
2025年11月16日、筆者は宮城県仙台市若林区の荒浜にかけつけた。荒浜は7月に15年ぶりに本格再開した深沼海水浴場のある場所だ。
今回は、東日本大震災の記憶や語りではなく、震災以前の住まいの間取り図とあわせた思い出話を、荒浜の住民だった3人からお話を聞きながらのまちあるきのツアーだ。
間取り図を用いて行われるのは今回が初めてだった。この日は、多くの大学生を含む老若男女の参加者たちでにぎわった。

冊子が出来上がるまでの道のり
震災前に住んでいた住宅の間取り図の記憶をたどるのもそう簡単なものではない。記憶が薄れる中で、震災前の暮らしや営みを知ってほしいのが目的だった。
コロナ禍の2021年4月~2023年3月にせんだい3.11メモリアル交流館の館長を務めた佐藤敏行(さとう・としゆき)さん(国境なき劇団)は一般社団法人宮城県建築士会女性部会から受けて「震災前の住宅の間取り図を図面で再現できないか?」と相談を受けた。当時は何もかも制限されていたためどのように伝えていけばいいのか模索していたのかもしれない。
冊子にまとめるプロジェクトが始まり、クラウドファンディングを募り、2023年9月に見事達成し、翌年1月に「記憶の中の住まい」の冊子を完成させて多くの人に宮城県内の被災した住宅の間取り図の紹介すべく冊子が完成して、現在に至る。



間取り図とともにかつての暮らしの思い出話を聞く
さて、今回は震災前に荒浜に住んでいた貴田さん、庄子さん、佐藤さんからたくさんお話を聞いた。間取り図について思い出深く語ってくれた。
仙台市内の花火が見えた思い出、(庄子さん宅跡地の)海辺の図書館、食べ物の思い出とあわせてかつて栄えた荒浜の営みも知ることができた。漁業に限らず多くの営みが荒浜に存在していたことが痛切に伝わった。一時期は仮設住宅に住んでいたものの「食べ物に関する違和感も感じる人もいた」というエピソードも話してくれた。
やはり、荒浜の思い出が恋しいことが十分に伝わるものだった。

まちあるきの後は再びロッジに戻り、参加者たちで振り返りを行った。多くの参加者からは「実際にお話を聞かないと学べないことが多かった」という声を聞いた。筆者としても今までにはない斬新な催しであったことを感じた。
佐藤敏行さんは「今後も同じような催しを同じ宮城県内で行いたい」と話してくれた。今後はどのような切り口で語ってくれるのだろうか。また、どのような展開があるのだろうか。筆者は期待している。
※画像はすべて筆者が2025年11月16日に撮影




