「育った街の景観形成の一役を担っていきたい」。異例のキャリアで独立した代表が形づくってきたモノ【富山県富山市】

3 min 7 views

株式会社ナカサイアーキテクツ


代表取締役
中斉 拓也氏

「出会いのなかで人に磨かれ、成長してきた」と語る、富山の株式会社ナカサイアーキテクツ代表取締役の中斉 拓也(なかさい たくや)さん。特に建築については学んでいなかったものの、「住まいに関わる」という夢を諦めきれなかったという中斉さんは、たくさんの人と出会い、その出会いに磨かれて建築の道を切り拓いてきました。何度も壁にぶつかりながらもはいあがり、生まれ育った町の景観を彩り続ける中斉さんの人生に迫りました。

思わぬ未来が引き寄せた建築の道。好きなものを深く掘り下げ導かれた建築の体験

立ち上げまでのキャリアを教えてください。

大学卒業後、インテリア・デザイン関係の専門学校に入学し、恩師に「内装やインテリアの仕事をしたい」と話したら「インテリアだけに絞らず、建築設計から学んだ方が良い」と助言をくださり、その先生が修行した建築設計事務所で、インターンのような形で建築を体験しました。そこで“建築とは何なのか”を知り、“建築・設計の道に進むことを決意する” 大事な期間となりました

自分が設計した建築物が故郷に作られるのは「魅力的」。“絶対的に必要とされる存在”とは?

独立への思いは以前からあったのでしょうか?

修行時代の当初は無我夢中だったのですが、だんだんと「独立したい」と思うようになり、どこで独立するのかを真剣に考えはじめました。生まれ育った富山で独立することを視野に入れ、Uターンしました。「自分の育った町の景観の一部を自分が設計した建築で担える」ということを魅力に感じたからです。

しかし帰郷した時は、まだ設計をはじめて2年くらいだったので、社員として採用してもらえるところなどはなく、そもそも募集しているところもないような状態でした。しかし、運よく1社だけ「模型作るぐらいだったら来ていいよ」と受け入れてくれて、3年目でようやく社員にしてもらいました。そこには8年くらいいて、32歳までお世話になりました。
当時の自分は、まだまだ現場のこともほとんどわかっていなかったので、無知を恥じらう気持ちもありましたが、その思いを乗り越えて積極的に現場監督や職人とコミュニケーションをとるようにしました。もちろん教えてもらうだけでなく、勉強もしていましたので、自分のなかにどんどん知識が積み重なっていくのがわかりました。

任された仕事に主体的に取り組んだ。現場でのコミュニケーションからたくさんのこと学ぶ

そのあと、どのような経緯で会社を設立しましたか?

1人の現場監督さんから「中斉さんに自分の弟の家を建ててほしい」とオファーをもらったことで、独立への決意がかたまりました。準備にむけて「1年ほどお待ちいただきたい」というこちらの都合を受け入れてくれて、2014年に無事独立した後のお客さま第一号となってくださいました。

今思えば、そのお客さんや建築のイロハを教えてくれた現場監督の存在がなかったら今も独立していないかもしれないです。積極的にコミュニケ―ションをとったことで、良い方々に出会うことが出来て、独立につながったのだと思っています。

地銀の建築コンペに選ばれ、「会社の転機に」。現場・顧客とともに建築する

印象的だった建築設計の事例はありますか?

地方銀行の建築設計コンペです。金沢や富山も含めて6社ぐらいの応募があったなかでうちが選ばれたことが会社の転機になりました。採択後に社長との打ち合わせでお互いのデザインの方向性もマッチしていました。そして、ほぼお任せで最初にコンペに出した提案がそのまま形になり、富山市のなかでも結構目立つところに立っていて特徴的な建築ゆえ、アイキャッチになっていきました。

会社として目指していることや展望などがありましたら教えてください。

僕自身はフランクな設計者でいたいと思っているので、設計者も現場監督もお客さんも一緒になって、みんなで一つのものを作り上げていきたいです。立場が異なる三者がチームとなって、じっくりコミュニケーションをとっていけるような体制や雰囲気づくりをしていきたいと思っています。
そのうえで会社の規模を広げながら社員数を増やしていきたいと思います。

「人間力があって建築が好き」なら共感する人が増えてゆき、コミュニティが広がる

一緒に働くクリエイターに対して、会社としてどのようなことを求めますか?

通常、僕が営業していますが、ぜひスタッフには自分のコミュニティのなかでどんどん仕事をとってきてもらい、自分で設計していけるような人間に育ってほしいなと思っています。営業力っていうのとまた少し違うっていう感じですかね。人間力から広がって、結果として営業につながるような流れになったらと思っています。「人間力があって建築が好き」な仲間に共感する人のコミュニティがつながっていったらより生き生きと仕事が出来ると思いますし、そういう環境をどんどん個人個人でも作っていくとよりいい会社の環境になっていくのかなと思っています。もちろん現状でも、一生懸命なスタッフばかりで日々助かっています。

いろいろな人に出会い、磨かれて。 出会いがもたらす好影響とは?

高校・大学では「建築」を学んでこられなかった中斉さんですが、今では建築家としてご活躍されています。これまでの中斉さんの人生経験を踏まえて、建築業界を目指す方へのエールをお願いします。

うちの事務所としては自分も異例のキャリアをたどって来たこともあって、「なかなか建築へ踏み出せない人」や「諦めていたけど建築をしたい人」といった方々もウェルカムです。いろいろな人に建築にもう1回熱く取り組んでもらえるような環境を作りたいなと思っています。
そして、僕自身、いろいろな人に出会ってきたからこそ今の道が出来てきたのかなと思うんです。なのでやっぱり若い人たちにはたくさんの人に出会ってほしい。出会っていくなかで人に磨かれていくと思うんですよね。自分の進む道を決める時は、人から受ける影響って大きいなと思います。たくさんの人に出会っていくなかで自分の好きなものに出会えたらいいと思うんです。
とにかく建築業界は大変です。しかし、「建築が好き」というベースがあれば、忍耐力も備わってきます。忍耐力が備わってくれば「自分の夢に近づける」と思っています。

取材日:2024年6月14日 

株式会社ナカサイアーキテクツ

  • 代表者名:中斉 拓也
  • 設立年月:2021 年8 月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:建築デザイン
  • 所在地:〒939-8206 富山県富山市布施町1-8-1TAKAISHI Bldg2F
  • URL:https://www.nkstky.jp/
  • お問い合わせ先::076-461-3240

この記事は株式会社フェローズが運営する、クリエイターに役立つコンテンツを発信する「クリエイターズステーション」にも掲載されています。

前田 明子

前田 明子

東京都足立区

第6期ハツレポーター

東京都葛飾区亀有生まれ、満3歳からずっと東京都足立区在住。

本業の集客目的ではじめたツイートで1000日間、100文字3投稿を継続したTwitter継続おばちゃん。合計30万文字の発信から文字で人と繋がる楽しさ発見。現在母の自宅介護中『書くなら自分の時間で出来るよね』とライティングを学ぶ。書く事で共感の輪を拡げます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です