沖縄の平和劇で語り継ぐ命の記憶。俳優が活躍できる場をつくる、新たなビジネスの形【沖縄県宜野湾市】

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株式会社ナラティブ 代表取締役

Kensaku Nagata
永田 健作氏

演劇一筋20年のキャリアを持つ沖縄の株式会社ナラティブ代表取締役・永田 健作(ながた けんさく)さんが見つめてきたのは、「才能があっても食べていけない」という沖縄の演劇界が抱える構造的な問題でした。その現実を打破するために、戦争体験者・中山きくさんとの出会いを転機に平和劇を製作。地道に自主公演を重ね、ついに演劇の事業化を目指しています。俳優が誇りを持って生きられる環境作りにも取り組む永田さんの軌跡を伺いました。

「演劇をビジネスに!」。沖縄の役者が活躍できる場を

キャリアのスタートから教えてください。

大学卒業から一貫して演劇活動を続けてきたことが、すべての出発点です。那覇市に生まれて、高校卒業後すぐ役者を目指そうと考えていましたが、父親から大学進学を強く勧められたこともあり、琉球大学に進学しました。在学中はボランティアで撮影スタッフを務めたり、東京でオーディションを受けたりしていましたが、なかなか結果が出ませんでした。
卒業を控えた時期に、沖縄の劇団が俳優ワークショップを開催するという情報を得ました。正直なところ、当時は沖縄での活動にそれほど興味がなかったのですが、実際に参加してみると非常に面白く、俳優の方々も素晴らしい人たちでした。沖縄にも演劇の土壌があることを知り、心機一転、沖縄で活動を続けることを決意しました。

俳優としての活動は順調に進んだのでしょうか?

日々、稽古を重ねて、舞台に立ち、お客様から一定の評価をいただくなど、手応えを感じる瞬間もたくさんありました。ですが、俳優だけで生活できるほどの余裕はなく、年齢を重ねるにつれ、苦しくなっていく状況でした。
俳優業と並行して沖縄の芸能事務所でマネージャーも務めていたのですが、多くが似たような問題に直面していました。マネージャーという仕事柄若い人材の確保は重要である一方、根本的な壁を突破しない限り、沖縄で俳優が育つのは難しいのではないかと感じるようになりました。
県外にステップアップの場を模索していくことは素晴らしいことですが、沖縄でも十分に活躍できるような環境を作りたいと考えるようになりました。そこで、2015年頃から演劇をビジネスにする取り組みを始めました。

戦争体験者との出会いから「平和劇」を制作し、上演機会を獲得

どのような方法で演劇をビジネスにしようと試みたのでしょうか?

学校などで公演する機会を得たいと、市町村などの自治体に売り込むことにしたのですが、なかなか実現まで結びつけることができませんでした。行き詰まりを感じ始めた頃、知人から「戦争体験者が高齢化し、いつか人前で話せなくなるので、白梅学徒隊(沖縄戦で沖縄県立第二高等女学校の生徒たちによって編成された看護隊)だった中山きくさんの体験を平和劇にしてほしい」という依頼を受けたのです。当時は、軽い気持ちで引き受けたのですが、想像以上に責任の伴う作業でした。

想像以上の責任とは、いったい何があったのでしょうか?

沖縄戦体験者のきくさんから聞き取りを行い、脚本執筆を約1年半に渡って行っていたのですが、一層身を引き締めて取り組むようになったのは、きくさんとの出会いから3カ月目の頃です。当時87歳のきくさんに「いつもお元気ですね。健康の秘訣は何ですか?」と軽い気持ちで聞いたところ、きくさんは真剣な目で「私は簡単に死ねないのよ。私が語ることをやめてしまったら、沖縄戦で亡くなった大勢の友達の生きた証も一緒に消えてしまう。私には使命があるの」とおっしゃったんです。この言葉が、自分の心を変えました。自分がいかに平和な社会の恩恵を当然のものとして享受していたかを痛感しました。平和な社会を次世代につないでいくために、自分の力を使って貢献したい。そのために、平和劇を必ず事業化させようと誓いました。

