シーボルトが私塾「鳴滝塾」を構え、最愛の妻・楠本滝(お滝さん)と暮らした宅跡では、今も毎年6月ごろになるとアジサイが咲きます。アジサイの学名は「オタクサ」。ドイツ人医師であるシーボルトが、最愛の妻の名をアジサイの学名にし、ヨーロッパへ持ち帰った物語は、長崎の人々に今も大切に語り継がれています。
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シーボルト胸像を下から照らすオタクサ
国の指定史跡である「シーボルト宅跡」は、現在、当時の建物は残っていませんが、ふたつの井戸とシーボルトの胸像があります。シーボルトの胸像の周りには、きれいなオタクサが静かに咲き続けています。
隣接する「シーボルト記念館」では、彼の生涯や業績が紹介されており、多くの人が思い浮かべるであろう肖像画や、医師であった娘のいねに与えた外科器具の複製、処方箋(せん)の複製、妻・滝への手紙の複製など約1,500点の資料を見ることができます。
「オタクサ」に込められた愛

シーボルトは1823年、出島商館の医師として長崎に来日しました。翌年、鳴滝に私塾を開き、多くの日本人医師たちに西洋医学や博物学を教えました。そこで出会ったのが、町娘の楠本滝です。シーボルトは彼女を「お滝さん」と呼んでいました。
シーボルトは日本を離れる際、日本地図などの禁制品を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、その後多くの蘭学者が処罰される「シーボルト事件」が起きました。彼は出島に軟禁されたのち国外追放となり、妻・滝や娘・いねとも離ればなれになってしまいました。
医師であると同時に植物の研究も行っていたシーボルトはアジサイをオランダに持ち帰り、遠く長崎に残したお滝さんのことを思い、その名をアジサイの学名「オタクサ」としてヨーロッパに届けたのでしょう。
今も長崎の地に息づくオタクサ

鳴滝から長崎駅方面へと続く「シーボルト通り」のアジサイが刻印されたマンホールや、アジサイをかたどった銘菓などが示す通り、シーボルトとお滝さんの物語は特別なものとして長崎の地に根づいています。
「長崎は今日も雨だった」という歌が象徴するように、雨の多いこの時期、アジサイを見て、シーボルトとお滝さんの愛に思いを馳せました。
写真は2025年5月に筆者が撮影したもの