
株式会社エンプレックス 代表取締役
Akira Hagari
羽雁 彰氏
名古屋でしかできない、新しいコンセプトのエンタメライブを創造する株式会社エンプレックス。代表の羽雁 彰(はがり あきら)さんは名古屋のテレビマンとして約40年にわたって活躍し、還暦の節目を迎えるタイミングで思いついた新規事業のアイデアをカタチにしました。羽雁さんのこれまでのキャリアやエンプレックス立ち上げの経緯、さまざまな人とのご縁、クリエイターへのアドバイスなどを伺いました。
年間300本の映画鑑賞。学生時代から夢見ていたドラマ制作を叶える
学生時代に描いていた将来像を教えてください。
ドラマを作る仕事に就きたいと思っていました。大学時代は週に4〜5回のペースで映画館に行き、多い年で年間300本以上の映画を観ていました。就活もテレビ業界を中心に取り組んで、名古屋の放送局に就職しました。
望んだとおり、ドラマの制作チームに入ったのですか?
はじめはドラマの編集を2年ほど経験しました。タイムキーパーと一緒にディレクターの隣に座って、たとえばシーンAとシーンBを編集した際に手の位置が不自然にならないよう細かくチェックを行い、撮影後は全カットの時間を積算しながらOAの尺にピッタリはまるよう編集していく仕事でした。座っている時間がとても長く、入社して数カ月で5キロくらい太りました(笑)。
バラエティ番組のプロデューサーへ。夜の帯番組を手がけるエンタメライブの仕掛け人

その後もドラマ制作のキャリアを重ねていかれたのでしょうか?
いえ、3年ほどで報道部に異動になってしまいました。そこから7年間、報道カメラマンとして働き、30代になってようやく制作部に戻してもらうことができたんです。
そこでいきなり任されたのが、深夜5時間のバラエティ生放送のプロデューサーと演出。当時はドラマが主流かつ花形だったので、それ以外のセクションは人も少なく、大きな番組を作ったことがない私となんとか付けてもらった後輩ほか数人で番組を作れと放り出されました。すごく大変だったけれど、その経験が僕の番組づくりのベースになりました。
どんな番組を手がけられたのですか?
1980年代の後半はバブルの時代で、予算は潤沢にありました。「何をやってもかまわない」とも言われていたので、当時まだ新人だったウッチャンナンチャンやダウンタウン、今田耕司、東野幸治、爆笑問題などの事務所と交渉して「DAY BREAK」という夜の帯番組を立ち上げました。コントやスタジオライブなどを日替わりで放送し、その仕事を通じて当時ダウンタウンのマネージャーだった吉本興業の大﨑元会長とのつながりができました。
還暦のタイミングで新規事業立ち上げにチャレンジ。映画館でライブイベントを
その後のキャリアも教えてください。
バラエティ番組や情報番組のプロデューサーをはじめ、編成部、ラジオの制作部長を経験し、エンプレックスを立ち上げた60歳でテレビ局を卒業しました。
なぜ、エンプレックスを立ち上げようと思ったのですか?
実は、エンプレックス立ち上げのきっかけは映画館だったんです。「名古屋飛ばし」という言葉があるように、名古屋には劇場が不足しているためお笑いライブなどの公演が少ないことがずっと気になっていたのですが、名古屋駅前にある映画館「ミッドランドスクエアシネマ」に行った際にシアター2が増設されることを知ったんです。
「出演者の舞台挨拶などができる映画館なら、小規模なライブイベントならできるかも…」と思い映画が終わった後に自分の歩幅で舞台の広さを確かめてみたのが出発点でした。
ご縁が仕事につながっていく喜び。ご当地アイドルを起用したイベントスタート
どのように話を進めていったのでしょうか?
仕事上の取引があったわけではないのですが、ミッドランドスクエアシネマを運営する中日本興業の服部社長と面識があったので連絡をしてみました。
実は、服部社長は大学生の頃、僕が担当していた番組でアルバイトをしていて、数年前に当時のバイト仲間の同窓会で再会していました。僕が考えた枠組みを話してみると「実は私もやってみたいと思っていました!」という予想外の返事が来て、そこからどんどん話が進んでいったんです。
出演者の交渉も直接されたのですか?
ライブイベントを開催するため、名古屋で人気が出てきた「ボイメン(BOYS AND MEN)」というご当地アイドルの事務所やモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトなどが所属するアップフロントプロモーション、吉本興業などにアプローチして、ボイメンとハロプロメンバーを起用したイベントからスタートしました。
コンサートの企画・運営会社のグループ企業ですが、何か理由があるのでしょうか?
エンプレックスは当初、勤めていた放送局の一事業として展開する予定だったんです。しかし、最終的には名古屋エリアでコンサートの企画・運営・制作を行うサンデーフォークプロモーションの社長からの熱い思いと出資を受けて独立することになり、それを機に僕も放送局を卒業することになりました。
新規事業の立ち上げはスムーズにいきましたか?
それが、想像以上に難関で…。映画館で定期的にライブイベントを行うという前例がないことなので消防法をはじめ、空調や照明、音声などの課題を何カ月もかけてクリアにして、2016年にようやく記者発表にこぎつけました。途中で「もうだめだ」と感じることが幾度もありました。
名古屋のエンタメライブ発信の中心になっていく

