秋田県北秋田市の森吉地区には、「マルメロ」というフルーツで地域おこしを試みていた過去がある。マルメロはカリンに形が似ているので「西洋カリン」とも呼ばれる、香り豊かな果物である。
昔は庭木としてもよく植えられていたらしいが、今ではほとんど見かけないし専門の農家さんもいない。しかし、かつては地域振興の目玉として期待され、様々なイベントも企画されていた。今回のハツレポでは、マルメロという黄色いフルーツの謎に迫る。
目次
夢のフルーツ「マルメロ」
筆者がマルメロの存在を知ったのは、道路沿いの古びた看板が最初だった。看板には、黄色いりんごのようなフルーツの絵に「マルメロの里森吉」、「美容と健康に夢のフルーツマルメロ」という言葉が添えられている。「マルメロ」という果物があり、それがこの地域の特産品であったことが分かる。
しかし、北秋田のスーパーや産直でマルメロは売られていないし、近所でマルメロ畑を見たこともない。看板の前の道を通る度に、謎が深まった。マルメロという果物はどのような果物で、どうしてこの地域の特産品になり、そして消えてしまったのだろうか?
(庭木のマルメロ)
マルメロは寒冷地の果物
マルメロはバラ科の落葉果樹で、関東以北の雨が少なく夏に冷涼な地域が栽培に適している。原産地は中央アジア辺りで、日本には1600年代にポルトガルから長崎に渡来したとされている。ちなみに、「マルメロ」という名前はポルトガル語の「Marmelo」に由来しており、英語では「Quince(クウィンス)」と言う。
北秋田の年配の方の話によると、子供の頃は庭木としてマルメロを植えている家庭が多く、缶詰めもお店で売られていて、風邪を引いた時などによく食べさせてもらえたそうだ。マルメロは免疫力を高める効果が期待できることから風邪予防に食され、特に喉の痛みに効果があるとされてきた。
マルメロの甘煮を試食してみたところ、さっぱりとした甘味としっかりとした食感があり、確かに体に良さそうな味がした。香りも良いので、昔は芳香剤として果実を玄関や車の中に置いていたそうだ。
マルメロ尽くしの特産品
森吉町がマルメロで地域おこしを試みていたのは、北秋田市に合併される2005年より前のこと。80年代に森吉町農業協同組合の組合長であった、松橋久太郎(まつはし・きゅうたろう)さんがマルメロの栽培を推進した。
その頃、岩手県でマルメロの栽培に成功した地域があり、経費のかからない果樹として注目されていたことや、米の生産調整で生じた休耕地の転作の必要性から栽培されるようになったらしい。森吉町の農産物のほとんどが米で、果樹栽培の経験がない中でマルメロ栽培はスタートした。
その後、1992年に松橋久太郎さんは森吉町の町長になり、マルメロを特産品にする路線は継続された。加工場も建設され、そこではマルメロの缶詰めや蜂蜜漬け、ジャムやジュースが作られていたそうだ。市外の加工場に依頼して、マルメロワインやマルメロサイダー、マルメロの石鹸も販売されていたらしい。とにかく、マルメロ尽くしである。
(北秋田市の地下道の入口にあるマルメロのモザイク)
ミスコンからマルメロ湯まで
マルメロ推しは特産品作りに留まらず、様々なイベントも開催された。1986年からは「もりよし牛とマルメロまつり」が行われ、この祭りでは「ミスマルメロコンテスト」や「マルメロ小唄」の発表があった。ちなみに、初代ミス・マルメロには鈴木チエミさんが選ばれている。
また、1995年に開業した「クウィンス森吉」という阿仁前田温泉駅の駅舎の温泉では、マルメロの実をお湯に入れて期間限定の「マルメロ湯」というイベントを秋に行っていた。甘い香りが楽しめるので、マルメロ湯は地元で好評であったらしい。「クウィンス」という名前も英語でマルメロを意味する単語であるので、施設自体がマルメロ推しである。
販路の確保に大苦戦
様々な加工品が開発され、美人コンテストまで開催されていたマルメロ熱であるが、大都市圏の市場では苦戦を強いられた。マルメロという果物の知名度は高くなく、販路がなかなか開拓できなかったのだ。関係者のほとんどが「生食できないことが敗因だった」と口を揃える。
それに加えて、果樹栽培の経験が乏しかったことも販路の確保に影響していた。90年代に森吉農業協同組合の組合長であった佐藤登(さとう・のぼる)さんは「マルメロを東京に出荷したが全く売れず、何十トンも廃棄処分したこともある」と当時の状況を語る。
町を挙げてのマルメロ推しであったが、残念ながらその熱は首都圏までは届かなかった。加工場は閉鎖され、マルメロ果樹園を引き継ぐ若い世代はおらず、マルメロは森吉から姿を消してしまった。当時を知る関係者は、マルメロの失敗をあまり語りたがらない。努力が実を結ばず、市場で評価されなかった苦い思い出となっているからだ。
(秋田県鹿角市の産直で売られているマルメロ)
林檎の果樹園で息づくマルメロ
マルメロは森吉地区から姿を消してしまったが、北秋田市の別の地域である阿仁地区の「やましち果樹園」で密かに息づいている。その数はわずか3本なのだが、その内の1本は森吉地区のマルメロ農家から15年ほど前に譲り受けて移植したものだ。このマルメロの木から収穫した実は、ジャムに加工されて地元で販売されている。
やましち果樹園のオーナーである伊東郷美(いとう・さとみ)さんは、移植した木のマルメロの実はジャムの分しかないので、缶詰めを作るために3年前に新たに2本の苗を植えた。「子供の頃、風邪を引いた時に食べさせてもらったマルメロの缶詰めの、香りや味が忘れられなくて」と伊東さんは懐かしそうに語る。
(やましち果樹園の伊東郷美さんと新しいマルメロの木)
小規模な多角的経営が継続の鍵
北秋田市のお隣の秋田県鹿角市では、小規模ながらマルメロの栽培が継続されており、産直で果実が販売されているし、缶詰めも道の駅などで売られている。森吉でマルメロは消えてしまったが、鹿角市では栽培が細々と続いているのだ。
鹿角市でマルメロ栽培をしている田子重子(たっこ・しげこ)さんは「マルメロは林檎よりも高い値段で取引されるし、産直に出せば売れるので継続できている」と語る。隣の小坂町にはかつて鉱山があり、そこで野菜や果物がよく売れたので、消費地を確保できていたことも大きかったようだ。
田子さんは林檎や桃を主軸にしつつ、6本のマルメロの木を育てている。薬や剪定、肥料が少なくて済むので、手入れは林檎や桃よりも楽なのだそうだ。
(マルメロの甘煮)
幸福と魅惑のフルーツ「マルメロ」
マルメロの花言葉は、「幸福」と「魅惑」である。白と薄いピンク色の可愛らしい花や、黄色い大きな果実は確かに幸福の象徴のようだし、甘い香りは魅惑的だ。筆者が神奈川県に住んでいる時に近所の家の庭に柑橘系の木がよく植えられていて、冬に黄色やオレンジ色の実がなっているところを見て、幸せな気持ちになったことを覚えている。
筆者が長く住んでいた福島県や茨城県では、柑橘系の木を庭先で見ることはなかったし、東京でもほとんどなかったように思う。そんな幸せの黄色い実を北東北の秋田で見られるとは思わず、実際にマルメロの黄色い果実を見た時は少し感動した。
調理をしなければ食べられないので、手間をかけられない忙しい現代人には好まれないフルーツかもしれない。でも、マルメロには細々と存在していて欲しい。その花も実も香りも、十分に魅力的なのだから。