福島・新潟の県境に位置し、日本有数の豪雪地帯でもある只見町。ここを走るJR只見線は、2011年の豪雨災害により橋脚が流出するなど甚大な被害を受け、一部区間が10年以上に渡って不通となっていた。しかし、地域住民や関係機関の懸命な復旧活動により、2022年10月に全線運転が再開。現在は新たな魅力を生み出し、地域活性化に貢献している。
今秋、郡山市で開催された水郡線全線開通90周年記念シンポジウムに、パネリストとして酒井治子さん(只見線地域コーディネーター)が登壇。本記事では、酒井さんの言葉を通して、地域の交通インフラとして重要な位置を占める只見線の復興物語と、ローカル線が地域にもたらす可能性について前編・後編の2部構成にて探る。
只見線は、福島県会津地方から日本海側に向かって流れる只見川沿いを走る美しい自然に囲まれた路線で、観光名所としても知られている。特に秋の紅葉や冬の雪景色は絶景で、国内外の鉄道ファンや写真愛好家からの人気も高い。しかし、この路線の価値は観光だけにとどまらない。沿線地域は交通手段が限られており、特に冬季には豪雪により新潟側に通じる国道252号線が閉鎖されるため、只見線は重要な交通インフラでもある。住民の日常生活や通学、通院などにも利用され、地域に密着した存在だ。
只見線は東日本大震災があった2011年の7月の豪雨で只見川が氾濫し、大きな被害を受けた。特に、福島県側では複数の橋が完全に流出し線路が途絶、そのため代替バスが運行されるものの、鉄道の持つ利便性や「もう列車は二度と走らないのではないか」という地域への心理的な影響は計り知れないものであった。
その後、復旧に向けた動きが始まるが、課題は山積みだった。まず地形的な問題から復旧工事が難航し、少子高齢化に伴う沿線市町村の人口減少とともに財源の確保や運営の持続可能性といった課題も浮上。しかし、地元の熱意が実を結び、2019年には、福島県とJR東日本が協力して只見線の存続を決定。地域住民や各種団体、行政が一体となって支援を行い、2022年10月には全線が再開通した。この再開は、只見線にとっても地域にとっても新たなスタートを意味することとなる。
只見線の復旧を支援する動きは、地域住民からも積極的に行われた。地域住民は自発的に「只見線応援団」を結成し、寄付活動やイベントを通じて資金を集めた。例えば、沿線6市町村(福島県柳津町、三島町、昭和村、金山町、只見町、新潟県魚沼市)で制定された「只見線に手を振ろう条例」は只見線が通過する際に地域住民が手を振って列車を歓迎するユニークな取り組みであり、地域全体の連帯感を高めるものとなっている。
また、福島県や地元自治体も只見線の復旧支援に積極的に取り組んだ。特に、観光振興や地域資源の活用を通じて地域経済を活性化させるための施策が進められた。奥会津地域の自然環境を生かした「只見ユネスコエコパーク」や、地元の農産物や工芸品を活用したイベントや商品開発が行われ、只見線は地域活性化の象徴となっている。
(後編へ続く)