鉄道の魅力にひかれ、鉄道をテーマとした風景画を描き続けてきた松本忠(まつもと・ただし)さん。これまでの挑戦と成長、そして社会貢献に至るまで、彼の作品は、鉄道の持つ魅力とその背景に潜むストーリーを伝え続けています。今後の展望を語りながら、松本さんが描きたい新たな風景や、鉄道の未来への思いをお聞きしました。
目次
鉄道との出会い
―松本さんが鉄道の魅力に引き込まれたきっかけについて教えてください。
実は、大学に入ってから鉄道ファンになったので、目覚めるのがかなり遅かったんです。きっかけは、大学1年生のときに帰省のために青春18きっぷ(*注1)を利用したこと。節約目的で使ったのですが、その時に鉄道の魅力に引き込まれてしまいました。1泊2日で北東北を巡る旅をしたのですが、思わず「こんな面白い世界があったのか!」と感動したのが最初の出発点でした。
―その時、八戸(はちのへ)*注2でなかなかできない体験をしたと聞きましたが?
初めての鉄道旅で、泊ることになったのはまさかの電話ボックスでした。無人駅ではよく寝泊まりしていたのですが、八戸駅は有人駅だったため、終電後に駅を出ることになり、行き場がなくなってしまいました。夏の夜でしたが意外にも肌寒く、電話ボックスの中で寒さをしのぎながら過ごしました。始発が動き出すまでそのまま過ごし、翌朝、始発と共に再び駅に戻ったことを覚えています。
絵と鉄道の融合
―元々東北大学ご出身とのことですが、絵はどこで学ばれたのでしょうか?また、絵を描くようになったきっかけや、鉄道に関連した絵を描き始めた時期についても教えてください。
絵を描き始めたのは2001年からです。小中学校の図工以外で美術を学んだことはなく、基本的には自己流で描いてきました。退職し東北地方でも比較的交通の利便性が良い郡山に移住した際、アルバイトをしながら絵を描き始めました。そこで、NHK文化センターで開講されていた水彩画教室に1年ほど通い、基礎的な技術を学びました。
―そこから鉄道に関連する絵を描く活動がどのように広がっていったのでしょうか?
最初は鉄道が好きだから絵を描いていたわけではなく、鉄道に乗ること自体が好きだったんです。試行錯誤を繰り返しながら絵を描いていく中で、ローカル線の魅力や素晴らしさを伝えたいという思いが強くなりました。特に、会社員時代から毎年廃線となる鉄道に関心を抱いており、それがきっかけで鉄道をテーマにした絵を描くようになったのだと思います。
―鉄道の風景画を描く際の技法や完成するまでにかかる時間、また、こだわりがありましたらお話しいただけますか?
使用している画材は水彩絵の具で、下描きにはイラスト用の極細ペンを使用しています。このペンの細さがポイントで、0.5mmではなく、0.05mmや0.03mmのペンを使って細かいディテールまで描き込んでいます。
制作過程としては、まず現地で撮影した写真を参考にしながら、鉛筆で下描きを行います。デッサンにはHBなどを使い、その後、極細ペンでしっかりと線を引きます。ペンが完成した段階で鉛筆を消し、ペンだけの線を残してから、透明水彩絵の具で色を塗ります。このプロセスを経て、最終的な作品が完成します。
作品のサイズは号数で言うと4号弱くらいが一般的で、1日に7〜8時間を10日間ほどかけて1枚を完成させることが多いです。個展の準備がある場合には会場に1週間ほど通い、会期後も事務処理にも時間を取られるので、こういった作業に月の半分を充てることになります。その結果、年間で15枚前後の作品を制作することになります。
―先日、利用者の減少によりJR奥羽本線の*大沢駅(米沢市)が12月から通過駅になるという報道がありました。こうした報道を受けて、鉄道の風景やその背景についてどのように感じていますか?
そうですね、こういった駅が徐々に消えていくのは仕方のないことだとは思いますが、やはりもったいないという気持ちも強いです。そうした鉄道の風景やその背景を伝える役割を果たせたらいいなと思ったとき、鉄道をテーマにした絵を描く画家はあまり聞いたことがなかったので、「それなら自分がやってみよう」と考えました。会社員時代から、週末にスケッチブックを持って鉄道を描き始めたのですが仕事と並行しての活動はなかなか難しく、最終的に本格的に画業を志すために郡山に移り住みました。現地で取材し、撮影し、時間をかけて描くという現在のスタイルが始まったのはその頃です。
―ちなみに制作活動をする中で、いままでいちばん大変だったことは何ですか?
