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福井市で酪農・農業・直売店を展開する名津井牧場。牧場主の名津井萬(なついよろず)さんは90歳で今なお現役の酪農家です。幼くして両親を亡くした経験を抱えながら、20歳の時に農業で独立。家族を支え、農業の明るい未来を目指して一心不乱に取り組んできました。名津井萬さんと妻・とし子さんにその原動力についてお話しを伺い前編と後編の2部構成でお伝えします。(後編はこちら https://thelocality.net/natsuibokujyou2/)
目次
「歯をくいしばるほどに泣けてきた」幼くして両親が他界し親戚の家へ
3人兄弟の長男に生まれた名津井萬さん。4歳のとき、父・進さんが戦地にて帰らぬ人になりました。それからは、祖母と母に育てられてきました。ところが、名津井さんが中学1年生のとき、祖母と母が相次いで他界します。これまでの生活は、母の気丈さに支えられていたものだったと突き付けられました。「兄貴だから泣くまい」と、歯をくいしばるほどに泣けてきたといいます。
わずか中学1年生で身よりを失くした名津井さんたちを引き取ってくれたのが叔父・山形寿さんでした。山形さんのもとで過ごした経験が、名津井さんの農業観のベースとなりました。
「少しでも叔父に近づきたい」叔父が唱えた「立体農業」とは
中学1年生で、山形家での生活が始まりました。山形さんは、西藤島村長(現在は福井市)を務めていましたが、戦後の公職追放を受けて農業へ転身した経緯を持ちます。福井県興能同志会・会長として活躍し、時代に先駆けて「立体農業」を唱えた人でした。
「立体農業」とは、稲作だけでなく、酪農、野菜、果樹など複数の作業を組み合わせた農業経営のこと。いわゆる「複合経営」を指します。名津井さんは、中学卒業後から4年間、山形家で農業に専従して過ごしました。田畑だけでなく、乳・和牛、馬、豚、鶏、めん羊飼育…全てを教わったといいます。「少しでも叔父に近づきたい。」その一心で毎日泥まみれで働きました。
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「自分の意志で道を拓く」20歳で独立し、家族を支え奮起する日々
「農業経営を独立してやりたい」。成人式の日、名津井さんは一大決心を叔父に申し出ます。その背景にあるのは、1948年に発生した福井地震と水害により全壊した実家再興への思いでした。そして、亡き母の「早く大きくなって手伝っておくれ」という言葉がいつも頭にありました。叔父の許しを得て、実家に戻り、仕事・家事をしながら弟を高校にも行かせました。その年にとし子さんと結婚。翌年には長女が生まれます。
農作業では、養鶏、堆肥熱を利用した育雛(いくすう)・販売、養豚を行っていました。ひっ迫する毎日でも決して諦めはしませんでした。「経済的・精神的にきつくても、自分の意思で道を拓いているという充実感があった」と当時を振り返ります。
農業への思いを「稲作と酪農の二本柱を中心にして、状況を見ながら、和牛の繁殖も加えていきたい。鶏も飼いたい。茸をつくり、果樹をつくり、花を楽しむ。それに畑で野菜を。そんな立体農業こそ、農の神髄と思っている。これは私の複々合経営である」と名津井さんは著書でつづります。自然を生かした農業の実践には、叔父・山形さんの思いが受け継がれています。
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「あれよと言う間に牛がやってきた」家畜人工授精師を取得し、名津井牧場がスタート!
