沖縄県は2023年度、たくさんの「お宝=魅力」をもつ離島各所の事業者さんたちが、SNSなどの『デジタルツール』を利用してさらに魅力的な発信をしていけるように「沖縄県主催🌺価値を伝えて売りまくるためのデジバズ講座」という取り組みを行っています。この記事は、参加された事業者さんを対象に、「ローカリティ!」のレポーターがその輝く魅力を取材し執筆したものです。沖縄離島の魅力をご堪能ください。
あなたは運命に導かれる体験をしたことはありますか?東京・新宿のOLから海の神様、ネプチューンに導かれるように久米島へ移住し、ダイビングショップと宿を運営する今井洋子さん(いまい・ようこ)さんにお話をお話を伺いました。
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占い師の忠告を破り、3泊4日の旅行から永住しちゃいました
昭和の終わりから平成の初めにかけて、日本中がバブル一色だった頃、今井さんは新宿の上場企業でOLをしていました。ビル地下にある洋食屋さんのパスタが大好きだった普通のOL、今井さんは、6月のある日友人と占い師の元へいきます。「次に会う人と絶対に一緒になっちゃだめ。すごく悪い人と出会う」と言われてしまいます。
その忠告を抱えたまま、2ヶ月後の8月に久米島へ初めて遊びに行った21歳の洋子さん。
「沖縄旅行が流行っていて、友達3人で3泊4日の旅行に行ったの」
久米島へ行った時、名所「はての浜」を訪れます。そして案内人をしていたのちに夫となる、正さんに出会います。
「バブルの頃は旅の恥はかき捨てが顕著だった時代で、お昼に案内してくれたスタッフさんたちと夜も合流して飲みに行ったの」
正さんとは10歳ほど年齢が違うものの、すぐに距離が縮まりました。8月に出会い、9月、11月と会い、会社を辞めて久米島へ移住したのは洋子さんが22歳になった1月でした。
「両親や友人の反対よりも占い師の言葉を払拭しないと、と思って。自分の人生だから1回しか会ったことのない占い師に決められないように!と思いきりました」
そう思ったものの占い師の言葉にドキドキしながら久米島に向かう道中。飛行機の機内食に出てきたものは赤飯でした。「やっぱり神様は私を祝福してくれていると思って泣きながら赤飯食べたことを覚えています」
久米島での新生活から、ダイビングショップ開業!
2人で暮らす生計を立てるために、元国体の水泳選手だった正さんは、ウィンドサーフィンや追い込み漁もこなしながら、定住に向けてダイビングショップの手伝いを始めました。
ダイビング未経験の洋子さんも、正さんにダイビングを教わり、1988年にネプチューン・ダイバーズを夫婦で始めました。
島で暮らす洋子さんの優しさと主海さんの覚悟
2000年には宿・クラブハウス・ネプチューンも開業し、ダイビングショップと宿の2方向からお客さんと関われるようになった洋子さん。
「いろんな人がくるので勉強になることが多くて楽しいの。久米島にいたら一つの世界だけになるけど、お客さんが来てお話をしてくれると世界が広がっていきます。それに久米島にくるとお客さんが本音を出して話してくれるので嬉しいです」
奇跡の繋がりでできていると話す今井さんは、ダイビングを手伝ったり、宿を切り盛りしたりと充実の日々。息子・主海(かずみ)さんも学生時代から家業を手伝ってくれるようになりました。そんななか、2013年に正さんが病気のため亡くなってしまいます。その後は息子の主海さんが正さんの遺志を継ぎ代表を務めています。
久米島で生まれ育った主海さんは、3歳から海に潜っている根っからのダイバー。海中写真も数多く撮っており、HPやInstagramには久米島の豊かさを象徴するような美しさを見ることができます。
空もガイドできるようになりたい
海の中は主海さんがガイドを担当していることに対して、洋子さんは最近ハマっているあるものをアテンドできるようになりたいそう。
「最近野鳥に詳しい方の影響で、バードウォッチングにハマっています。今後は宿のお客さんもダイバーだけではなく、バードウォッチングのお客さんも受け入れていけたらいいなと思っています。4月、5月は野鳥も飛んでくるので、とってもおすすめです!」
海の中の小さな被写体も見逃さない根っからのダイバー、主海さんアテンドの海を堪能したいなら、ネプチューン・ダイバーズへ。そして野鳥の観察や、まったりしたい時には洋子さんの朗らかな笑い声が包んでくれる宿、クラブハウス・ネプチューンへ訪れてみてはいかがでしょうか?海の神様も「遊びにおいでよ」と言っているかもしれませんよ。