
福島県白河市の冬の風物詩「白河だるま市」が2月11日、JR白河駅周辺で開かれた。300年以上の歴史を持つ縁起市で、旧奥州街道にあたる天神町から本町までの目抜き通りには、色鮮やかなだるまや多彩な露店が軒を連ねた。通りには縁起物を求める人や食べ歩きを楽しむ家族連れ、観光客の姿が広がり、多くの人々でにぎわった。
目次
江戸時代から続く白河だるまの歴史

白河だるまは白河藩主*松平定信(まつだいらさだのぶ)公の時代にさかのぼる。定信公のお抱え絵師であった*谷文晁(たにぶんちょう)の図柄を手本に作られ、旧暦1月14日の「市神祭(様)」で販売を始めたことが始まりとされる。
定信公が白河藩の藩主になった時はちょうど天明の大飢饉(ききん)で、藩の財政も万全な状態ではなかった。そのため定信公は、藩財政再建のため、農業・商業・工業のそれぞれの分野で産業を活性化させる政策を強力に進めた。やがて市神祭はだるま中心をした市に姿を変え「だるま市」として定着。現在は毎年2月11日に開かれ、年初の縁起市として広く親しまれている。現在は市内は「白河だるま総本舗」と「佐川だるま製造所」の二工房が中心に伝統を担い、だるまを手仕事で仕上げている。
*松平定信:8代将軍徳川吉宗の孫。2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、聡明(そうめい)かつ生真面目な性格を持つ人物として描かれた。江戸時代後期を代表する政治家であり、寛政の改革を断行した老中として知られる。
*谷文晁:亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)と並ぶ福島県ゆかりの画人のひとり。当時白河藩だった須賀川を拠点に活動していた田善は定信公に才能を見いだされ、谷文晁の門下に入った。
「鶴亀松竹梅」に込められた願い



白河だるまは、顔に「鶴亀松竹梅」を表す巧みなデザインが特徴だ。長寿、繁栄、平穏といった願いが一体の中に込められており、単なる縁起物ではなく人々の暮らしと祈りを映す存在だ。
市で販売されているだるまは16種類。小さいもので600円、大きなものは2万円で並ぶ。かつて、白河の領民は初市でこのだるまを買って神棚に備え、翌年には一まわりずつ大きなだるまに買い換えたという。
当日は、これらのだるまを含む多様な縁起物が販売され、植木を販売する屋台や甘酒などの地元特産品を売る店が軒を連ねた。 実際に聞こえるにぎわいの音に加え、だるまが受け継いできた300年分の願いまで立ち上がってくるようだ。一年の始まりに「今年こそ」とだるまに目を入れたであろう多くの人々の営みが、目の前の光景と重なり合う。
文化継承と地域経済の交差点

白河だるま市は、伝統文化の継承であると同時に、地域経済や観光を支える行事でもある。長く続いてきた市や祭礼は、地域の記憶や風習を次世代へ伝える役割を果たし、来訪者にとってはみちのく白河の文化に触れる入り口となっている。不安定な社会情勢が続く中で、こうした行事は人々が互いを思い、新しい季節の到来を喜び合う時間を可視化する。だるまを通じて受け継がれてきた「人が人を想う文化」が、今もまちの中で息づいている。
どんど焼きがつなぐ祈りの循環


当日は、前年のだるまや正月飾りを焚いて供養する「どんど焼き」も併せて開催された。会場のひとつとなった天神神社では地元消防団員が「心を込めてお焚き上げします」と声をかけながら、持ち込まれただるまを受け取っていた。参拝に訪れた男性は「だるま市が終わると、白河に春が来る」と穏やかな表情を見せた。炎が白煙を上げる中、街道沿いでは温かな屋台の食べ物を楽しみながら、だるまを見比べる姿があちこちで見られた。
願いを結び、歴史を引き継ぐ時間として

白河だるま市は、にぎわいを楽しむだけの場ではない。自分自身の願いに向き合い、地域の歴史や代々受け継がれてきた祈りを感じる時間でもある。16種類のだるまから一体を選ぶこと、旧年のだるまを供養すること。その一つひとつが、祈りが循環してきた文化を体感する瞬間だ。春を待つ白河のまちで開かれるこの縁起市は、地域共同体が新しい一年の始まりを確かめ合う、静かで確かな節目となっている。
参考資料:谷文晁(足立区立郷土博物館)、Painters’ Letters(東京国立博物館)、白河だるま (公益財団法人福島県観光物産交流協会)、日本橋魚廓図(神戸市立博物館)、亜欧堂田善(福島県教育委員会)、白河だるま市2026(Smile-trend7.com)、白河だるま市 2026 (zyxcba.net)、白河だるまの原型(白河市公式ホームページ)
写真:Przemysław Andrzejewski、昆 愛





