〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜
京都府宇治市、宇治川のほとりに位置する「朝日焼」。
対岸には平等院という歴史を感じさせる場所にあるこの窯は、今から約400年前、初代が窯を築いた時に、宇治で茶道の指南役をしていた小堀遠州(こぼり・えんしゅう)から「朝日」という窯名を与えられたそうです。
千利休が茶の湯を大成させた後のことで、以来「遠州七窯」の一つとされています。
初代から三世にかけては繁栄の時代でたくさんのお茶道具を作りましたが、その後茶の湯文化が衰退し、瓦を焼いたり、宇治川の高瀬舟とよばれる渡し船の管理の副業などもしながら代をつないできました。
そして、江戸時代後期に煎茶の文化ができたことにより、八世長兵衛によって煎茶器の原型ができて窯元として復興しました。
その後、明治の混乱期や戦争があった時代にも窯の火を守り続け、現在の当主十六世松林豊斎(まつばやし・ほうさい)となり、初代の始めた茶の湯の「うつわ」と、八世の完成させた煎茶文化の「うつわ」を中心に作陶をしています。
【家族で守る伝統と、新しいチャレンジとは】
今回お話をお伺いしたのは、松林俊幸(まつばやし・としゆき)さん。朝日焼のショップ&ギャラリーの店主であり、朝日焼のブランディングや広報を担う、当主・十六世豊斎の弟さんです。
朝日焼は、ご家族中心でアットホームな窯元です。
「お店は私のほかに母と義姉とパートさんが5人。工房は陶芸教室の責任者が1人、絵付けが1人、職人が4人と当主である兄を入れて7人。全部で15人です。本当に最小限ですね」
と俊幸さん。
代々受け継がれる伝統を担う兄、それを支える家族。
常にみんなで話し合いながら、進むべき道を探しているそうです。
当主の作品や職人さんたちが作る器がメインですが、今はホテルやレストランの、器だけではなく壁面を飾るアート制作のようなお仕事も頂いたりするのだそうです。
「そんな時は、過去の作品からインスピレーションを得たり、お茶を楽しむことを考えて器を作ってきた自分たちがどういったものを作れるのか、と考えて作ることが多いです。自分たちの根本であるお茶と関わりを持ちながら、新しいモノづくりについても考えています」
俊幸さんは作陶はされないのですか?とお聞きしたところ、
「私も美術大学を出ていてモノづくりは好きなんですけど、発信であったり、どういったものを作ったら喜んでもらえるのかを考えるほうが楽しいと思って、作るほうは兄や職人さんに任せています。家族の中で、私のポジションはここだろうと思っています」
とのこと。
2017年にはお店を新しくして、店主として音楽会やお茶のワークショップを開催したり、新しい感覚のお茶会を開催したりしているそうです。
【陶器もお茶も知れば知るほど奥が深い。その良さを伝えていければ】
「お茶を飲むと、仕事をするときにぐっと集中できたり、集中しながらもリラックスできる。欧米では座禅をする方がとても増えているらしいのですが、ヨガとか座禅とか、そういったものに近い部分がお茶にはあるんです。」
仕事の合間やプライベートとの切り替えの時、5分でも10分でも、自分のために急須を出し、自分の好きなお茶を入れて、お湯を沸かしてお茶を飲むそうです。「お茶自体の効能もそうですが、そうした時間が今の時代の生活にマッチしているのではないかと思っています」
仕事でお茶について学びながら、お茶のパワーに気づかされたという俊幸さん。
「自分のためだけじゃなく、友達にお茶を出す時間っていうのも素敵ですよね。私どもはお茶屋ではないのですが、お茶の時間って楽しいよね、ということをお伝えしていきたい。そして、その中で茶器として朝日焼を知ってもらえればと思っています」
ふるさと納税についても、早い時期から参加しているのは、「宇治茶の良さを知ってもらいたい」からだそうです。
「ふるさと納税のコンセプトは地域性」だと考え、抹茶や煎茶を愉しんでもらう道具や、陶芸教室の体験チケットを出しています。
<今も大事にする登り窯での火入れの様子>
「食も飲み物も音楽も全部そうですけど、文化って混ざって新しいものが生まれるので、地元の文化や風土を大切にしながら、これからもどんどん新しいものを生み出していかないといけないですね。今の私や兄の感覚で、次の世代に残していけるような仕事をしていきたいと思っています」
と最後に語ってくれた俊幸さん。
脈々と流れる川のように、続いてきた時間を大切にしながら、先に進む。
そんなスケールの大きさを感じ、私も朝日焼のうつわで、歴史に思いをはせながらお茶を飲んでみたくなりました。