家康もびっくり!どうする宗義智。朝鮮出兵で揺れ動いた対馬の英雄【長崎県対馬市】

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*万松院の歴史ガイドツアーで宗義智の立場を解説をする、一般社団法人 対馬里山繋営塾(けいえいじゅく) 藤川あもさん

 2023年大河ドラマ「どうする家康」では、朝鮮出兵を開始し、暴走する豊臣秀吉を何とかなだめようとする徳川家康の姿が放送されていました。その朝鮮出兵によって翻弄された歴史上の人物が対馬藩初代藩主 宗義智(そう・よしとし)です。日本と朝鮮半島の国境に位置する対馬は、国交の状況によって島の存在意義が左右される立場にある中、義智は見事な立ち回りを演じました。

筆者が、宗家の菩提寺である万松院(ばんしょういん)で行われた歴史ガイドツアーを通して知った、2人の武将に翻弄された義智の驚くべき行動をご紹介します。

国境の島、初代対馬藩主「どうする義智」

 対馬は日本の九州と朝鮮半島との国境の島として、古代から朝鮮半島との間で人と物の交流・交易がありました。戦国時代においても、対馬藩は対朝鮮外交・貿易の窓口を担っていました。ところが、豊臣秀吉による朝鮮出兵が始まり、義智は朝鮮攻めの先鋒を命じられてしまいます。その結果、それまで良好だった対馬と朝鮮との関係が壊れてしまいました。その後秀吉の死によって朝鮮出兵が終わりましたが、対馬と朝鮮の関係は壊れてしまったまま。徳川家康の時代に入り、次は国交を回復するように命じられた義智。秀吉には攻めの矢面に立たされ、家康には仲直りを命じられ、「どうする義智」状態だったことでしょう。

偽造に偽造を重ね「どうする義智」

 その後、朝鮮と国交回復に向けて尽力する義智は、朝鮮国王から家康の謝罪の国書を要求されました。出兵を命じたのは秀吉で家康は謝罪に応じるはずはなく、伝えることができなかった義智は、国書を偽造するという策を実行し、朝鮮国王の要求に応えました。一段落したのも束の間、偽造した国書に対する返事を持って朝鮮通信使が来日。偽造がバレてしまうことを恐れた義智は朝鮮側の国書をも偽造し、すり替える作戦に。何とか成功し、無事に国交回復に導きました。当時の義智は偽造に偽造を重ね、まさに「どうする義智」状態だったのではないでしょうか。

 

*日本三大墓地、国指定史跡の万松院にある義智の墓

対馬では家康以上の英雄、宗義智

*対馬において英雄として語り継がれる義智の銅像

 見事、国交回復を実現した義智の死後、2代目藩主の宗義成(そう・よしなり)のときに国書偽造が発覚してしまいます。しかし対馬藩は朝鮮との外交役として欠かせない存在のため、何とか政府からのおとがめを逃れました。現在も、さまざまな外交の影響を受けつつも、対馬は日韓の関係を築き続けています。2023年2月には、約3年間運休していた対馬と韓国を結ぶ国際航路が再開され、多くの韓国人が対馬を訪れています。

 対馬市の厳原(いずはら)には義智の銅像があり、2016年には「マンガ 対馬の歴史偉人物語初代対馬藩主 宗義智-対馬藩外交の礎を築いた英主」が発売されています。対馬市民にとっては、家康以上の英雄である義智。「いつか「どうする家康」ならぬ「どうする義智」として大河ドラマ化されたら」と、歴史ガイドの藤川あもさんは期待を語りました。

写真はすべて2023年8月24日筆者撮影参考)一般社団法人 対馬里山繋営塾 藤川あもさんによる歴史ガイド

NHK 歴史秘話ヒストリア

https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/239.html

田口有香

田口有香

長崎県壱岐市

校閲記者兼コミュニティマネージャー

第4期ハツレポーター/ライター兼農家の嫁であり、3人の子どもの母。生まれ育った大阪から壱岐島に家族で移住。
壱岐島は長崎県の離島ですが、福岡から高速船で65分という抜群のアクセス!!海がきれいなのはもちろん、お魚もお肉も野菜も米も焼酎もそろっておりグルメも自慢できます。

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