栃木県栃木市のツルミ食堂は、観光客から地元の方にまで幅広く愛される食堂です。現在、食堂の代表を務めるのは3代目の鶴見恵子(つるみ・けいこ)さん。恵子さんの祖父にあたる鶴見豊(つるみ・ゆたか)さんが1964年にツルミ食堂を創業しました。
現在も多くの人に愛され続けるツルミ食堂の創業の背景や人気の秘密に迫ると、そこには創業者である豊さんの想いを引き継ぎ「おじいちゃんの味を守りたい」という恵子さんの強い想いがありました。
目次
「おいしいものを食べさせたい」創業者・豊じいちゃんの想い
「おじいちゃんがこの食堂をつくったきっかけは戦時中の経験だったと聞いてます」と恵子さんがツルミ食堂の創業の背景を話してくれました。
豊さんは戦時中に満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)として満州に派遣され、農地の開拓を行っていたそうです。日本が敗戦し、その後はシベリアで労働を行うことになった豊さん。当時は食料を十分に確保することができず、満足に食事をすることができなかったそうです。
「おじいちゃんは『日本に帰ったらおいしいものを食べたいし、食べさせたい』と強く思っていて、その思いがツルミ食堂誕生のきっかけだったそうです」と恵子さん。
その後、豊さんは日本に戻り、現在のツルミ食堂の前身である「鶴見食品店」を開業します。今でいうコンビニにイートインがあるような形式で、中華まんやお菓子、やきそばなどを提供していました。
「おじいちゃんは豪快な人で、お客さんの喜ぶことを最優先に考えていました」と恵子さんが話すように、豊さんの人柄や人情に惹かれ、徐々に常連さんが増え、地元に愛されるお店となっていきました。
「本当は継ぐつもりなんてなかった」3代目の転機
恵子さんが栃木市に戻ってきたのは15年前のこと。それ以前は東京で装飾系の仕事をしていたそうです。「継ぐつもりはまったくありませんでした」と恵子さんは話します。
しかし、転機が訪れます。それは豊さんが突然倒れてしまったこと。それから、お見舞いなどで実家に帰ることが多くなったという恵子さん。幼い頃から豊さんをそばで見てきた恵子さんは寂しさを強く感じたといいます。
そんなある日、「こんなにおじいちゃんのことを思っているなら、継げばいいじゃん」と恵子さんはふと思ったそうです。豊さん譲りの豪快な性格の恵子さんは「思い立ったらすぐ行動!」ツルミ食堂の3代目として継ぐことを決めました。
そうして「おじいちゃんの味を守りたい」という想いが芽生え、観光客から地元の方にまで幅広く愛される食堂を継承していきました。
「忙しいお母さんでも楽しめる食事を」カツ煮まん誕生秘話
そんなツルミ食堂の看板メニューは「カツ丼」。豊さんの代から、代々継ぎ足しで作られてきた秘伝のタレが自慢のカツ丼です。そのカツ丼と中華まんをかけ合わせてできた「カツ煮まん」がツルミ食堂の最近の一押し。
「もともとは忙しいお母さんのためを思ってつくった商品なんです」と恵子さんはカツ煮まんの誕生秘話を教えてくれました。
「ある時、ツルミ食堂に来店したお子さん連れの女性が、注文して出てきたカツ丼の蓋を30分も開けられずにいました。子供をあやしながらだと自分の食事を楽しめない状況をみて、何か子供をあやしながらでも食べられるものを開発できないかなと思いました」。
そして、忙しいお母さんでもワンハンドで手軽に食べることができる「カツ煮まん」が誕生したのです。
恵子さんは「カツ煮まんを通して、ツルミ食堂や栃木市のことを知ってもらいたいです」と語ります。豊さんから引き継いだ味を守りながら、カツ煮まんという新しい風を取り入れたツルミ食堂。これからの挑戦も楽しみです。