現場で撮影した写真を参考にして絵を描いているため、現場での大変さはあまり感じませんが、強く印象に残っている経験として、廃駅となった*赤岩駅での出来事があります。
赤岩駅がまだ停車駅だった頃、夏の夕方に下車して、2時間後にまた乗る予定で現地に向かったことがありました。下車してしっかり見学を始めたのですが、ほどなくして日が暮れ、もし列車が遅れたらどうなるんだろう、さらには、熊でも来たらどうしよう、というような緊張感が走りました。その時、通過する山形新幹線を見るたびに、まるで向こうの世界と自分は別の場所にいるような気がして羨ましく感じました。
結局、予定通り2時間半ほど待ったのですが、暗くなった後の1時間は我慢大会のようでした。ほとんど何も見えず、周りには何もないので昔話のように「入れてください」という家もなく、楽しいことも遠く感じ、ただじっと待つしかなかったという経験でした。
― 逆に、心温まるエピソードをお聞かせください。
嬉しかったことはたくさんあり過ぎて、絞るのが難しいですが、例えば、昨年の秩父鉄道の日帰り旅行の際に出会った素敵な瞬間が印象に残っています。荒川橋梁(埼玉県秩父市)を渡るSLなどの有名なスポットを撮影しようとは思っていたのですが、意外にも関係ないシーンで素晴らしい場面に出会うことがあるんです。この時も、最後に武州日野(埼玉県秩父市)で降りて、普通列車や秋晴れの青空を眺めて、非常に心地よい瞬間を感じました。そして帰ろうとした時に、雲の隙間から光が差し込み、まるで「天使の階段」のような美しい光景に出会いました。その後、反対側の列車からスーツケースを転がしながら降りてきた乗客がいて、その瞬間を見て「これ、いい場面だな」と思いました。こうした予想外の素晴らしい場面に出会えたことが、本当に嬉しかったです。何気ない駅の風景や、光の差し方にひかれる自分にとって、狙っていった場所ではなく、ふとした瞬間に宝物を見つけるような喜びを感じることが多いですね。
地元や社会への貢献
―売り上げの一部を地域に還元する取り組みをされているとのことですが、地域への貢献についてどのように感じていらっしゃいますか?
そうですね、2年前に*只見線が復旧した際、役場から私がこれまで描いた絵を地域に役立てたいという相談を頂きました。私が描いた作品が実際に只見線のどの位置にあるのかを示すことで来訪者に興味・関心を持ってもらい、間接的に地域の観光に貢献できればと考えました。作品が只見線沿線の道の駅などに掲示されることになったことで、次第にお客さまから「個人的に購入できないか」という問い合わせが増え、現在では個展や地元の通販サイトで購入できるようになりました。
さらに、只見線を応援するために地図会社が私の制作活動をサポートしてくれることになり、販売されたマップの売上の一部が寄付される形になりました。現在は印刷代や会場手数料を差し引いた金額が全て只見線復興基金に寄付されています。直接、線路の修復に使われるわけではないかもしれませんが、地元の取り組みを盛り上げるために少しでも役立つなら嬉しいことです。
挑戦と成長
―絵で生計を立てることの難しさについて、どのように感じていますか?
画業で生計を立てることは確かに簡単ではありませんが、私の場合、会社を辞めた当時は28歳で独身、親も元気で身軽な状態で、結婚のことを考える必要がありませんでした。ですから、生活に困ることなく、バイトをしながら絵を描いていけばいいかなと思っていました。郡山に移り住んでからは、週に3~4日働いて月に7万円ほど稼ぐ生活を約4年続け、そのお金で生活を支えつつ、絵を描き続けました。応募を繰り返したり、鉄道雑誌への連載企画を持ち込んだりしているうちに、だんだんアルバイトと逆転し、絵の仕事が増えていったんです。最初は試行錯誤の連続でしたが、少しずつ絵を仕事にすることができるようになりました。
―絵を描くことを職業にするために、どのようなアプローチをしたのでしょうか?
