津波遺留品の返還事業終了へ──東日本大震災から14年、記憶を未来へ【福島県いわき市】

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東日本大震災から14年。福島県いわき市では、津波によって流され、長年持ち主を待ち続けた「津波遺留品」の返還事業が今年で終わりを迎える。

平薄磯(たいらうすいそ)地区における消防団による捜索活動(撮影日:2011年3月28日、写真提供:いわき市)

津波遺留品返還事業の歩み

この事業は震災直後、市が中心となり、がれきの中から見つかった写真やランドセル、携帯電話などを保管し、毎年お盆の時期に展示会を開いて持ち主や遺族に返還する取り組みを続けてきた。しかし、時間の経過とともに引き取りを希望する人は減少し、多くの遺留品が劣化したため、今年で事業の幕を閉じることが決まった。

震災発生後、津波遺留品の拾得は2011年(平成23年)6月頃まで続いた。がれき撤去作業中に発見された品々は、いわき市内の沿岸部で回収され、地区ごとに展示会が開催された。未返還の遺留品は市有施設の旧豊間(とよま)中学校に保管され、2020年(令和2年)には「いわき震災伝承みらい館」へ移管された。その後、リスト化作業が進められ、2022年(令和4年)と2023年(令和5年)には8月11日から17日にかけて展示会が開かれ、約50点が所有者へ返還された。

デジタル化された写真等をまとめたファイル(撮影:筆者)

最後の展示会と遺留品の行方

今年2月末まで、「いわき震災伝承みらい館」で最後の展示会が開催されている。そこには、ランドセル、色あせた写真、壊れた携帯電話など、震災前の暮らしを物語る品々が並ぶ。現在も約5000点の遺留品が残されているものの、そのうち所有者情報があるものは3割にとどまる。展示終了後、一部の品は震災の記録として伝承施設に保存され、写真はデータ化して希望者に提供される予定だ。そして、最後まで持ち主が見つからなかった品々は、3月11日に法要を行い、丁重に供養される。

持ち主を待つ津波遺留品。1点ずつ識別され、丁寧に袋に入れられていた(撮影:筆者)

記憶を未来へつなぐ

14年の歳月の中で、遺留品の持ち主や関係者が見つかるケースは減った。しかし、それらは単なる遺留品ではなく、一つひとつが震災当時の記憶を伝える貴重な証人でもある。震災を経験した人々の歴史と思いを、どのように後世へ伝えていくのか──この問いは、今も私たちに突きつけられている。

ところ狭しと並ぶランドセル。下段には試合のトロフィーや携帯電話などもある。(撮影:筆者)

震災の記憶を風化させないために

返還事業の終了は一つの節目ではあるが、津波遺留品が果たしてきた役割は、今後も形を変えて生き続ける。いわき市を含む被災地域では、震災の記憶を風化させないための取り組みとして、震災遺構の保存や防災教育を続けている。地域の歴史や伝統を大切にしながら、未来への教訓として語り継ぐことこそが、津波遺留品が私たちに託した最後のメッセージなのかもしれない。

津波にのまれ、長くさまよった品々は、ようやく安らぎの場へと帰る。震災から14年、その重みを改めてかみしめるとともに、私たちは次の世代に何を伝えていくべきかを考える時が来ている。

昆愛

昆愛

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2023年、「誰もいなくなった町。でも、ここはふるさと~原子力発電所と共存するコミュニティで“記憶”と“記録”について考える【福島県双葉郡富岡町】」で本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を2年連続受賞、また2024年、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「天文文化史で地元の魅力発信?九曜紋が導く新たな誘客構想とは【福島県南相馬市】」で渡部潤一奨励賞を2年連続受賞。

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