恵比寿の住宅街に残る武蔵野の記憶 国際色も映す新茶屋坂【東京都目黒区】

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1928(昭和5)年に設置された「茶屋坂隧道」の銘板=2026年1月2日、東京都目黒区

歴史と異文化が交差する恵比寿の街の周辺に、静かな坂道がある。目黒区三田と中目黒の境を下る新茶屋坂は、江戸期にさかのぼる土地の歴史と現代のモダンな住環境が重なり合う場所だ。都心の動きが一段落する時期にこの坂を訪れた筆者は、日常の風景の中に残る土地の変遷を実感した。

にぎわいの裏に現れる、長い坂道

新茶屋坂沿いの歩道。石垣とツタに覆われた擁壁が続き、住宅街の中に静かな奥行きを生んでいる=2026年1月2日、東京都目黒区

筆者は新年を迎えて間もない1月の初め、「ヱビスビール」のCMでおなじみのあの映画のテーマ曲が流れるJR恵比寿駅に降り立った。赤レンガの建物が目を引く恵比寿ガーデンプレイスを左手に見ながら足を進めると空気は次第に落ち着き、視界の先に緩やかに下る長い坂道が現れた。目黒区三田と中目黒の境界に位置する新茶屋坂である。

新茶屋坂の途中にあるバス停「茶屋坂」。実際の茶屋坂はこの南側にある=2026年1月2日、東京都目黒区

 新茶屋坂は、防衛庁技術研究本部の東脇から中里橋付近まで続く全長約500メートルの坂道。ほぼ直線で幅があり、現在はバスも行き交う生活道路として利用されている。

外国語と日本語が交差する住宅街

三田用水跡と茶屋坂隧道跡を伝える説明板。かつて水路が横切っていた場所を外国人家族が通り過ぎていく=2026年1月2日、東京都目黒区

歩いている途中、外国人の家族連れとすれ違った。子どもに話しかける英語の声に続き、後ろからはフランス語らしき会話も聞こえてくる。目黒区は港区や品川区と同様、大使館が点在するエリアとして知られており、周囲には落ち着いた邸宅や高級マンションが並ぶ。国際的で洗練された雰囲気が、この坂道にも漂っていた。

その空気に触れた瞬間、筆者は一瞬、日本ではないような場違いな場所に足を踏み入れてしまったように感じた。歩いているだけで自然と背筋が伸び、気が引ける。その感覚自体が、この土地の現在の性格を端的に物語っているように思えた。

将軍家光と「目黒のさんま」の舞台

茶屋坂の由来と将軍が立ち寄ったとされる茶屋について記した案内板=2026年1月8日、東京都目黒区

新茶屋坂の名は、近くにある「茶屋坂」との対比から付けられた。本来の茶屋坂は、新茶屋坂の南東側に位置する別の坂で、江戸時代から知られている。坂の上にはかつて茶屋があり、3代将軍家光や8代将軍吉宗が目黒遊猟の帰りに立ち寄り、休息を取っていたと伝えられる。

家光が茶屋の主人を親しみを込めて「爺、爺」と呼んだことから「爺々が茶屋」と呼ばれ、それが坂名の由来になったという。また、この茶屋は落語「目黒のさんま」にも登場し、将軍が庶民の食べ物であるさんまを口にした舞台であることも知られている。

300年流れた水の記憶

江戸時代からある茶屋坂。将軍が鷹狩の時に立ち寄った茶屋が由来になっている=2026年1月8日、東京都目黒区

一方、新茶屋坂が開かれたのは昭和初期。茶屋坂に対して「新しい坂道」として整備された比較的新しい道だが、坂の途中にはさらに古い歴史が重なっている。

かつてこの場所では三田用水が坂を横切り、「茶屋坂隧道」と呼ばれる短いトンネルの上を水路が通っていた。三田用水は1664年に整備され、農業用水や工業用水として約300年にわたり地域の暮らしを支えたが、1974年にその役割を終えた。現在、隧道は道路拡幅により撤去され、現地には説明板のみが残されている。

坂道に重なる、過去と現在

茶屋坂の上方から中目黒方面を見下ろす。住宅街の中を長い坂道が続く=2026年1月8日、東京都目黒区

坂の上に立つと、正面には目黒清掃工場の白い煙突が見える。武蔵野台地の地形、江戸期の水路の記憶、そして国際色を帯びた現在の住宅地。そのすべてが、一つの坂道に折り重なっている。

新茶屋坂は、観光地でも名所でもない。しかし、日常の風景の中で都市の歴史が静かに続いていることを、確かに感じさせる場所だった。

参考資料:目黒の坂 新茶屋坂(目黒区)、新茶屋坂 – 東京(坂学会)

写真:Przemysław Andrzejewski、昆 愛

昆愛

昆愛

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2024年、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「天文文化史で地元の魅力発信?九曜紋が導く新たな誘客構想とは【福島県南相馬市】」で渡部潤一奨励賞を2年連続受賞。また、2025年、「津波遺留品の返還事業終了へー東日本大震災から14年、記憶を未来へ【福島県いわき市】」で3回目となる本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を受賞。写真を通じた情報発信の一環として、郡山市(福島県)の市民カメラマンも務める。

2 件のコメント

  1. 茶屋坂についての記述をしていただき、大変嬉しく拝見しました。
    私は生まれてから恵比寿南に38年、結婚してから中目黒に30年住んでいる者です。
    実家にの母に会うため、茶屋坂(新茶屋坂)はほぼ毎日通っっています。
    茶屋坂隧道がまだ取り壊されていなかった頃からずっと通ってきました。
    取り壊されるまでの10年間くらいは、新茶屋坂の変わっていく情景をいつも見ながら通っていました。
    『目黒のさんま』は、私が聞いたところでは、将軍ではなくどこかのお大名の話を将軍に仕立てたとの事です。
    もちろん、現在30歳の息子が幼稚園児の時や、地域の小学校のお母さんたちの読み聞かせの際は、この『目黒のさんま』は必須アイテムでした。
    目黒区は江戸時代から村があり、目黒不動尊などの神社仏閣が集中していました。
    江戸の庶民は詣でる事イコール物見遊山のイベントでもあり、恵比寿方面から大鳥神社や目黒不動尊へ参詣道として、茶屋坂を利用していたのではないかと考えられます。
    雅叙園は近辺にお大名の別荘が幾つもあり、様々に利用をしていたようです。
    歴史ある地域ですが、古くから住んでいる方、新しいマンションに住み移ってきた方など様々な住民がいます。
    私は地域の町会に所属していますが、地域の特色を考えながら新しい地域起こしを町会のメンバーと模索しています。
    茶屋坂隧道だけでなく、防衛省技術研究所の歴史も面白いので、ぜひ調べていただけると幸いです。

    • 齊藤寿子様 
      長く茶屋坂を見つめてこられた方からのコメント、とても嬉しく拝見しました。
      隧道があった頃からの記憶や、『目黒のさんま』のお話など、地域に根ざした視点を共有いただきありがとうございます。
      いただいた内容は、執筆者の昆さんにもお伝えします。
      防衛省技術研究所の歴史についてのご提案も、今後の取材の参考にさせていただきます。
      ほかにも各地の地域に根ざした記事を掲載しておりますので、ぜひご覧いただけましたら嬉しいです。
      温かいコメントをありがとうございました。 ローカリティ!編集部より

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