〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜
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「木製バット日本一」を誇る南砺市
合掌造り集落の五箇山をはじめ、日本の原風景が色濃く残る富山県・南砺(なんと)市。その西部南地区に位置する福光エリアは、国内シェアの約40%を誇る「木製バット日本一の地」としても知られています。
かつて林業が盛んだった故の高い木工技術、東京と大阪の中間という地理的な優位性、冬場の湿度が高く木が割れにくい気候上の利点が重なり地場産業として発展し、最盛期には60%ものシェアを占めていました。エリアにはその歴史を感じられる「南砺バットミュージアム」も常設しています。
名選手のバットも手がけた職人社長「バットはフィーリング」
そんな南砺市福光にあるバット工場のひとつが昭和56年(1981年)創業の「有限会社エスオースポーツ工業」です。
もともと地元のバット工場で働いていた代表取締役の大内弘(おおうち・ひろし)社長が、その能力を見込んだ同業他社の熱いオファーを受けて一度は責任者という立場を経験したものの、現場でのバット作りが忘れられず「やっぱりものづくりと野球が好きだ」という思いで独立。現在、社員7名のうち職人さんは3名。今年で80歳の大内社長も時折バット製作に携わっています。
大内社長はかつて、落合選手や掛布選手など往年の名選手のバットを手がけてきました。
「昔はプロ野球選手からサンプルをもらい、グリップの長さなど色々指定されて数本作った中から気に入ったものを選んでもらいましたけど、やっぱりバットはフィリーングですね」と語ります。それは約60年という経験の賜物。材料の選別、削りの技術などは現在の職人さんにも継承されています。
「木の素材、木が生息している地形や方角など幾重にも条件が違うものを仕上げていくからこそ、難しいし面白いんです。バットは余分な筋や節があってはだめ、年輪が大きすぎてもだめ、木の素材を活かしつつ削って白くまっさらにしなければいけませんので、まるでお刺身みたいに贅沢なんです」と大内社長。
バットの素材は国産の「青タモ」、「シデ」のほか、輸入の「ホワイトアッシュ」、「ハードメイプル」材など多数。北陸の地に合うように乾燥時間を1カ月以上じっくりとかけて、木を慣らしているとのことでした。
野球選手の憧れ、世界に一つだけのオーダーバット
有限会社エスオースポーツ工業では、バットのフィーリングを具体化するため、オーダーは用途(硬式・軟式)、材質、長さ、重さ、バランス、グリップ形状など細かく選んで注文します。希望に近づけるために時には聞き取りを行い、サンプルをいただく場合もあるそうです。また、折れたバットを郵送すると復元してくれるというサービスも行っています。
世界に一つだけ自分だけのオーダーバットは野球選手の憧れでもあり、北は北海道、南は沖縄まで日本全国の多数の現役プレイヤーからオーダーが入ります。また、バットを気に入ったリピーターも多く、「ホームランを打ちました」という報告がされた時は「職人として本当にうれしいです」と大内社長。
大リーグ大谷選手の活躍を満面の笑顔で語ると同時に「地場産業であるオーダーメイドのバットを通じて、大正時代からバットの生産をはじめた南砺市に興味を持っていただければ」という大内社長の言葉に、野球と地域に対する深い愛情を感じました。