私は頼まれて絵を描くタイプではなく、あくまで自己流で描くスタイルです。最終的には、自分から鉄道の風景を紹介する連載を依頼しようと決め、何十件もの出版社にコンタクトした中でようやく一つ仕事をもらうことができました。それが『鉄道ダイヤ情報』という雑誌で、全国各地を旅して九州から北海道までの鉄道風景を紹介し、ミニエッセイも添えるという内容でした。正直なところ、報酬は見合わないと感じる部分もありましたが、それでも嬉しくて、アルバイトをしながら続けていました。結果的に、この経験は後の個展開催に大いに役立つことになり、非常に貴重な経験だったと感じています。
今後の展望と鉄道の魅力
―今後、行きたい場所や、描きたい風景がありましたら教えていただけますか?
描きたい場所は本当にたくさんありますが、まずは復旧した只見線を引き続き描いていきたいと思っています。只見線が復活することで、他のローカル線にも良い影響を与えると信じており、これがライフワークの一部になると考えています。また、*のと鉄道にも興味があるので、復旧に向けてどのような状況になっているのかを見守り、迷惑をかけない範囲で応援の意味を込めて切符を購入したいと考えています。
さらに、学生時代に一度訪れたきりでしばらく行っていない宗谷本線や、まだ一枚しか描いていない山口県、佐賀県、福岡県も描きたい場所です。これまで47都道府県は描いてきましたが、これらの地域は私にとって未開の地のようなもので、新たな風景に挑戦してみたいと思っています。西日本のまだ行っていない場所にも乗り、そこで新しい風景を描くのが楽しみです。
―鉄道に対する魅力を、どのように感じているのか教えてください。
鉄道の魅力は、季節ごとにどこに行っても素晴らしい景色を楽しめる点だと思います。その景色が素晴らしい場所を通るために鉄道があるわけではなく、流通や軍事的な目的など、さまざまな背景で鉄道は作られてきました。しかし、それぞれの路線には独自の味わいがあり、どこに行ってもその土地の文化や言葉が感じられ、改めて日本の美しさを実感できます。
また、鉄道に乗ることで感じる時間の流れも魅力です。携帯電話をオフにして、鈍行列車に身を委ねると、まるで昭和時代の時間が流れていくような感覚になります。言葉では表現しきれませんが、そのゆっくりとした時間の流れがとても心地よく、鉄道の旅における大きな魅力のひとつです。
―今後の展示予定や、ファンに向けてのメッセージをお聞かせください。
今後の展示予定については、私のホームページに詳細を掲載しています。2025年1月下旬から仙台で展示を始め、2月末には水戸、3月末には熊谷、5月には静岡の下田、そして6月には東京での展示を予定しています。日程は多少変更があるかもしれませんが、おおよそのスケジュールはこのようになっています。展示に興味のある方は、ぜひ直接会場に足を運んでいただけると嬉しいです。
―ありがとうございました。
(注)
注1:青春18きっぷ(期間限定で、日本全国のJR線の普通列車に一日乗り放題となる切符。年齢制限はない)
注2:八戸(青森県八戸市・人口約21万人の太平洋に面した市。弘前市や県庁所在地である青森市と共に、県内主要3市のひとつ)
*大沢駅(山形県米沢市)
JR東日本奥羽本線の休止駅。2024年12月1日以降、山形新幹線を含むすべての列車が通過している。
*赤岩駅(福島県福島市)
前出の大沢駅から県境を挟んで福島県側に約14キロ東にあったJR東日本奥羽本線の駅。山形新幹線の通過駅。1日平均乗車人員は0人(2004年度)。「秘境駅」として知られたが、2021年3月12日に廃止された。
*只見線復旧
平成23年7月新潟・福島豪雨により大きな被害を受け、不通となっていたJR只見駅~会津川口駅の復旧工事が完了し、令和4年10月1日に全線運転再開
*のと鉄道
令和6年能登半島地震により被災し、穴水駅に隣接した本社が損壊し使用不能となる。4月6日 に被災した七尾線が全線で運転再開。
情報
松本忠(まつもと・ただし)
鉄道風景画家。1973年生。東北大学卒業後、総合化学メーカーに勤務。名古屋への転勤を機に、列車でスケッチを楽しむようになる。2001年、画業を志し退職。東北への憧れと東西南北に路線を集める鉄道の要衝であることから創作活動の拠点を福島県郡山市に移す。東日本大震災以降は、被災地の鉄道支援活動にも力を入れる。2020年画業20周年を迎え、画文集「日本の鉄道抒情」を刊行。鉄道風景画を通して、日本の四季折々の美しさを表現し続けている。妻はルポライターで詩人の浅田志津子さん。