターの相談員さんが具体的に教えてくれたことで「ここからもう一度、自分に似合うものを探してみよう」そう思えて動き出すことができました。

自分にあったウィッグを見つけ少し安心する

抗がん剤が始まる前の不安を「安心に変える光」のひとつとして、ウィッグを手元に置いておこうと考えていた私は、リネアストリアの試着ができるサロンへ行くことに。

スタッフさんに相談しながら鏡の前で何度も試しました。リラックスウィッグは私の頭にも入ることがわかり、だんだん「これなら外にも出られるかも」と思えてきました。

普段ショートヘアが多い私は、どうせウィッグをするなら普段しない髪型を、とロングヘアのウィッグを購入しました。

看護師さんとの面談で気持ちが楽に

抗がん剤が始まるまでの間、わたしは精神的にとても追い詰められていました。

抗がん剤イコールとても怖いものと思っていたので、自分がどうなってしまうのか不安でたまらなかったのです。

わたしは主治医に不安な気持ちを相談しました。すると化学療法認定看護師さんを紹介してくれて、不安な気持ちを聞いてもらう面談の時間を設けてくれました。

抗がん剤をすることが怖い、受け入れられないと話す私に「がんを治すためだから、がんばってほしい」と一生懸命説明してくれました。

私が病気になったその後の人生をどう生きるか、きちんと考えられるようになったのはそれからのことです。

抗がん剤開始と髪の毛すべてが抜ける体験

髪の毛が一気にぬけてしまった

胸の傷が落ち着き、2025年5月から抗がん剤治療がスタートしました。

2回目の抗がん剤治療のあと、看護師さんから「外見が変わるとおもうけど」といわれ、その言葉通りあっという間に全ての髪の毛がぬけました。

お風呂場で、部屋で、なにもしていないのに髪の毛が抜けていく、そんな経験ははじめてでした。

なんとも言えない悲しみがありましたが、病院の看護師さんたちやたくさんできた同じ病気の友達たちの支えもあり、いまはウィッグを楽しめるようになりました。

ウィッグはロングヘアとミディアムヘアをもっていて、TPOで変えて楽しんでいます。

まだしばらく脱毛の期間は続きます。その間、ウィッグなどでたくさんおしゃれができたらといいなと思っています。

どんなことでも楽しめるようになりたい

抗がん剤、脱毛という経験を通して、私はどんなことでも楽しめる人になりたいと思うようになりました。これからもまだがん治療は続くので楽しみを見つけながら頑張ろうと思ってます。

※写真は筆者撮影、画像はAIで筆者が生成したものです。

久松公代

久松公代

第5期ハツレポーター/京都府宇治市産まれ。社会福祉士。父は大阪出身、母は東京出身で子どものころから地域による言葉の違いや風習の違いを感じてきました。和歌山市に移住して18年たちます。暮らして気づく和歌山の良さを伝えて行きたいと思います。

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