立ち上げから9年が経過した現在の状況も教えてください。
現在は安定してライブイベントが打てるようになり、吉本興業とも話がまとまってお笑いライブも名古屋で開催できるようになりました。
エンプレックスが手がけている事業をあらためて教えていただけますか?
いまお話しした映画館を活用したイベントの企画・制作のほかにSTARTO ENTERTAINMENT所属の男性アイドルグループ「ふぉ〜ゆ〜」主演の歌とダンスそしてコメディを融合させたライブエンタメショー「ENTA!」の企画・制作も手がけています。
彼らとはテレビの情報番組でプロデューサーをしている時に出会い、抜群のアドリブ力を生かした「おもしろさ」を表現できる誰もやったことのないショーを作りたい思いがあり、とにかく一度やってみたのが始まりでした。年末に東名阪と横浜のZeppで18公演を行い、今年で8回目を迎えます。

名古屋は演劇やミュージカルの公演も飛ばされがちなのですが、ふぉ~ゆ~との出会いで東宝のプロデューサーと仲良くなって、自分が観たいと思っていた舞台やミュージカルを名古屋で開催できるようになってきました。演劇の公演スケジュールはたいてい3〜4年先まで埋まっているので、これからどんどん名古屋での公演を伸ばしていこうと考えています。
2025年には名古屋港エリアに新設された多目的ライブハウス「PORTBASE」も完成し、そのタイミングでホリプロとのつながりもできたのですが…偶然、演劇担当の役員がテレビ時代から仲が良かった方で、ご縁がつながっていく不思議をひしひしと感じています。
「好き」と思える人と仕事をすること
仕事のご縁がつながっていくコツや理由はあるのでしょうか?
できるかぎり、自分が「好き」と思える人と仕事をしてきたのが良かったのかなと感じています。やはり互いに共感できる部分があるからこそ、仕事もうまくいくのだと思います。
今後の展望も教えてください。
映画館を活用したライブはさらに広げて多様なチャレンジをしていきたいですね。また東宝、ホリプロなどのお力をお借りしながら名古屋開催の演劇やミュージカル公演を増やしていきたいです。
お金や枠組み以上に「これをやったらおもしろい」を考える
最後に、世の中のクリエイターにアドバイスをお願いします。
最近の放送局の状況を聞いていると「これをやるといくら儲かる」とか「これを活用して小銭を儲ける」みたいな数字の話ばかりが出てきます。しかし大事なのは、おもしろいと思うことを自分で考えて具現化することだと僕は考えます。ビジネスなので採算ラインはもちろんありますが、僕はあまりお金のことは考えずにまずおもしろいかどうかを第一に考えます。
たとえば映画館のイベント事業では、「名古屋駅前の素晴らしい立地→仕事終わりに吉本のライブが観られたら楽しい!→名古屋で吉本を観られるようにしよう!」というのが発想の原点だったりします。
みんなが“おもしろい!楽しい!”と感じる企画なら、スタッフの気持ちも乗ってきます。ふぉ〜ゆ〜の「ENTA!」も1回目からほぼ同じスタッフなんですが、みんな楽しんでやってくれているのでその雰囲気がステージに表れていると思っています。公演後にスタッフの一人から「ずっと舞台の仕事をやってきて、やめようかと思ったことが何度もあったけどこんな楽しい現場もあるんだと本当に思いました。来年もぜひよろしくお願いします!」という長文のメールをいただきめちゃくちゃうれしかったです。
クリエイターのみなさんはお金や枠組みよりも自分がやりたいことや「これをやったらおもしろい!」ということを24時間考えることが大切だと思います。
取材日:2025年6月30日
株式会社エンプレックス
- 代表者名:羽雁 彰
- 設立年月:2016年5月
- 事業内容:イベント企画制作、運営管理/ラジオ、テレビ番組及びインターネット番組の企画、制作及び販売
- 所在地:〒461-0005 名古屋市東区東桜2-12-8 TIビル
- URL:https://www.sundayfolk-p.co.jp/outline/enplex.html
この記事は株式会社フェローズが運営する、クリエイターに役立つコンテンツを発信する「クリエイターズステーション」にも掲載されています。