〔東日本大震災〕信仰と文化の交差点~「大堀男と幾世橋女」が紡ぐ未来への架け橋とは 前編【福島県浪江町】

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東日本大震災から13年。福島第一原子力発電所にほど近い福島県浪江町で2024年2月、「第8回浪江を語ろう―寺と移民―」と題したシンポジウムが開催された。今回は同町内にある正西寺の住職・小丸 真司(おまる・しんじ)氏をゲストに招き、江戸時代の相馬藩、特に現在の浪江町に移民した浄土真宗の門徒の視点から、地域の歴史と文化をひも解いた。本記事では前半として、移民開始のきっかけと震災までの街の様子をレポートする。

1.真宗王国・北陸から太平洋側の相馬藩へ:移民の苦難と飢餓、そして、生きる力を求めて

(写真:会場となった浪江町地域スポーツセンター)

江戸時代、現在の浪江町を含む相馬藩は、もっとも被害の大きかった天明の大凶作による飢饉により人口が3分の1にまで激減。それをきっかけに藩は移民政策を開始し、次男・次女以下の余剰人口を抱えた北陸地方から多くの移民を迎えた。その多くは間引きを禁じている浄土真宗の門徒たち。真宗寺院は単なる宗教施設ではなく、手厚い優遇策を与えられた移民たちの生活拠点となり、地域社会の形成に重要な役割を果たした。

有名な童謡のひとつに「村の鎮守の神様の~」という出だしで始まる歌がある。つまり、どこの土地にも必ず神様がいるから、土地を使いたかったら神様から借りないといけない。しかし、浄土真宗はその神様を祀らない。地域の神様も祀らないから、地域の共同体の中になかなか入っていけない。彼らはこうして神道だけでなく曹洞宗や真言宗などの既成の他宗派とのあつれきを引き起こしながらも、地域社会に大きな変化をもたらす浄土真宗の教えやしきたり、生活様式を浪江に持ち込んでいく。自らの教義を心の支えにしながら厳しい自然と向き合い、慣れない土地で懸命に開墾を進めた移民たちの姿が目に浮かぶようだった。

2.明治時代以降の変遷と真宗寺院の役割

(写真:浄土真宗正西寺。伊達政宗がここに陣を敷いて宿を取ったという言い伝えが残る。)

 みなさんは「京女に東男」ということわざを知っているだろうか。それに引っ掛けたのかそうでないのかは分からないが、かつての浪江町には「大堀男と幾世橋女」ということわざがあったそうだ。焼き物で有名な大堀地区の男は金遣いが荒いのだが、町中心部の幾世橋地区の女性は知識水準が高く、倹約家。同じ町にあっても地域の色が違うことを意味している。

その言葉が示すように、浪江はさまざまなバックグラウンドの人を受け入れ、共存してきた背景があったが、明治時代以降、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動や農村社会の変化によって経済基盤を失い、多くの寺院が存続の危機に直面することになる。しかし、ここでも地域社会における重要な役割を果たし続けたのは残存した真宗寺院だった。小丸氏は、法話を聞くために集まる人々の集会である講(こう)や報恩講(ほうおんこう)といった真宗の伝統的な行事を通して、寺院が地域住民の精神的な支柱となってきたことを述べた。(後編へつづく

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昆愛

昆愛

福島県郡山市

第4期ハツレポーター

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2023年、「誰もいなくなった町。でも、ここはふるさと~原子力発電所と共存するコミュニティで“記憶”と“記録”について考える【福島県双葉郡富岡町】」で本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を2年連続受賞、また、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「東日本大震災における津波で被災した月待塔の追跡調査について」で渡部潤一奨励賞受賞。

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