
月に2回、熊本の見性寺(けんしょうじ)で行われる座禅体験会に参加しています。


今回の体験で、特に心に残ったのは――
澤木興道(さわきこうどう)老師の言葉「宇宙とぶっつづきの自己を体験する」が、まさに身体の実感として迫ってきたことでした。
鼻から静かに吸い込まれる呼吸は脳をすっと冷やし、背骨に沿って下腹にたどり着きます。そこから今度は、口元へと流れ出る吐息となって、身体の内を巡っていく…。
そのとき、私の内側には一本の太い筒が通っているかのように感じられ、その中を呼吸が往来しながら、大地へ、そして宇宙へとつながっていく感覚が広がっていきました。
次第に思考はほどけ、自我の輪郭さえも静かに溶けてゆく。そんな不思議な境地に身をゆだねていました。
歩行禅では、両手を胸に当てて歩きます。足裏に伝わる畳の感触や木のぬくもり、重みの移ろいを、一歩一歩ていねいに味わっていく。
右足が終われば左足へ、左足が終わればまた右足へ。呼吸と足取りをひとつにして、静かに、確かに歩を進めます。
頭に浮かんでくる雑念にはとらわれず、意識をすぐに足裏へと戻す。その繰り返しが、今この瞬間と向き合う力を育ててくれるのです。
お抹茶とお菓子で一呼吸入れ、その後の法話では、住職が『碧巌録(へきがんろく)』第十九則を取り上げてくださいました。


「倶胝(ぐてい)和尚、凡(およ)そ所問有れば、只(た)だ一指を堅(た)つ」――問われれば、ただ一本の指を挙げる。
その姿には言葉を超えた深い意味があり、禅の真髄である「直観」の世界が息づいているのだと、静かに、しかし力強く教えてくださいました。
慌ただしい日常を離れ、自分の内側と向き合うこの時間は、まさに「今を生きる」ことの尊さに気づかせてくれます。
たった一時間半であっても、心は整い、世界が澄みわたるように感じられる。そんなかけがえのない体験です。


禅の言葉に耳を澄まし、呼吸を整え、ただ「いま、ここ」を生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねこそが、やがて本当の自分に出会う道となるのでしょう。
私も、いつか。
目の前の草木が、ふと「ご苦労さん」と語りかけてくれる――そんな日を静かに待ちたいと思います。