〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜
目次
「味に惚れこんで、通い詰めて」受け継いだ技
秋田県大仙市大曲にある株式会社嶋田ハム。その歴史は創業者の嶋田耕治(しまだ・こうじ)さんが、昭和43年(1968年)にドイツに渡ったのが始まりです。
嶋田さんはドイツ暮らしの中で出会ったソーセージの味に感動し、その味が忘れられず、当時数少ないマイスターだったハンス・マウラーさんと出会います。
やがて「日本でソーセージ作りをしたい」と思い始めた嶋田さんは、ハンスさんの元に通い詰めます。その熱意が通じ、弟子を取るつもりのなかったハンスさんから、門外不出の技を少しずつ教えてもらい、9年もの間修行生活を送りました。
「本当に美味いものを作りたいなら秋田で作れ」
日本に帰国しソーセージ作りを始めたいけれど、どのようにして店を開いたら良いのか悩んでいた嶋田さん。ハンスさんに悩みを打ち明けたところ、「儲けたいなら都会で、本当に美味しいものを作りたいならば、ドイツと気候の似通った田舎で作れ」と言われたそうです。
その言葉を受け、嶋田さんは故郷秋田でのソーセージ作りを決意。昭和52年(1977年)嶋田ハムを創業します。
嶋田さんの作るソーセージはまたたく間に人気が出て、時代の波にも押され東京の特約店や日本各地のデパートなどで取り扱ってもらえるようになりました。
「味に惚れこんで、押しかけて」受け継いだ技
現在、代表取締役社長を務める花澤直樹(はなざわ・なおき)さんは、20年ほど前、仙台にある百貨店に勤務していた際、同じ百貨店で勤務していた、のちに妻となる女性の父が作る嶋田ハムのソーセージと出会います。
「これほどの素晴らしい商品なのに、営業マンや出店責任者もいないのか」と興味が湧き、嶋田さんのソーセージを追究するようになりました。
ソーセージ作りの肝である、肉とスパイスなどを混ぜて練る「練り」の作業と、ソーセージを燻すのに重要な薪の「火加減」に関して、従業員にも伝えず1人で黙々と作る嶋田さんの姿を見て、「こんなにすごいソーセージを放っておけない」と、平成17年(2005年)、花澤さんは秋田に移り住み、嶋田さんの元に強引に押しかけます。そんな花澤さんの熱意が伝わり、嶋田さんは少しずつ技を教えてくれるようになります。
「本当に美味いものを作りたいから秋田で作る」
現在、花澤さんは嶋田さんから受け継いだ方法で、環境の変化の少ない深夜1時から作業を開始します。「練り」の作業は肉との対話。練りあがったあとは、腸づめされたソーセージを吊るし、かまどで薪を燃やして「火加減」を見ながら3時間もの時間をかけて燻(いぶ)していきます。
一般的にソーセージを作る際に使用されるスモークハウスという機械で燻す方法では、ハウス内に煙を回す風を入れるため、乾燥し皮が硬くなってしまうのだそうですが、薪で燻すこの方法は皮も柔らかく、味わいや風味がそのまま保てるのだそうです。
花澤さんは、「森の食文化」という点で秋田とドイツが共通しているといいます。「豊富な森林を持ち、いぶりがっこなどの『燻煙』を利用する秋田の食文化、秋田の自然、そして秋田の食材があるからこそ、ドイツの伝統を活かした美味しさができる」と話します。
「秋田の伝統の味」を後世に伝えていく
ある時、花澤さんが嶋田さんの師匠ハンスさんとソーセージ作りについて話す機会があり「ドイツでは、薪で燻す製法はほとんど無くなっている。お前はまだその方法を続けているのか!?」と驚かれたことがあるそうです。
「とても厳しい作業なので、日本はおろか、本場のドイツでも薪で燻す製法は無くなってきている。だからこそそこに取り組む。商品に対してのこだわりは日本一だと自負しています」
日本一のこだわりを嶋田さんから受け継いだ花澤さんは、
「そんな方法を続けていけるのは自分にしかできないこと、それを後世に伝えていくのが自分の使命」そして「商品づくりが私の生き方そのものだ」と力強く語ってくれました。
嶋田さんが惚れ込んだドイツの伝統の味は、「秋田の伝統の味」として花澤さんに受け継がれ、さらに未来にも受け継がれていくことでしょう。