身銭を切って公演を打ち、信頼獲得と事業化への道筋を作る

事業化までのプロセスを教えてください。

まず、顧客のニーズを正確に把握できていなかったという、根本的な課題に気付くことから始まりました。従来の一般的な演劇を市町村に売り込んでいた時期は、相手が求めていることを理解していませんでした。仕事は、誰かの役に立って初めて意味を持つと思うのですが、相手が何に困っているのか、どうやって演劇がその困りごとの役に立てるのかということが分かっていませんでした。
しかし視点を変えてみると、戦争体験の継承については、明確な課題とニーズが存在していました。多くの学校関係者などが「戦争体験の継承が危機的状況にある」と認識しながらも、具体的な解決策を見つけられずにいる状況だったのです。この課題に対して平和劇という解決策を提案したところ、相応の対価で公演依頼をいただけるようになりました。
ただ、平和劇は戦争に対するさまざまな解釈があるため、教育現場からは慎重な反応も多くありました。信頼獲得のため、広島や長崎などの公演をすべて自己資金で実施することに。演者の出演料も業界相場を上回る金額に設定し、資金が厳しい状況でも一切妥協しませんでした。
これらの県外での公演活動を通じて旅行代理店との接点を作ることに成功。初の修学旅行案件が決定し、ようやく事業として一歩目を踏み出すことができました。

御社のもう一つの事業内容である映像制作についても詳しく教えてください。

長年芝居の脚本執筆や演出を手がけていた経験がとある沖縄の企業に買われ、入社することに。テレビコマーシャルやYouTubeコンテンツ、Webドラマの制作などを主に担当していました。
とてもやりがいのある仕事でしたが、自分の中で平和劇をなるべく早く事業化していきたいという思いが強くなり、独立を決意しました。ありがたいことに独立後もその企業とのお付き合いは続き、映像制作もしています。

平和劇を発展させ、世界へ羽ばたく沖縄の役者を育てたい

今後の展望を教えてください。

まず、平和劇の事業を確立して、より多くの人に見てもらうことです。きくさんをはじめとする体験者の皆さんから「戦争を二度と繰り返さないでほしい」という切実な願いを聞くたび、継続していかなければならないという強い責任を感じています。 戦争体験者の方々から学び、真摯に向き合い続けることで、真の社会的価値を持つ事業として継続できると確信しています。
もう一つの目標は、「しっかりと稼いで適切に納税する」ことです。私たちが舞台に立つ機会が増えるほど、納税を通じて社会に再分配される資金も増加します。これにより、子どもの貧困や環境問題など、沖縄が抱える社会課題の解決に貢献できると考えています。
さらに大きな目標として、世界市場も目指しています。現在、県内で活動している俳優たちには、力をつけて将来的に世界で活躍してもらいたいのです。日本国内で勝負する場合、どうしても認知度の壁が立ちはだかりますが、世界市場ではその壁が一気に低くなります。現在Netflixなどの配信プラットフォームで見られる作品の中には、主役が地元の劇団員という作品もあるので、決して夢物語ではないと信じています。

最後に、どのような方に参画してもらいたいと思いますか?

舞台制作の仕事を担える人材を求めています。スケジューリングや出演料の交渉など、対外的な業務を担当できる人材に参画してほしいです。スキルや経験値も大切ですが、俳優への愛情を持ち、沖縄の演劇・映像業界の発展に情熱を持つ方と一緒に働いてみたいですね。

取材日:2025年6月18日 

株式会社ナラティブ

  • 代表者名:永田 健作
  • 設立年月:2024年7月
  • 資本金:100万円
  • 事業内容:映像制作、演劇制作/演出/脚本
  • 所在地:〒901-2214 沖縄県宜野湾市我如古4丁目25番22号
  • URL:https://www.instagram.com/kensaku1130/
  • お問い合わせ先:nagata.k@narrative-okinawa.jp

この記事は株式会社フェローズが運営する、クリエイターに役立つコンテンツを発信する「クリエイターズステーション」にも掲載されています。

仲濱 淳

仲濱 淳

埼玉県生まれ、埼玉県育ち。
東京でテレビ制作会社、出版・イベント会社へ勤務するかたわら、
海ナシ県で育ったせいか海への強烈な憧れを抱き続け、2010年に沖縄に移住。
沖縄で観光情報誌やウェブマガジンの営業・編集を経て、フリーランスに。

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