
秋田県の県南に位置する羽後町は山と田園風景に囲まれた自然豊かな地域。羽後町には古くから伝わる西馬音内(にしもない)盆踊りがあります。

それは、日本三大盆踊りにも数えられ、700年もの時を越え、亡者と生者がともに続けてきた踊り。夜の闇に浮かび上がる衣装の色、太鼓と笛の音、夜を震わせる草履と砂のすれる響き。ここでは、ただの祭りではなく、世代を越えて受け継がれてきた「祈りの踊り」が繰り広げられます。
目次
編笠と彦三頭巾、端縫い衣装と藍染めの色が映える


踊り手の多くが身につけるのは「編笠(あみがさ)」。端が大きく反った笠を目深にかぶり、赤いひもで留めることで顔を隠し、首すじの美しさを際立たせる装いです。

そしてもう一つは「彦三頭巾(ひこさずきん)」と呼ばれる独特の面かぶり。目の部分に穴を開けた袋状の覆面で、藍染の衣装とともに独特の亡者踊りの雰囲気を生み出す装いです。顔を隠すことで、踊り手が誰であるかは分かりません。

女性が纏(まと)う「端縫い(はぬい)」の衣装は、古い絹布をつなぎ合わせて仕立てるもので、踊りの上達を認められて初めて着用が許される装いです。赤や紺の布地で縫い上げられた色が、提灯(ちょうちん)の明りに揺れ、夜の闇に浮かび上がります。
また、「藍染め」は男女兼用で秋田県南部の伝統的な手絞り技法による衣装で、使い込むほどに洗練された美しさを放ちます。


草履が砂をすり、夜を震わせる音
西馬音内盆踊りの舞台は、街の中心の通りです。アスファルトのうえには砂がまかれ、草履をはいた踊り手たちはすり足で踊りを進めます。体の向きを変える所作のたびに、草履が砂をすり「ザーッ」と大きく響き、その音は夜を震わせ闇に溶けていきます。太鼓や笛のお囃子(はやし)と呼応するように響くその音は、観る者の胸にも深く刻まれ、幽玄さを一層際立たせます。
色と音がまじりあい、お囃子に合わせて踊る幽玄の世界
西馬音内盆踊りは大きく二つの「振り」で構成されています。
まずは「音頭」。優雅で静かな所作が特徴で、北前船交易を通じた京阪文化の影響を受け、初心者や子どもが最初に習う踊りです。地口(じぐち)と呼ばれる歌詞は、秋田音頭に由来する6句構成のはやし言葉で、即興の洒落(しゃれ)から情緒・風刺・ユーモアまで多彩な表現があり、昭和初期の懸賞募集で生まれた句も今に受け継がれているとか。秋田弁を知っているからこそついニヤリと笑ってしまいます。
そして「がんけ」。速いテンポの難易度ある踊りで、雁(がん)の姿や仏教用語に由来する名を持ち、輪を描く振りは「輪廻(りんね)転生」を象徴するとされるのだそう。甚句(じんく)と呼ばれる「7・7・7・5」で構成される格調高い歌詞が特徴で、1931(昭和6)年懸賞募集で選ばれた作品が伝わり、地口の陽気さに対してがんけの踊りに芸術性と情緒を添えています。
衣装の赤と紺、提灯や焚火(たきび)の明りに浮かぶ影、そして砂の音と太鼓や笛やお囃子。それらが重なりあうことで、盆踊りはいっそう幽玄の世界へと変わり、踊りの輪はとぎれることなく続くように感じられ、観客もいつしか時を忘れただその世界に浸ります。
町の人たちが守り続けた、700年の祈り


西馬音内盆踊りの起源は、はっきりとした記録は残されていません。
鎌倉時代に修行僧が蔵王権現に豊年祈願として舞った踊りや、戦に敗れた西馬音内城主・小野寺一族を偲ぶ亡者踊りが重なり合い、いつしか町の暮らしに溶け込んでいったと語り継がれているのだそうです。
時代が移り、戦争や混乱に翻弄(ほんろう)されても、人々は踊りを絶やしませんでした。昭和初期には女性たちが中心となり、振りや衣装を整え、囃子を加えて「見せる踊り」として磨き上げました。その力があったからこそ、戦後もすぐに復活し、保存会を結成して後世に伝える仕組みをつくったのです。
こうして守り継がれてきた踊りは、国の重要無形民俗文化財に指定され、日本三大盆踊りのひとつとして広く知られるまでになりました。
夜の闇に浮かぶ衣装の色、笛や太鼓とともに響く「ザーッ」という砂の音。そこには先祖への供養、豊作を願う祈り、そして日々を懸命に丁寧に生きてきた町の人々の心が重なっています。西馬音内盆踊りは、700年もの間「祈りの踊り」として、この町で受け継がれているのです。

※写真・動画は2025年8月18日筆者撮影
参考:羽後町ホームページ西馬音内盆踊りの文化・歴史:https://www.town.ugo.lg.jp/sightseeing/detail.html?id=340