宮古島では年末から3月にかけてサトウキビの収穫作業が行われます。冬から春にかけての印象的な風景として挙げられますが、そのなかでも家族・親戚やご近所同士で収穫する光景は、宮古島の冬の風物詩の一つでした。
近年は効率化重視の影響でサトウキビの収穫はほぼ機械になり手刈りでの収穫作業をあまり見かけなくなりました。そこで経験者に話を伺いながら掘り下げてみました。
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機械で収穫する農家の増加
サトウキビの手刈り収穫風景は、近年機械による作業効率化でほとんど見ることはなく、現在は4%まで減少し今や貴重な存在です。(宮古毎日新聞2024 1/30記事より)
収穫時期が限られており「本業とするのは厳しい事・兼業農家の増加・人件費、作業時間の圧縮・農家の高齢化、少子化」などの要因によりやむを得ない事なのでしょう。
宮古島市平良西仲宗根(ひららにしなかそね)の畑で作業中の男性に話を聞いてみると、ハーベスター(収穫機械)やトラックが入れない段差がある畑や 小さな畑のみ手刈り収穫をするそうです。
親戚、家族、ご近所同士で助け合いの心
機械での収穫より非効率に見えるサトウキビの手刈り収穫ですが、家族・親戚やご近所との近況報告や助け合いの精神の意味があり、効率化が当たり前の現代においては理解が難しい部分もあるかもしれませんが、現代も変わらない「人と人」のコミュニケーションツールの一つとして機能していた部分が間違いなくありました。
一本ずつなぎ倒す作業は重労働
見た目は竹のような「サトウキビ」。密集して生えており、四方から吹く宮古島の強風に耐えたその幹は複雑に絡んでいる事もあるため一本一本人力でなぎ倒していく作業はとても大変です。
実際筆者も20代までは、手伝いで参加していましたがとてもキツく、この作業は「島のやりたくない仕事」の上位にランクインしています。その一方、その作業には、家族・親戚、ご近所同士と共有できる楽しい時間が確かにありました。幼心に味わった「ぼんやりと覚えている心温まる何か」を確かめたい思いから、収穫作業の熟練者へ話を伺いました。
収穫の思い出
宮古島市在住で観光業を営む池間敏昭(いけま・としあき)さん(64)にサトウキビの手刈りの話を聞きました。
「中学生ころになると、イスャラ(鎌)でパーガラ(葉)をとるツフィ(繕い作業)から、ユキィ(斧)でブーズ(サトウキビ)をナギる(刈る)作業へまわされる。中学生時代は反抗期でキツい作業から逃げることばかり考えていた。よく畑で親子ゲンカをしていたな。作業に若干余裕が出たのは高校生の頃かな」
続けて「畑で食べるご飯が美味しく、10時、15時のチョーキ(おやつ・お茶時間)が楽しみで、ユイマール(寄り合い)で来ている親戚、近所の皆さんも優しくて小学生の頃の良い思い出でした」となつかしい思い出を話してくれました。
また、現在池間さんはサーフィンガイド・スクールの経営を本業としていますが、製糖期間中は事業の合間にもサトウキビ収穫を請け負っていた事も!
「早朝から収穫作業をし、満潮の間3時間は作業を抜け海へ。その後は畑へ戻り日没まで作業。その繰り返しを20年続けていると右肘が伸びなくなってしまった。ワッハッハッ(笑)!」
他にも、未舗装が多い農道により「6トントラックがしょっちゅうスタック、積みすぎのバランスの悪さから横転が度々あった」との話もあり驚きの連続でした。
そして、春・進学・就職などの人生における節目にも重なる事から、サトウキビに思い入れを持つ人は多いようです。
「高校の合格発表をラジオで放送していた頃は、収穫作業中にみんなで聞いた」(宮古島市在住60代女性)とも。
季節は移り変わり、新たな年度が始まります。それぞれの思いを抱き進むその先には「希望・夢・立ち向かう壁」があるでしょう。宮古島の人々が困難があっても乗り越える精神、アララガマ魂※は「サトウキビ手刈り収穫作業」の経験から「困難に立ち向かう心」を育んだ文化の一つではないでしょうか。
自身の作業が嫌な思い出だけではなく、幼心に感じた「ぼんやりと覚えている心温まる何か」を改めて確認できた一日でした。
※宮古島方言で不屈の精神