20代半ばごろ、名津井さんは家畜人工授精師※の資格を取得します。酪農経営を安定して実践するためでした。時期を同じくして、乳牛を北海道と長野から導入します。ついに、「名津井牧場」が始まります。
妻・とし子さんは「はじめはお米と野菜だけだったけど、あれよあれよと言う間に牛が我が家にやってきたの。でも、世話をすると当たり前にかわいくなってきてね。牛の世話や農繁期で作業がてんやわんやしていても、(人工授精師の)お呼びがかかったら一目散に駆けつけてしまいなって」と話しました。
当時の慌ただしい様子が目に浮かびます。
萬さんは「当時は、牛を3頭飼えば県庁で働く人の初任給と同じぐらいと言われとったで。それなら十分(生活が)何とかなる、と思って取り組んできたけど、やっぱり苦しかった。乳牛や稲作だけで1年間をまかなうのは難しかった。お金の使いすぎや急に入用になることもあるでな。そこでお金のやり繰りは、1年の収入は米、1カ月の収入は牛乳、毎日の収入は人工授精でやったらいいと思って、続けてきた」といいます。
広い視野と柔軟な発想で、困難を乗り越えてきたことがうかがえます。
※家畜人工授精師…家畜(牛、豚など)の人工授精や受精卵移植を取り扱う仕事。家畜の安定した繁殖のために効率的な人工授精が必要となる。
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動物相手に仕事をするということ「相手が牛でもコミュニケーションが大事」
―動物、とくに牛の世話ならではの大変さってどんなものがあるのでしょうか?
萬さん:マニュアル通りにならない部分が絶対にある。そこが難しい。例えば、人工授精を施せば高い確率で妊娠ができる。技術で補える部分が大きいから。でも、分娩する時になって『あ!これは難産になる。』って、見極められるかどうかは、毎日観察をしていないと身に付かないと思う。
―教科書どおりにはいかないのですね。試行錯誤の中で「失敗した」と感じたことはありますか?
萬さん:一番は出産後の牛が病気で倒れたことだね。産後はカルシウムやビタミン類が不足しやすい。いつもは添加剤で補給しているのに、ある時、『元気そうだし、何もしなくても大丈夫そうだな』と思って、何もしなかった。しばらくして、調子悪そうにうずくまっているわけ。急いで獣医さんに診てもらって……。予防できたのに自分が怠ってしまった。だから、毎日一生懸命やるっていうことと、緊張感を欠かさないこと。ストレスでもあるけれど、ある程度の緊張感は持っていないとあかんね。
―毎日、緊張感を保ちながら精一杯のお世話をするって、わかっていても大変なことのように感じます。
萬さん:それでも病気になって死んでしまうのが一番辛い。病気になる前を考えると『こうしておけば良かった』と、思い当たる節がやっぱりある。感染症予防も日頃の行いが大事だから、いつも念頭に置いている。『うちには(病原菌が)入らん』っていう気持ちでいると、手薄の部分が出てきてしまうからね。スタッフがミスをした場合でも、問題解決につながるアドバイスをするように心がけている。厳しく怒ったって、本人もガックリして辞めてしまうしね。できるようになるまで、時間がかかっても構わないっていう心持ちかな。
―名津井さんはいつも温厚なイメージです。牛に対して感情的になる時ってありますか?
萬さん:牛には、トラブルが起きたらその場ですぐに叱っておかないとあかんね。時間が経ってからだと、牛は何を注意されているのか分からずに混乱してしまう。例えば、牛が前足でパーン!と人を蹴ったとすると、その時に注意してやらないといけない。後から言うと反発する場合がある。
―牛と人間。言葉はなくとも、タイミングが大事なんですね。
萬さん:ほやほや※。やっぱりコミュニケーションが大事だね。言葉をかけずに、態度だけで示そうとするとかえって良くない。口で説明しながら伝えるのがいいで。私も、叔父から怒られたことはなかった。もちろん、私自身が無茶もやってきているから、『〇〇した方がいい』って意見は言われた。でも、闇雲に怒って感情的に言われたことは一回もない。相手が人間でも動物でも、そんな風に相手のことを考えてやらんとね。
※ほやほや…相づちの言葉。福井の方言。
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後編(https://thelocality.net/natsuibokujyou2/)へ続きます
情報
名津井牧場
住所:福井県福井市地蔵堂町9-18
名津井牧場直営店「ファームサルート」
ホームページ:https://farmsalute.jp/