秋田県北秋田市の街中に、「Jackass(ジャッカス)」という名前のスケボーの室内パークがある。地元出身の鈴木祐毅(すずきゆうき)さんが近所の空家を改装して、2021年11月にオープンした。
かつてはアウトサイダーの駆け込み寺のような存在だったスケボーであるが、独自のカルチャーを生み出して、今ではスポーツとしても認知されるようになってきた。
そんな時代の変化を受けつつ、鈴木さん達はスケボーを通じた居場所作りに取り組んでいる。
「若者、馬鹿者、田舎者に可能性を感じている」と話す鈴木さんの野望に迫る。
北秋田市の鷹巣地区の外れに「ジャッカス」はある。日曜日の午後のこの日は、25メートルほどの空間でジャンプの技を教え合いながら、3人の大人がスケボーに興じていた。ここは「大人の遊び場」だと、「ジャッカス」発起人の鈴木さんは語る。
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「冬にもスケボーをする場所が欲しい!」
鈴木祐毅(38)さんのスケボー歴は実はそれほど長くなく、1年半ほどだそうだ。高校生の頃に半年間と、最近の1年間。高校生の頃は駅前の広場で練習し、最近は空港の空き地を利用していた。しかし、北秋田市は豪雪地帯。冬は雪のため屋外では練習ができないので、室内の練習場が必要だった。
そこで、近所の空家を改装して、スケボー・パークにすることにしたそうだ。賃貸料の負担を軽くするためにスケボー仲間に声をかけ、約10名で割り勘にすることにした。こうして生まれたのが、スケボー・パーク「Jackass(ジャッカス)」である。
「ジャッカス」という名前は、鈴木さんが以前に経営していたダーツ・バーの名前だそうだ。同じ名前ならそのまま同じ看板が使えるということで、ジャッカスになった。ちなみに、Jackassとは「まぬけ、馬鹿」を意味する英単語である。
(写真:Jackassの看板)
不良の遊びだったスケボー
鈴木さんがスケートボードを始めたきっかけは、先輩の影響だった。先輩への憧れからスケボーを始めて、毎日のように駅前で練習をしていた。警察から注意されることも多く、当時は「不良の遊び」として周囲からは認識されていたようだ。
スケボーは、社会に迎合しない若者たちの駆け込み寺のような存在で、健康的な「スポーツ」ではなかった。また、20年前はインターネットがそれほど普及しておらず、海外の情報も限られていた。
(写真:壁のグラフィティ)
第3の場所としての「ジャッカス」
地元に帰って来てから10年くらいが経った頃、鈴木さんはスケボーをまた始めたくなった。
高校生の頃から約20年の時が経過し、周囲の環境はだいぶ変化していた。結婚し、子供が生まれ、インターネットが普及し、SNSにはスケボーの情報が溢れていた。スケボーはオリンピックの種目にもなり、スポーツとして認知されるようになっていた。「今度は自分の時間を楽しむ趣味として、もう一度始めてみたくなった」という。
ジャッカスの雰囲気について、鈴木さんは以下のように語ってくれた。
「ここは小学生の集まりみたいな感じです。好きなことを通じて集まっているので、年齢に関係なくフラットな関係性が築けています。大人になって、自分の時間の大切さに気づきました」。
職場と家の往復だけではない、第3の場所が「ジャッカス」だったのだ。
(写真:技を決めている鈴木さん)
「若者、馬鹿者、田舎者」の可能性
鈴木さんは「スケボーの魅力は、技が決まった時の気持ちよさ。仲間にリスペクトしてもらえるところ」なのだと語る。また、以前はスケボーの悪そうなイメージにも惹かれていたそうだが、今は子供にも教えたい「スポーツ」に変化したそう。スケボーの楽しさを、多くの人と共有したいそうだ。
都会的でお洒落なイメージの強いスケボーを、田舎でやることの意義について質問したところ、以下のような答えが返ってきた。
「若者、馬鹿者、田舎者が俺は好きなんです。社会の歯車に組み込まれていないから、伸びしろがある気がして」
馬鹿者という意味の「ジャッカス」に、何とも相応しい考え方ではないか。
(写真:ラジオ番組のインタビューを受けている鈴木さん)
今後の野望は公立のスケボー・パークの建設
鈴木さんの今後の目標は、「北秋田市に公立のスケボー・パークを作ること」だそう。ジャッカスはいつでも開放されている訳ではないので、地域の子供が利用するには制約が多い。
「練習する場所がないと競技人口は増えないので、子供が伸び伸び練習できるスケボー・パークを『ジャッカス』とは別に作りたい」と鈴木さんは夢を語る。この計画が実現したら、スケボーのオリンピック・メダリストが、この地域から生まれる日が来るかもしれない。ジャッカスの「馬鹿げた」野望を応援したい。