
秋も深まり、九州北部玄界灘に位置する小さな壱岐島にも稲刈りの季節がやってきた。道路沿いの田んぼには刈り終えた稲が干されている。
伝統的な掛け干し式での乾燥は農業の機械化によって年々見られなくなってきている。広い田んぼの稲刈りは負担が多く、大型の機械で収穫から乾燥までを行う農家が増えてきていることなどが理由として挙げられる。
一方で、壱岐では束ねた稲穂を一つひとつ枝の土台にかける乾燥が多い。家族で小さな田んぼを守っているという人が多く、伝統的な米作りを代々受け継いでいくことで昔ながらのやり方が根付いているようだ。
我が家も例外ではなく、今年も家族総出で稲刈りを行った。実は、長崎県で2番目に広い平野を持つ壱岐。稲刈りを通して約2000年前から根付く壱岐の稲作文化に触れてみた。
目次
2000年もの歴史を紡ぐ壱岐島の米作り
壱岐島は自然に恵まれており、害獣被害も少ないため、昔から農業に適した土地とされてきた。なかでも島の南にある「深江田原(ふかえたばる)」は、長崎県で2番目に広い平野として知られている。
弥生時代の集落である「原の辻遺跡」では水田の跡が見つかっていて、なんと2000年以上も前から稲作が行われていたことが分かっている。
室町時代の終わりごろ、壱岐は平戸松浦藩の領地となり、肥えた土地で米づくりが盛んになった。江戸時代には、平戸藩6万石のうち約2万石を壱岐の米と「鯨組」と呼ばれる鯨を捕り、油や肉を加工して販売までを担った大規模な民間組織が支えていたといわれ、壱岐の米づくりが地域だけでなく長崎の人々の暮らしを支える大きな力になっていた。
「コン、コン」稲を刈り終えた田んぼに響く音の正体は...
小さな稲刈り機で稲を刈り終えると、刈り残した稲を鎌で刈り、稲わらで「くびる(結ぶ)」。束が出来上がると、次は細長い木の棒を金づちで「コン、コン」と打ち込む音が田んぼに響き渡る。これは乾燥させるための土台を作る音だ。交差にして打ち込んだ棒を固定し、竹を掛けると土台は完成である。ここから一つずつ 稲穂をかける作業が始まる。一段目は束ねた稲を7:3の割合で分けて交互に掛けていく(3枚目の写真参照)。
掛ける係と一輪車に稲を運ぶ係に分かれて作業を行うのだが、後者が意外にも体力を要する作業だった。稲をかける手が止まらないよう、途切れず手渡すために稲の束を抱えて田んぼを駆け回らなければいけない。骨の折れる作業ではあったが、これから1年間自分たちが食べるお米のために汗を流す時間には楽しさや充実感があった。


米作りでつながる地域の絆
こうして手間ひまかけて干したお米は、炊き上がりの香りが格別だ。掛け干しによって太陽と風をたっぷり受けた米は、甘みと粘りが強く、壱岐の食卓には欠かせない。秋の稲刈りが終わるころ、島のあちこちで新米の話題が聞こえてくるのも、壱岐ならではの風景だ。壱岐では小規模農家が多いため、農具を共同で購入・使用しているケースも多い。田植えや稲刈りの際には、お互いに手を貸し合うことも珍しくない。こうした助け合いの精神が、壱岐の米作りの伝統と地域の絆を支えてきたのだろう。
※写真は全て2025年10月11日筆者撮影




