皆さんがお住いの地域にも隕石(いんせき)が落ちたところはありますか?
私は最近になって、我が家のわりと近所に3ヶ所も隕石が落ちた場所があることを偶然知りました。
隕石というものは、そうそうどこにでも見つかるものではないイメージを持っていましたので、近接して3ヶ所も落下地があることが不思議で興味を持ち、取材してみました。
目次
その1 隕鉄・岡野号
これは私が住む兵庫県丹波篠山市今福(旧・岡野村)という農村地帯に、1904年4月7日に落下したものです。
当時、落下を目撃した人によると、カシの木が裂けており、根元には黒煙が漂い、直径約20cm、深さ約80cmの穴が開いていたそうです。
穴の中に先が尖った部分を上に向け、突き刺さっている黒い石を発見し掘り出しました。
ちょうど、日露戦争の開戦直後だったこともあり、ロシアの軍艦からの砲弾が飛んできたと思った人もいたそうです。
落下の報を受けた京都帝国大学(現・京都大学)の比企忠(ひき・ただす)教授は、所有者から隕石を譲り受け分析、その結果、鉄隕石(隕鉄)と判明し、『隕鉄 岡野号』と命名されました。
それについての論文が発表されると、アメリカの企業から岡野号の一部を他の隕石と交換してほしいとの申し出がありました。価値基準による交換条件で、1g当たり1ドルの価値と言ってきたそうです。この価値は、岡野号全体で現在の2000万円ほどという大変な価値でした。
落下した日と場所が明確で、しかも鉄隕石であったことから大変珍しいものと評価されたのでしょう。
その後、同様の申し出が英国の大英博物館からもあり、岡野号の一部は英国にも渡りました。
その2 曽根隕石
1866年6月7日に、私が住む兵庫県丹波篠山市から北東に25kmほど離れた丹波国曽根村(現・京都府船井郡京丹波町)に落下した隕石で、麦畑に落下し土煙を立てていたと記録されています。
重さ17.1kg、縦16cm、横29cm、高さ18cmで、なんと日本では3番目に大きな隕石で、隕石の種類としては、普通球粒隕石(ふつうきゅうりゅういんせき)ということです。
近隣の村の代官だった高木家に保管されてきましたが、その後、博物館を経て京都府に寄贈されました。ちなみに、曽根隕石の落下地点は、土佐・高知城城主となった山内一豊公のルーツがある地だそうです。
その3 竹ノ内隕石
隕石というもののほとんどは、落下地点、落下日時などが不明ですが、この兵庫県但馬地方に位置する養父郡糸井村竹ノ内字奥村(現・朝来市和田山町竹ノ内字奥1020番地)に落下した竹ノ内隕石は、それらがはっきり確認され、さらには科学的な分析も行われた最古の隕石ということです。
竹ノ内隕石の落下は1880年2月18日。
少なくとも落下日時がはっきりしている日本の隕石の中では15番目に古いそうです。
なお、この隕石は落下の際に民家の土塀に当たり、それでも落下エネルギーは衰えず、地面に落下して埋没したらしいです。
以上、3つの隕石を紹介しましたが、どれもが兵庫県丹波篠山市の我が家から直線距離ですと30km以内の範囲に落ちています。
このような狭い範囲に、落下地点と日時がはっきり確認された隕石が落ちたということは私にとって非常に興味深く、いわゆる丹波地方には何か隕石が落ちて来やすい理由、たとえば地層の密度が高く重力が他より大きいなどを想像してしまいました。
しかしいろいろ調べてみた限りでは、隕石落下地点について、特別な傾向というものはないようです。これら3つは、たまたま発見されやすい場所に落ちたというだけのようです。
偶然とはいえ、宇宙からの贈り物が多く届いている、私が住むこの土地へのロマンを限りなく感じます。